2018年2月26日月曜日

Q:昼食はランチ?ディナー? 食事の歴史

前回朝ごはんについて書きましたが、お昼ご飯はどうなっていたのでしょう。 
 
 

一番大切な食事


以前に昼食は1日で一番重要な食事だったと書きました。しかし、生活のリズムが変わるにつれdinnerの時間が遅くなり、16世紀には朝11時だったのが、17世紀には121時、18世紀半ばまでには23時、18世紀後半までには45時になります。



農業従事者の休み時間

 

Dinnerの時間が遅くなると、朝ごはんとdinnerの間に何かつまみたくなります。17世紀後半に使われるようになったのがLuncheonという言葉です。中世の頃から農業従事者の休み時間としてnuncheonがありました。これは、日の出から9時間目を表わすnoonと飲み物を表わすscenchと言う言葉を掛け合わせた単語です。

 

飲み物だけでなくもう少し時間をとってlump(塊パンの事。スペイン語のスライスlonjaという説もある)も食べるという事で、nuncheonlumpLuncheonという言葉が生まれました。最初に記録に残っているのは1652年だそうです。でも私たちが思い浮かべる昼食になるまでにはまだ時間がかかりました。



産業革命が食事を時間を変える

 
食事の時間に大きな影響を与えたのは産業革命でした。17世紀の後半までは、手工業が主で、ほとんどの人が家で仕事をしていました。綿工業の機械の発明から、蒸気機関の出現、それから始まる技術革新によって人々は工場に出かけて働くようになります
 
労働時間が設定され、通勤する人が増えたことにより、 食事は、朝早くか仕事から帰ってきてからするようになったのです。その為、お昼は持ち運びができて簡単に食べられるものになりました。


炭鉱に落としても壊れないパイ

 

例えばCornish Pastyは、1718世紀にコーンウォール地方の炭鉱労働者の為に生まれたものです。

 
A Cornish pasty made by Warrens cut in half. The filling is beef steak, potato, turnip and onion by David Johnson (creative commons)
 
牛肉、ジャガイモ、玉ねぎ、スウェーデンカブが、濃厚なソースと共に、しっかりとしたペーストリー生地の中に入っています。半分には肉野菜、半分には果物を煮たものを入れ、メインとデザートを一つで楽しめるように作っていた人もいるそうです。
 
地上から炭鉱の中に落としても割れないくらい生地はしっかりしているそうです。そして労働者は手を洗わないでかぶりつき、中身だけ食べたのです

ゲームしながら食べれるもの

もちろん、イギリスでランチといえばサンドイッチです。サンドイッチ伯爵ジョン・モンタギューがサンドイッチを「発明」したのは1760頃だと言われています。

この話は1770年に発行されたLondresという旅行書の中に記載された事がきっかけで有名になりました。著者のGrosley1765年にロンドンに滞在した時の事をこう書いています。

「大臣は24時間ゲームテーブルで過ごし、熱中していたあまり、ゲームの間、2枚のトーストに挟んだローストビーフ以外の物は口にしなかった。ゲームを中断する事なく食べられるこの新しい料理は、私のロンドン滞在中、非常にトレンディになり、それを発明した大臣の名前で呼ばれていた」

この大臣とはサンドイッチ伯爵のことです。手を汚さずに食べられるサンドイッチはあっという間に人気の食べ物となりました。
 

蛇足ですが、私がロンドンに最初に滞在した1980年後半。その頃にはありとあらゆるところにサンドイッチバーがありました。具が何十種類も並んでおり、好きなパンに好きな具を選んで挟んで作ってもらい、それを持って近くの公園で食べたものです。でも1990年後半にはそのような店はほとんど見かけなくなりました。

John Montagu, 1718-92, 4th Earl of Sandwich, 1st Lord of the Admiralty
By Thomas Gainsborough (public domain)

レディもお腹すくの


さて、19世紀の初頭にはdinnerの時間まで待てない上流階級のレディ達が1時ぐらいに軽食をとるようになりました。通常家の中で一人で、または近親の者と一緒にパンにハム、チーズ、フルーツ、そしてワインか紅茶かコーヒーといったものを食しました。

 

それが次第に友達を呼んで一緒に食べるようになり、Luncheonと呼ばれるようになりました。「自然に帰れ」と呼びかけた時代。農夫の習慣からインスピレーションを得たのかもしれません。

 

これには男性は含まれませんでした。上流階級の男性は通常家にいなく、お腹がすくとタバーンやコーヒーハウス、または行きつけの会員制のクラブで食べましたが、「ランチョン」という言葉は女々しいと思われたのでしょう、使われませんでした。

