2018年12月11日火曜日

Q:クリスマスに食べるミンスパイは法律違反なの?

イギリスではクリスマスシーズンになると、ミンスパイ(mince pie)がお店に並びます。ミンスパイとは、ドライフルーツの詰まった甘いペーストリーです。日本のお菓子に比べるとかなりヘビーなので、私は最初は苦手でした。ミンスパイのないクリスマスなんてありえないので、仕事先でももらうし、スーパーでも買っていましたが、ん〜、という感じで、好んでは食べませんでした。

 

ホームメイドのミンスパイ

イギリスを何年か離れたのですが、その間に急に食べたくなりました。売ってないなら作るしかない、と、地元のイギリス食材屋でミンスパイに入れるミンスミート(ミンスパイの中身のこと)を探したのですが、ありません。

それを義母に伝えたら、彼女のレシピを教えてくれました。そのレシピで作ったら、それはお店で売っているものと全く違って美味しい!こんなにも違うものかと、それ以来自分で作るようになりました。


©モリスの城

ひき肉が入ってないのにミンス?


一つ、いつも不思議だったのは、どうしてひき肉(mince meat)が入っていないのに、ミンスパイというのだろう、ということです。それにミンスパイはいつから食べられるようになったのでしょう。それを調べてみました。

 

現在のイギリスのクリスマスは、19世紀のビクトリア女王の旦那様アルバート公がドイツ人で、彼がドイツの習慣をイギリスに紹介したことに由来すると言われています。

 

ところが、ミンスパイはもっと昔からイギリスで食べられていました。ミンスパイの紀元は13世紀に遡ります。十字軍が中東から持ち帰ったレシピは、肉とフルーツとスパイスを混ぜたものでした。これは肉を保存する知恵として持ち帰られました。

 

1413321日のヘンリー5世の戴冠式の晩餐では、ミンスミートパイが出されています。

 

 

ひき肉が入ってた!

チューダー朝(14851603)のミンスパイ(クリスマスパイとも呼ばれる)の材料には、 マトンが使われました。ルカの福音書によると、キリスト降誕を一番に知らされたのが羊飼い達だったために、羊肉が好まれたのです。

 

それとスウェット(羊脂または牛脂)を細かくしたものに、砂糖、塩、レーズン、カラント(小粒な干しぶどう)、オレンジの皮、ショウガ、ローズウォーター、そしてメース、ナツメグ、シナモン、クローブといったスパイスが加えられました。キリストと12使徒を祝って13種類の材料が使われたという説もあります。

 

当時のミンスパイは長方形で大きくて、スプーンで切って分けました。ナイフで切るのは縁起が悪いと考えられていたからです。最初の一切れは一番若い人に出され、その人が願をかけました。


©モリスの城

大きなパイ


その後のレシピには、肉に牛タンや子牛や子羊の肉が使われたり、プルーンやデーツ(ナツメヤシの実)が入れられたり、レモンが入れられたり、と色々と変化しています。
 
子羊のもも肉すべてを使って一つのパイを作るというレシピもあるので、パイのサイズもかなり大きかったことがわかります。
 
砂糖は貴重なものだったので、一般の人は、はちみつを使いました。


ミンスパイ禁止令?

 

17世紀になり、清教徒(ピューリタン)革命が起こり、イギリスは共和政になります。当時政治を仕切っていた清教徒は「クリスマスを禁止し、ミンスパイを禁止した」と言われており、未だに「クリスマスにミンスパイを食べるのは法律違反か?」というような記事がまことしやかに出回ったりします。ところが、史実を見てみると、ミンスパイ(やその他の食べ物一切)が禁止された事実はありません。

 

清教徒は、質素を徳とし、華美を嫌う人たちですから、宗教の名の下で行われる、クリスマスの飲んで食べての馬鹿騒ぎは許し難いものではあったようです。何と言っても暴食暴飲は七つの大罪の一つです。

 
 

クリスマス禁止令?


