2015年5月27日水曜日

Q: この家のガラスはどうやって作られたの? 窓の歴史


前回窓ガラスの歴史を見ていきましたが、今回はその続きを書いてみたいと思います。

 

窓ガラスの普及に関連してもう一つの事実があります。

 

 

イギリス共和制


前回オリバー・クロムウェル(15991658)に触れましたが、彼はイギリスに共和制をうちたてた政治家です。当時は王の権力を支持する国王派と、民衆の為により多くの権利と権力を得ようとする議会派が対立していました。


ついには内戦となり、クロムウェル率いる議会派が勝利し、1648年には国王チャールズ一世は処刑されました。1649年に共和国が成立し、クロムウェルがその指導者となりました。敬虔な清教徒であることから、民衆にも節制のある生活を求めました。

 

彼の死後、その権力は息子であるリチャードに引き継がれましたが、リチャードは父親程の才能はなく、亡命していたチャールズ二世が1660年にイギリスに戻り、王政復古がなされます。

 

 

フランスのきらびやかな文化


清教徒のオリバー・クロムウェル統治時代のイギリスとは反対に、チャールズ二世を始めとする貴族達が亡命していたのはおりしも豪華なバロック文化が華咲くヨーロッパでした。イタリアで宗教建築から始まったバロックスタイルはフランスでルイ十四世の下、宗教とは無関係の宮殿等に用いられます。その最たるものが1682年に建てられたベルサイユ宮殿です。


ベルサイユ宮殿 by Myrabella (creative commons)

 

チャールズ二世は即位後、光を重んじるきらびやかなヨーロッパ文化をイギリスに紹介し、その為国内での窓ガラスの需要は一気に伸びます。そして1678年には、フランスで人気であったクラウンガラスがイギリスでも製作されるようになります。

 

 

磨きガラス


1688年に、フランスで磨き板ガラス(Polished Plate Glass)が作られます。これはガラスを型にいれ、仕上げに手で磨くというものです。この質の良いガラスはとても高価でしたが、宮廷や貴族の屋敷の為にフランスから輸入されました。

 

1773年に磨き板ガラスの方法はイギリスに紹介され、1789年には蒸気エンジンで仕上げられる様になりました。でもこの方法が一般的になるにはまだ時間が必要でした。

 

 

ブロードガラス


18世紀に入ると、化学や技術の進歩によりガラスの質も上がっていきます。ブロードガラスも進化し、18世紀後半には60x40インチ(約153x102cm)の大きさまで作れるようになりました。

 

比較的安価なブロードガラスは、1730年代までは大きな市場シェアを誇っていました。ところが、1780年までには、ブロードガラスの生産はクラウンガラスの半分まで減ってしまいます。1790年にはクラウンガラスの四分の一に、そして19世紀に入るころにはほぼ生産停止してしまいます。



ガラス税

 

何故クラウンガラスが好まれたのか。その理由のひとつには税金があります。1696年に窓税が導入されましたが、1748年に導入されたガラス税(Glass Excise)では、製品の重さによって払う税金が変わってきました。

 

クラウンガラスとブロードガラスは、50.8kgにつき9シリング4ペニー徴収されました。クラウンガラスはブロードガラスよりも薄く、軽量でした。その為税金が安くすんだのです。

 

この税金は1845年に廃止されますが、それまでにブロードガラスの生産は終わってしまいます。1833年のガラス税徴収の内訳によると、窓ガラス製作用の溶解窯が27あったうち、25がクラウンガラスの製作に使われていたことがわかります。

 

 

シード


クラウンガラスはブロードグラスに比べ税金が低いだけでなく、透明度が高く、ゆがみが少なく、また「シード」と呼ばれる気泡が少ないのが特徴で、1830年代までは主流になりました。

 


©モリスの城
              

シリンダーガラス

 

ブロードガラスに取って代わられたのが、18世紀ドイツで開発されたシリンダーガラス(cylinder glass)です。これは基本的にはブロードガラスと一緒なのですが、溝を堀り、その中で吹いたガラスを左右に振る事により、より大きく薄いガラス板を作る事が可能になりました。できあがった筒型はまず冷やされ、それから切り開いて再度火を通し、平らにしました。


Pittsburgh Sketches -- Among the Glass-Workers, an engraving by Harry Fenn printed March 18, 1871 in Every Saturday, published by J. Osgood & Company, Boston, Massachusetts (public domain)

            