 
 

男性も使い始める


19世紀末までにはついに男性もその言葉を受け入れ、ビジネスマンにとってもランチは大切な食事となりました。ちなみに「ランチョン」を短くした「ランチ」という言葉は1829年に最初に使われたそうです


学校給食

 
さて、上流階級のレディやジェントルマンがランチ(ョン)を楽しんでいる一方で、ビクトリア時代の貧困はかなり深刻でした。労働階級の親は、働いても働いても子供に十分食べさせてやることができない状態でした。
 

見るに見かねて、マンチェスター市が1879年に、初めて貧しい子供達に学校給食を提供しました。それは他の地区にも広がりましたが、全国的ではありませんでした。

 
国が深刻に学校給食のことを考えるようになったのは、戦争になり、兵隊として送るべき国民が栄養失調で小さく、とても戦える状態でないということが判明してからです


Lunchtime in the canteen at Chipstead Counci School in Surrey during 1942 (public domain)

戦争のおかげでできた食堂

戦争は工場で働く人々の昼食も変えました。

フランスとの戦争が1815年に終わりますが、その影響で食物の値段が高騰し、労働者は生活に苦しんでいました。フランス革命の影響で労働者が力を持つのを恐れた政府は、デモを厳しく取り締まりますが、それは逆効果で、労働組合が広がり、ますます力を持つようになり、労働者の安全と健康への関心が高まっていきました。

1次世界大戦中には、生産性を高めるため、工場に食堂が作られるようになり、お昼に栄養価の高い温かい食事を取れるようになりました。それは戦後の学校給食のモデルともなりました。ちなみに食堂で出される食事はdinnerと呼ばれ、食堂のおばさんはdinner ladyと呼ばれています。


お昼はランチでディナー

 

以前食事の話は同僚とのおしゃべりから始まったと書きましたが、同僚の「スクールディナーがディナーというのは、ほとんどの子供は貧しくて、学校で食べる食事がメインの食事だったから」という説には信憑性があります。それまでパンの塊とりんごぐらいで済ませていたのが、温かい食事を取れるようになり、お昼の温かい食事は、歴史的にdinnerと呼ばれていたからかもしれません。もちろんランチという言葉が、まだ当時富裕層のものであったいう理由もあると思います。

 

現在、労働階級の人やロンドンから離れた地方の出身者は昼食のことを「dinner」と呼び、中上流階級者やロンドン近郊出身者は「lunch」というそうです。ところで、中上流階級者やロンドン近郊出身者は夕食のことを「dinner」と呼びますが、では労働階級の人や地方出身者たちは夕食のことを何というのでしょう?これは次回に検証してみたいと思います。


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<参考文献>

Allen, Robert W.  and Albala, Ken, 2003, Food in Early Modern Europe (Food Through History): Greenwood
Shipley, Joseph Twadell, 2001, The Origins of English Words: A Discursive Dictionary of Indo-European Roots: The Johns Hopkins University Press, New Ed edition
Wilson, Bee, 2010, Sandwich: A Global History: Reaktion Books
Long, Vicky (University of Warwick), "Health in the Workplace from the Factory Acts to the Second World War" (for People’s History Museum and Centre for the History of Medicine) 

Gillard D, 2003, Food for Thought: child nutrition, the school dinner and the food industry (www.educationengland.org.uk/articles/22food.html )

Johnson, Ben, The Cornish Pasty, Historic UK (http://www.historic-uk.com/CultureUK/The-Cornish-Pasty/)

Kane, Kathryn, Mealtime of the Regency Day, The Regency Redingote (https://regencyredingote.wordpress.com/2009/06/12/mealtimes-of-the-regency-day/)

Trade Union Congress, History Online (http://www.unionhistory.info/timeline/1815_1834.php)


2018年2月11日日曜日

Q:イギリスではいつから朝ごはんを食べるようになったの? 食事の歴史

 

さて、前回ローマ時代から中世までの食事の習慣を見てきました。中世では一日に2回、dinnersupperをとっていたと書きましたが、ではイギリスではいつから朝ごはんを食べるようになったのでしょう。

 

 

朝食を食べれるのは例外


まずは中世に戻ります。富裕層の場合、結婚式やその他の儀式的な場において、豪華な朝食が振舞われることがありましたが、それは 例外でした。労働者や病人などは朝食を食べることが許されていましたが、だいたいにおいてパンとエール(ビールの一種)のみでした。

 

 