また、元来、キリストの誕生日がいつなのかははっきりしません。ですからずっと昔からあった冬至のお祭りに合わせて、キリストの誕生を祝うようになったのです。その為、教会のミサなど宗教的に重要な日でもありましたが、と同時に、昔からの非宗教的な要素も強く残っており、1647年、 議会は迷信深い習慣であるとして、クリスマスだけでなく、イースター等の祭事を禁止しました。 

 

その日は教会は閉ざされ、人々は通常通りに仕事に行くよう布告が出ました。人々は概ねその布告を無視しましたが、一部の人はクリスマス禁止令に憤慨し、暴動にまで発展しました。でも、その禁止令では食べ物に関しては一切触れられていません。



1659年に公布されたクリスマス禁止事項 (public domain)

 

クリスマスと断食が重なった!


唯一、クリスマスの食べ物に関して布告が出たのは、清教徒革命の内戦中、チャールズ一世が戦いに負ける直前の1644年。

 

その為、議会は、「キリストを思うふりをしながら彼のことをすっかり忘れ、現世的官能的な喜びに身を任せた我々の罪と、先祖の罪を思い出す為に、厳粛なものにすべきである」と、人々に断食をするよう勧めました。清教徒とは何の関係もないのです。



ミンスパイが武器に

 

ではどうして「清教徒がミンスパイを禁止した」という話が出回ったのでしょう。これは クリスマス禁止令に対し作られた、清教徒を揶揄したパンフレットや、1661年に出版された本に紹介された韻文に基づいています。その中に「Treason’s in a December-pye12月のパイは反逆罪)」という一文があります。これは清教徒への風刺なのですが、後世の人々(おそらく君主主義者)がそれを額面通りに紹介し、ミンスパイは政治的武器と化したのです。

 

 

ミンス抜きミンスパイになったのはいつ?


さて、ではいつからミンスパイは肉無しになったのでしょう。どうも18世紀に砂糖が植民地の西インド諸島から入手できるようになり、安価になってからのようです。以前に紹介した「主婦の鏡」Hannah Glasse1747年に出版したレシピでは、肉はオプショナルとなっています。

 

18世紀のレシピを調べたKevin Carterによると、36のミンスパイのレシピの内、三分の一は肉無しだったそうです。19世紀になって出版されたレシピ本を見ると、肉が入ってたり入ってなかったりするようです。

 

ちなみに、ミンスパイの形が長方形から丸型に変わったのは17世紀後半で、サイズはまちまちだったようです。

 

現在は肉入りのミンスパイの方が考えられません。甘いミンスパイを食べながらスパイス入りの温かいワイン(mulled wine)を飲む。それがイギリス流クリスマス時期の過ごし方なのです。ちなみに 24日の夜には、サンタさんのためにもミンスパイを用意しておくのを忘れずに。(トナカイの為に人参も!)

©モリスの城

---------------------------------------
<参考文献>

Love, Suzie, 2014, History of Chrismases Past (Suzie Love)
Macdonald, Allan J. 2017, A Jolly Folly?: The Propriety of the Christian Endorsement of Christmas (Wipf and Stock)
Raffald, Elizabeth, 1786, The Experienced English Housekeeper: For the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &C… (Google Books)
Rätsch, Christian, Müller-Ebeling, Claudia, 2006, Pagan Christmas: The Plants, Spirits, and Riturals at the Origins of Yuletide (Inner Traditions)
Weir, Alison, Clarke Siobhan, 2018, A Tudor Christmas (Jonathan Cape) 

Professor Bernard Capp, Warwick University pod cast on Christmas ban
http://blog.english-heritage.org.uk/recipe-for-real-mince-pies/
https://savoringthepast.net/2012/12/19/the-christmas-pie/



2018年11月23日金曜日

Q:青色はどのように作られたの? 染色の歴史

先日、1516世紀に羊毛産業で栄えたラベナム(Lavenham)という町に行ってきました。その当時に建てられた木骨建築が建ち並ぶこの町は、「イギリスで最も美しい中世の町」と言われます。建築物に関してはまた別の機会にお話しするとして、今回はそこで学んだ染色について書いてみたいと思います。以前紫と赤についてお話ししましたので、今回は青に焦点を当てたいと思います。