このシリンダーガラスはクラウンガラスと同等の質で、クラウンガラスからとれる最大ガラスサイズが通常60x40cm程なのに比べ、シリンダーガラスは1830年代で127x92cm程のサイズが可能でした。手で磨きをかけるので、僅かに波立った表面が特徴です。

 

 

クリスタルパレス

 

この方法は1834年にイギリスに紹介され、1851年のロンドン万国博覧会の目玉である、当時の最先端の技術を使用したその建物水晶宮(クリスタルパレス)に使われました。

 

1845年にガラス税が、そして1851年に窓税が廃止されると、ガラスの価格が劇的に下がり、より大きいガラスの需要が高まります。この為クラウンガラスの需要が減り、シリンダーガラスに取って代わられます。そして水晶宮はシリンダーガラスの可能性を最大限に広告することになり、時代は変わっていくのです。

 


The Crystal Palace in Hyde Park for Grand International Exhibition of 1851 (public domain)
                

欠陥も愛おしい


このように、この家が作られた1830年前後は窓ガラス製作が劇的に変わった時期でした。

 

200年近い家ですから、その間に割れて入れ替えられたガラスもあると思いますが、気泡の入ったガラスや表面が僅かにゆがんだガラスもあります。

 

この家に最初に入れられたガラスは時期的にも多分クラウンガラスだと思います。窓ガラス製作において、気泡はいわば傷としてみられがちですが、文字通りガラス職人の息がかかっており、ひとつひとつ作られた事の証明で、それを考えると、そんな欠陥をも愛おしく思えてしまいます。


              ©モリスの城
              ©モリスの城


2015年5月19日火曜日

Q:窓にガラスが入ったのはいつ?


                          ©モリスの城

イギリス東部イーリーの町にオリバー・クロムウェル(15991658)が10年過ごした家があります。オリバー・クロムウェルというのは、清教徒革命の指導者として、イギリスが君主制になって唯一共和制をうちたてた政治家です。

 

 

外が臭いから窓が小さい


彼がヒーローか、はたまた裏切り者かはイギリスでも意見が大きく別れるところですが、2002年にBBCが行った投票では「最も偉大な英国人(100 Greatest Britons)」の10位に選出されています。彼の住んでいたOliver Cromwell’s Houseは、17世紀当時の家の様子を再現しています。

 

先日その家を訪ねた際、ガイドの人が「当時は窓ガラスはなく、外が臭かったので、匂いがなるべく入らない様に窓が小さいんですよ。」と説明してくれました。

 

以前窓税について書きましたが、17世紀末にはすでに窓ガラスは普及していたことになります。ではイギリスでは窓ガラスはいつ普及したのでしょうか?



古代ローマ時代のガラス

 

窓ガラス自体の歴史は古く、英国博物館が所蔵する西暦170年頃の古代ローマ時代のヘルクラネウム(西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイと共に失われた町)で使われていたものが、現存する最古のものだと言われています。

 

この頃の窓ガラスは、型にガラスを流し込んで作られており厚く(英国博物館所蔵のものは3cm)不透明で、公共の建物や裕福な一部の人々の家に使われていたと考えられています。

 

イギリスもローマ軍の統治下に置かれ(西暦43年〜410年)、その時代の遺跡から窓ガラスの破片が見つかっています。

 

Fragment of window glass, Roman Empire, 100-200, © The Board of Trustees of the Science Museum (creative commons)
 

ガラス製作の秘密


ローマ軍撤退後、しばらくの期間ガラス窓が使われた形跡が無いため、公共風呂など、駐屯していたローマ軍の建物のみに使われ、ガラス製作の秘密は地元民には明かされなかったのだと言われています。(ただし、ローマ時代のガラス工房の遺跡が見つかったとの情報もあり、この辺は定かではありません。)

 

 

イギリス初のステンドグラス

 

イギリスで最初にステンドグラスが使われたのは、イギリス北部ノーサンブリアにあるアングロサクソン時代、西暦674年に建てられたモンクウェアマウス修道院です。


St Peters Church Monkwearmouth by John Armagh (creative commons)


この建設の為にガリア(現在のフランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツの一部にわたる)から職人を呼び寄せたそうです。

 

この頃使われていた方法はマフ法(Muff Method)と呼ばれます。西暦1世紀にシリアで吹きガラスのテクニックが発明され、ガラス業界に革命がもたらされます。西暦3世紀後半からローマでは、この吹きガラスのテクニックをつかったマフ法で、窓ガラスが作られる様になりました。