液体の朝食


貴族の一行が王様に会うのに出かけたりと、馬に乗って、または歩いて長旅をする場合、朝食はエールのみでした。「liquid breakfast」(液体の朝食:朝食にお酒を飲むこと)というのは今では嘲笑的に使われる言葉ですが、当時は当たり前だったのです。子供でさえも18世紀ぐらいまでは水の代わりにエールを飲んでいました。それというのも、水質にかなり問題があったからです。


Pilgrims leaving Canterbury, taken from Lydgate’s Siege of Thebes, 1455-1462 (public domain)

 

長時間労働


16世紀になると働き方が変わってきます。それまで畑で働くか、自分の家で仕事をしていたのが、この頃になると都市部では他の人の下で働くことが多くなってきました。労働時間も決められ、それも長時間でした。

 

1515年のある法令によると、職人と人夫は、3月半ばから9月半ばまでは朝5時から夜の7時か8時まで働くべきで、休み時間はdinnerをとる1時間半のみ、とされています。そうなると、朝しっかり食べないと体が持ちません。



ヨーロッパの習慣

 

皇族貴族はまた話が違います。フランスでは16世紀に、フランソワ一世(1494 – 1547)がサレルノ医学校(Scuola Medica Salernitana)の中世の教えに従って「朝5時に起き、9時に食事をとり、5時に夕食をとって9時に寝る」のが真っ当であるとし、やっと朝早くに朝食を食べるのがトレンディになったそうですが、イギリスの上流社会に朝食の習慣が入ってきたのはヨーロッパに亡命していたチャールズ二世(1630-1685)がイギリスに戻ってきてからだと考えられています。

 

 

朝食の登場

 

1660年に王政復位し、フランスの習慣を持ち帰ってきたのでしょう、それを真似て、貴族たちの朝の食卓にコーヒー、紅茶、スクランブルエッグなどが登場するようになりました。

 

ちなみにオランダを通じてイギリスに紅茶が入ってきたのは1650年代ですが、非常に高価で、皇族か高官でなければ手が出ませんでした。紅茶が一般に販売されるようになったのは1657年ですが、紅茶が一般に広まったのは1662年にチャールズ2世がポルトガルの王女キャサリンと結婚してからです。

 

 

朝食パーティ


紅茶好きのキャサリン妃のおかげで紅茶がファッショナブルになり、貴族の間で朝食パーティが開かれるようになりました。紅茶の他にパン、バター、ジャム、そしてコーヒーとチョコレートが出されました。1740年代後半までには富裕層の自宅には朝食室(breakfast room)が作られるようになりました。


バッキンガム宮殿朝食室 1817年 (public domain)

過去の栄光

 

ここからイングリッシュブレックファーストの誕生への道のりについて、Kaori O’connorは『The English Breakfast: The Biography of a National Meal, with Recipes』の中で興味深い考察をしています。1783年にアメリカが独立し、イギリス帝国を揺さぶります。それに加えて産業革命や都市化による急激な社会変革により、イギリス人は古き良き時代を振り返るようになります。

 

 

「本物の」イギリス料理


アングロサクソン時代を理想化し、そこにイングランドのアイデンティティを求めるようになります。それまでのフランスや植民地からのエキゾチックな食べ物から一転、シンプルな「本物の」イギリス料理を求めるようになったのです。前回そのルーツがアングロサクソン時代にあると述べましたが、それが19世紀前半のイングリッシュブレックファーストの誕生につながったのです。

 
 

紳士階級の朝食

 

とは言っても、その頃の朝食は私たちが今考えるイングリッシュブレックファーストとは少し違いました。地方の紳士階級の豪邸で出される朝食には卵、ベーコン、ソーセージの他に、魚や仔牛や子羊の腎臓、ヤマウズラやキジ等の猟鳥が含まれました。

 

また、シンプルな「イギリス料理」と言いましたが、メニューにはインド料理を由来とするケジャリーという料理も含まれました。ケジャリーとはドライカレーに似た食べ物で、ご飯に魚、カレー粉、バター、茹で卵、パセリを混ぜたものです。 


ケジャリーのレシピはこちらから。
 

産業革命やそれに伴う貿易の発展が影響して、19世紀の間に特に都市部で台頭してきた中流階級も、貴族を真似て似たような朝食をとるようになりました。 

 

 