 

©モリスの城

古代中国とエジプト


染色の歴史は長く、紀元前2600年に中国で記述されたものが一番古い記録であるとされています。もちろん文字で記されていなくても、それ以前から草木染めはあったのではないかと想像できます。

 

古代エジプトでは、第18王朝(紀元前1570紀元前1293年頃)に植物が使われるようになる前は、酸化鉄を使って赤、茶、黄色の色で染色されていました。

 

その後使われていた植物には、アルカネット()、オルキル(紫)、アカネ(赤)、ベニバナ(黄〜赤)、タイセイ(青)があり、ミョウバンが媒染剤として使われました。媒染剤というのは、染料を繊維に定着する為に使われます。

 

西暦300年ぐらいに書かれたパピルスには、古代エジプトでの染色法について触れられています。


ヨーロッパでは

 

ヨーロッパでは16世紀末に藍がインドから輸入されるようになるまで、タイセイ(Woad、ラテン名:isatis tinctoria)を使って青色を作り出していました。タイセイはアッシリア原生の植物だそうですが、早くにヨーロッパに紹介されたようです。

 

ヨーロッパで一番古いタイセイを使った生地は、オーストリアのハルシュタットで見つかったものです。紀元前1500−1100年に染められたもので、塩鉱から発見されたため、塩のおかげで色があせずにいたのだと考えられています。

 
isatis tinctoria by Alupus (creative commons)

古代ブリトン人はタイセイで敵を脅す

イギリスでも、鉄器時代(紀元前800年〜西暦45年)にはタイセイが使われていたことが、リンカーンシャーのDragonby村の発掘から証明されています。

 ローマ軍が紀元前55年に到着した時には、タイセイの青を体に塗った原住民と対峙しました。ユリアス・カエサルは「すべてのブリトン人はタイセイで自身を塗っており、戦いにおいては恐ろしい様相をなす」と書いています。

敵を怖がらせるだけでなく、タイセイには消毒効果があるので、戦場で傷を負った時に治りが早いから使われたのだ、という説もあります。また、ケルト神話の母神ダヌ(アヌとも呼ばれる)を讃えてそうしたのだという説もあります。


コベントリーブルー

 

1415世紀にはイギリス中でタイセイが栽培され、取引されていました。特に、イギリス南部のサザンプトンで採れたタイセイを使って、イギリス中部にあるコベントリーで作られた青い布は、色あせしない「コベントリーブルー」として、大人気でした。



染料の取り出し方

 

タイセイから青色の染料を取りだすのは、実は非常に手の込んだプロセスなのです。葉をすりつぶし、それを丸めて乾かします。乾いた葉をバラバラしに、発酵させます。それを粉にして、乾かします。今度はそれに水、灰、小麦ふすま、そしてしばらく置いておいた尿につけ、50度まで温めます。火から下ろし、そのまま発酵させ、その工程を通じて酸素を取り除きます。羊毛をそれにつけ、それが酸素に触れると酸化して青い色になります。1キロの葉から採れる染料はわずか14gで、1gの染料で約20gの繊維を染めることができるそうです。

 

Lavenham Guildhall 資料、写真©モリスの城
 

古い尿が必要


ちなみに染料を取り出す工程で使われる尿は、新しいものではダメで、時間が経って発酵、腐敗作用が始まらないと使えないそうです。

 

これにより、その工程はかなり臭かったことが想像できます。その為、リンカーンシャーのタイセイ染めの家族は親近結婚しなければいけなかったそうです。エリザベス1世は1585年に、その匂いに耐えかねて、マーケットタウンや衣料生産を主な糧とする街の4マイル(約6.5キロ)以内、王宮の8マイル(約13キロ)以内のタイセイの栽培は禁止するとお達しを出しました。

 