 

マフ法ではブローパイプの先についた種を吹き、先を切って円筒状にします。そして手前側をパイプからはずして冷やし、縦に切り、再び加熱し広げます。大きさはせいぜい25cmx31cmでした。



マフガラス ©モリスの城

 

不在時にはガラスは倉庫に保存


これ以降、イギリスの教会や修道院の窓、そしてほんの一部の富裕層の家の窓に徐々にガラスが入っていきます。その度にガラス職人がヨーロッパから呼ばれたようです。

 

しかしあまりに高価な為、家の持ち主が不在にするときには、ガラス窓はとりはずされ、倉庫に保管されたそうです。

 

ガラス窓に手が届かない一般の家はどうしていたかというと、動物の皮、羊皮紙、布、油紙を窓に貼ったり、木製のよろい戸を使っていました。

 

 

緑のガラス


1226年に、イギリスで初めてマフ法を使った「Broad Sheet」と呼ばれる窓ガラスが作られますが、質は悪く、緑がかっていて透明度に欠けました。

 

1562年に建てられた建物のドア©モリスの城
 

白ガラス


白ガラス(White Glass)と呼ばれる透明なガラスができるようになったのは12世紀で、フランスが特にその技術に優れていました。

 

 

クラウン法


12世紀から13世紀の十字軍の遠征で、ヨーロッパ人は初めて47世紀ごろにシリアで発明されたクラウン法について学びます。それをもとに、1330年にフランスでクラウンガラス(Crown Glass)が発明されます。

 

 
Diderot Encyclopedia Making Crown Glass 18th c (public domain)
 

中東では小さい丸いガラスをそのまま使用しましたが、新しいクラウンガラスでは円を大きくし、いくつもの長方形を切り出すという方法をとります。

 

最初に種を吹いて球形ガラスを作ります。それにポンテという鉄棒の先を溶着させて切り開き、回転しながら遠心力を使って大きい円形にしていく方法です。

 

冷えたらそれをいくつもの長方形に切ります。真ん中の部分はブルズアイと呼ばれ、それも窓ガラスに使われました。



©モリスの城
                                                      

つやのあるガラス

 

クラウンガラスはマフ法と違い、ガラスが冷えるまで表面が何物にも触れない為つやがあり、マフ法を使ったBroad Sheetよりも表面がなめらかでした。

 

クラウンガラスは、特にノルマンディを中心に製作され、イギリスでも大聖堂の窓や貴族の屋敷等には「ノルマンディ白ガラス(Normandy white glass)」が、15世紀までフランスから輸入されていました。

 

 

イギリスにもガラス工場が

 

16世紀中盤まで、国内での窓ガラスの需要は限られていました。 

 

1560年代になると、フランダースやフランスの宗教改革により肩身の狭くなったユグノーが、イギリスに移住してきます。そして、Jean Carre を初めとするガラス技術者が、「イギリス人にガラス製作技術を伝授するため」にガラス工房を開きます。

 

イギリスにとっては、輸入するより安価に優れたガラスが入手できる様になります。Carreはロンドンにヴェネチアングラスの工場を、そしてサセックス州に窓ガラスの工場を開きます。そして、Carre1567年から21年間独占窓ガラス製作権を得ます。 

 

 

ヨーロッパ人が支えるガラス業界


1572年のCarreの死により、その独占権は失効しますが、彼の成功に触発された多くのガラス技術者が、ヨーロッパからイギリスに移住することになります。これがきっかけで窓ガラスの製作と需要が増えていきます。

 

 

石炭の溶解窯

 

もう一つ窓ガラスの普及に貢献した事柄があります。17世紀初頭に石炭で加熱する溶解窯が発明された事です。

John M / Glasshouse Bridge, Stourbridge Canal / CC BY-SA 2.0


それまでは木材を使用しており、ガラス製作の為に森が次々と伐採されていきました。その為、1615年には木材を使用する溶解窯は禁止されました。

 

同年にRobert Mansell卿がガラス製作の独占権をとり、broad sheetの製作を全国的に展開しました。この独占権は1642年に卿の死をもって消滅しました。

 

 

ガラスの普及

 

1678年には、「孤立した地方の村ではまだ窓にガラスを入れられない貧しい人々がいる」と好古家のジョンオーブリーが述べていることから、この頃までにはイギリス全国にほぼ窓ガラスが普及していたと思われます。