貧しい家庭の朝食


1863年の調査によると、貧しい家庭の朝食はtea kettle broth(温めた牛乳にパンを浸して塩を加えたもの)、パンとバター、パンとチーズ、牛乳とオーツ麦で作られたポリッジ(おかゆ)、オートミールまたはその薄めたもの(gruel)でしたが、特に19世紀末には、冷蔵技術の発展により食物の値段が下がったこともあり、パン、バター、ジャム、紅茶かビールの他に、ある日は卵、ある日はベーコンと、食べるものが広がりました。

 

 

コーンフレークの発明


1894年にはアメリカでJohn Harvey Kelloggがコーンフレークを発明します。イギリスにその商品化されたものが最初に輸入されたのは1924年です。そして1938年にはイギリス本土にケロッグの工場がつくられました。箱を開けて器に入れるだけ、というその簡易性と、衛生性のおかげで、ケロッグのコーンフレークはあっという間に広まり、イギリスの朝食を永遠に変えてしまいます。

 

1919 Kellogg's Toasted Corn Flakes ad (public domain)

 

戦争の影響


また、度重なる戦争で食料不足に陥り、卵やベーコンは配給制になり、なかなか一般家庭では毎日食べる事が出来なくなってしまい、それもイギリスの朝食が変化していった理由です。

 

 

パブリックスクールで生き延びた


それではイングリッシュブレックファーストはどこへ行ってしまったのでしょう。

 

シンプルなイギリス料理とその朝食は、健康だけでなく道徳的にも重要だと考えられ、イギリスのパブリックスクール(もともと14世紀に貧しい子供たちを対象にした無料の神学大学準備校として始まったが、その後国の中枢を担うエリート層の育成機関になった)で生かされていたとKaori O’Connorは書いています。上級生が下級生に作らせて正当な作り方を叩きこんだそうです。



そしてイギリス帝国へ

 

良家の子弟は軍の将校、牧師、政府高官になることが多いので、彼らを通じてイギリス帝国に広まりました。そこからイギリスというとイングリッシュブレックファーストというイメージが定着したのでしょう。今でもイギリスのホテルやベッドアンドブレックファーストでは旅行者にイングリッシュブレックファーストを出すところがほとんどです。

 

 

ベタベタのスプーン


さて、現在イングリッシュブレックファーストというと、ホテルで旅行者に出されるものの他、Greasy spoon (直訳するとベタベタのスプーン。安い炒めものを専門とする小さなダイナータイプのレストランの事)で労働階級の人が食べるもの、というイメージがありますが、いつからそうなったのでしょう。実はそれは1950年代になってからなのです。

 

 

F&Mでしか買えないベイクトビーンズ


イングリッシュブレックファーストに欠かせないベイクトビーンズはアメリカからの輸入物なのですが、1920年代に入ってきたときにはとても高価で、フォートナム&メイソンでしか買えなかったそうです。それが安価になって一般に普及したのは1950年初頭です。

 

 

労働階級の朝ごはん


このころにはGreasy spoonがあちこちに出来、イギリス人の約半数は朝にイングリッシュブレックファーストを食べていたといいます。そして今まで財政的に恵まれた人のものだったイングリッシュブレックファーストが、真に労働階級のものとなったのです。



朝食の進化

 

ウォリック大学のRebecca Earle教授によると、現在ではイギリス人の5%しかイングリッシュブレックファーストを食べないそうです。イングリッシュブレックファーストは油が多くて体に悪いという人もいます。反対に朝ごはんをしっかり食べたほうが体にいいという人もいます。周りを見てもトーストで済ませる人、コーンフレーク等で済ませる人もたくさんいますし、「二日酔いだ〜」と言って強壮剤とチョコレートバーで済ませる人もいます。一方、健康志向からポリッジやミュズリを食べ、スムージーを飲む人も多くなっています。このようにこれからも朝食はまた進化していくのでしょうね。

次回は昼食について見てみたいと思います。




<参考文献> 
Anderson, Heather Amdt, 2013, Breakfast: A History: AltaMira Press
Crole David, 1878, Tea, its Mystery and History: London, Simpkin, Marshall & co., 
Lawrence,  Felicity, 2008, Eat Your Heart Out: Why Food Business is Bad for the Planet and Your Health: Penguin
O’connor, Kaori, 2013, The English Breakfast: The Biography of a National Meal, with Recipes: Bloomsbury Academics; Reprint edition
Scully, Terence, 1995, The Art of Cookery in the Middle Ages: Boydell Press

Mortimer, Ian, How the Tudors invented breakfast’ by , published in BBC History Magazine April 2013 

「美味しいイギリス料理」 日本で作れるイギリス料理のレシピを紹介しているブログです。ケジャリーの写真はこちらから拝借しました。
https://oishii-igirisu-ryori.com/