ただし、実際のところは、匂いだけが原因ではなかったようです。タイセイを栽培すると土壌が痩せてしまうということ。タイセイ栽培は食物生産よりも6倍の利益があったため、タイセイ畑が拡大され、食物の生産量が落ちてしまったこと、等が理由だったそうです。



タイセイvs

 

1600年以降になると、タイセイの栽培はガクンと減ります。これはインドから藍が入ってきたからです。それまでは青色の染料のために育てられていたタイセイは、それ以後、藍の染料を取るため、その発酵を助けるために使われるようになりました。


タイセイで染めた糸 (Lavenham Guildhall 資料、写真©モリスの城)

藍で染めた糸 (Lavenham Guildhall 資料、写真©モリスの城)

ロンドン警視庁お墨付き


19世紀半ばに開発された人工染料により、安価で簡単な染料が市場に出回り、自然染料は市場を奪われます。藍・タイセイで染められた生地は1930年代までロンドン警視庁が使用していましたが、1932年に、ついに最後の商業生産が終わりを告げました。



ラベナムの盛衰

 

ラベナムの繁栄は、14世紀にエドワード3世が織物産業を推奨したことがきっかけです 。一時は、イングランドで最も裕福な20カ所のうちに数えられる程、栄えていました。しかし16世紀になり、オランダからの難民が、ラベナムから25キロ程の距離にあるコルチェスターに住み着き、もっと軽くてファッショナブルな織物を安く提供し、それが原因でラベナムの産業が廃れていってしまいます。

 

 

ハリー・ポッターの生地


ある意味、その後基幹産業となるものがなかったお陰で、当時の建物がまだ多く残っているのです。そして、今は観光や、ハリー・ポッター等、映画やテレビ番組に使われることで、町の収入を主に得ているのではないかと思います。それでも、過去の織物産業繁栄当時の栄光を、大切に守り続けているような気がしました。




参考文献:
 
 Bucchanan, Rita, 2012, A Weaver’s Garden: Growing Plants for Natural Dyes and Fibers (Courier Corporation)
De Bello Gaallico, Lib. V, cc.12,14; Lib.iv, c.33より。http://elfinspell.com/PrimarySource55BCBritons.htmlから引用。
Edmonds, John, 1998, The History of Woad and the Medieval Woad Vat (John Edmonds)
Hartl, Anna, Gaibor, Art Néss Proaño, van Bommel, Maarten R., Hofmann-de Keijzer, Regina, “Searching for blue: Experiments with woad fermentation vats and an
explanation of the colours through dye analysis” (Journal of Archaeological Science: Reports
2 (2015) 9-39)
Hicks, Michael, ed., 2015, English Inland Trade (Oxbow Books)
Iqbal, Noor F.K., Ambivalent Blues: Woad and Indigo in Tension in Early Modern Europe (19050–Article Text-45331-1-10-20130222.pdf)
Kuhad, Ramesh Chander, Singh, Ajay ed., 2013, Biotechnology for Envionmental Management and Resource Recovery (Springer Science & Business Media) 
Little, Maureen, 2014, Home Herbal: Cultivating Herbs for Your Health, Home and Wellbeing (How To Books)  
Morton, John Chalmers, ed. A Cyclopedia of Agriculture: Practical and Scientific, in which The Theory, The Art, and The Business of Farming, Are Thoroughly and Practically Treated (Blackie and Son, London) 
O’Neill, Charles, 1869, A Dictionary of Dyeing and Calico Printing: Containing a Brief Account of All the Substances and Processes in Use in the Arts of Dyeing and Printing Textile Fabrics (Henry Carey Baird, Philadelphia) 
Van Der Veen, M., Hall, A.R., May J., 1993, ”Woad and the Britons Painted Blue”, Oxford Journal of Archaeology, vol.12, Issue 3 (Basil Blackwell Ltd.) 
Watts, D.C., 2007, Dictionary of Plant Lore (Elsevier) 
ギリシア語錬金術文献集成「錬金術断片集」002 錬金術(断片集)(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/fralchem02.html 
http://www.woad.org.uk/html/extraction.html