2018年3月25日日曜日

Q: ドアの脇の穴は何?


イギリスでは、2月末から3月頭にかけて大寒波が来襲しました。「Beast from the East」(東から来た獣)と名付けられたシベリアからの寒気が、はるばるイギリスまでやってきて、その後、雪嵐エマがそれにぶつかり、通常温暖なイギリス東部でも雪が20cmぐらい積もりました。

この辺は3日もしないうちに全てとけてしまったのですが、それでも雪に慣れていないイングランドの事。学校は閉鎖し、電車も止まりました。

 イギリスの電車はそれでなくてもよく止まります。今まで聞いたとんでもない言い訳には、「強すぎる日差し」「悪い種類の雪」「線路の上の木の葉」「ツルツルした雨」などがあります。それもあり、イギリス人達は「雪がチラホラ降るだけで全てが止まる」と冗談を言っていました。


泥落とし

 
雪用のブーツで仕事や買い物に出かけ、帰ってきた時に再発見したのが家のドアの脇にあるboot scraper (靴の泥落とし)です。玄関で靴を脱ぐとはいえ、家の中に雪や泥を持ち込みたくないと思い、使ってみました。
 
横のバーに足を乗せ、手前に引きます。建物にくっついているせいか、思ったよりは使い心地は良くなく、「とれた〜」という爽快感は残念ながらありませんでした。まあとるほどの雪や泥が付いていなかったせいかもしれませんが…。

©モリスの城
 

家に持ち込まないで!


街を歩いていると、結構目にするドアの脇にある穴。それがboot scraperです。その昔は道は舗装されておらず、雨が降れば道はぬかるみ、しかも馬車が通っていたので馬の糞もありとあらゆるところに落ちていました。
 
しかも以前に述べたように、人の排泄物も道にあふれていました。でも日本と違って家の中でも靴を履いて過ごすお国柄。汚いものをなるべく外で落としてから家に入りましょう、ということなんですね。


家の中で泥を落とすべし

 
あまりに地味な存在であるBoot scraperの歴史に関しては、あまり資料がありません。どうも最初に文学に現れたのは、『ガリバー旅行記』で有名なジョナサン・スウィフトが、1745年に召使の心得に関して書いた、風刺論集『召使心得』のようです
 
そこには、「泥落としで靴を綺麗にするな。その代わり入り口で、もしくは階段の一番下の段で綺麗にすべし。そうすれば1分でも早く家にいたことを評価されるだろう。そして泥落としは長くもつ」と書いてあります。もちろんこれは冗談です。


道を歩くのは貧しい人だけ

 
Laurence Rosier教授はベルギーに関してですが、こう書いています。「ローマ時代に歩道が作られたが、ヨーロッパの都市では18世紀後半になるまで、道を歩くのは貧しい人だけで、富裕層は馬車で行き来していた。18世紀後半になると、富裕クラスの人も馬車から降りて道を歩くようになり、散歩が流行った」

そのおかげで19世紀に、歩道や公共の公園や屋根付きのショッピングアーケードができたそうです。そして履物も、柔らかいカーペットの上を歩く室内用の靴から、ヒールの低い歩きやすい靴へとデザインも変わってきました。

富裕層が道を歩くようになると公共投資が行われ、1810年代には泥落としが通りにずらりと並んでいたそうです。でもベルギーでは、1840年には、安全の為に通りから取り除くように命令が出ました。その代わりに家の玄関の脇に作られるようになりました。


古い泥落とし

 
イギリスでも似たようなものかもしれません。私が見つけた一番古い建物についた泥落としは、イーリー大聖堂がまだ修道院だった1397年に建てられた門と、同じく修道院の一部であった別の建物についているものですが、それが当時からあったものなのか、後になってつけられたのかは定かでありません。

14世紀に建てられた門 ©モリスの城
14世紀に建てられた修道院の建物の一部 ©モリスの城
 

18世紀のデザイン


18世紀のものは比較的簡略的なデザインが多いようです。

16世紀の家だが入り口は18世紀のもの。©モリスの城
18世紀に建てられた家。元は倉庫か。©モリスの城

埋め込み式

 
18世紀後半から19世紀に建てられた、通りに面するテラスハウス(terraced house)には、省スペースの為か家の一部に穴が開けてあるものが多く見られます。

©モリスの城

©モリスの城
  

おしゃれなデザイン

 
でもこの家の様にエレガントに手すりとコーディネートされているものもあります。 

18世紀後半〜19世紀に建てられた家 ©モリスの城
 
また、ホテルや商業街のようなところでは違うデザインが見られます。

19世紀に建てられたホテル ©モリスの城
19世紀に建てられた家。川の近くなので商業用だったのか。©モリスの城
 
 
ケンブリッジのWescott Houseにはこんなにかわいいものも。
ブタとうさぎのペア。©モリスの城

姿を消した泥落とし

 
さて、この泥落としも20世紀に入ると姿を消します。その理由として三つ考えられます。道路が舗装されるようになったこと、そして自動車が登場したことにより馬車が減り、従って糞が少なくなったことです。ちなみにイギリスでは騎馬警官がおり、要人の護衛やサッカーの試合などの群衆制御をしている為、未だに道の真ん中に馬の糞を見かけますが。
 
それから、衛生観念が高まったことと、下水道の整備により、道がきれいになったことです。泥落としの代わりにドアマットが使われるようになったようですが、残念ながらドアマットの歴史については全く資料が見当たりませんでした。

 

 

イギリス人も靴を脱ぐ


気がついたのですが、ここ10年ぐらいでイギリス人でも家で靴を脱ぐ人が増えてきました。
 
2008年ぐらいから、ゲストに「靴を脱げ」というのは妥当かどうか、新聞やオンラインで議論が繰り広げられています。「靴下に穴があいてるのが見えると恥ずかしいから、靴を脱ぐな」と母親に言われて育った人。「せっかくヒールを履いて着飾って行ったのに、靴を脱がなくてはいけなくなって太って見えた」という人。「庭に出たり入ったりするのに、いちいち靴をはき替えるなんて合理的ではない」という人。
 
年配の人は相変わらず靴のまま家に入る人が多いですが、特に若い世代ではドアを入ってすぐのところで靴を脱いで、家の中はルームシューズや裸足で歩き回る人が多くなりました。 
 
日本だけでなく、スウェーデンでも家の中では靴を脱ぐので、外国からの影響かもしれません。インテリアにお金をかける様になり、クリーム色の絨毯やフローリングを守りたいと思う人が増えたからかもしれません。 また、靴が泥だけでなく、除草剤の様な毒素やバクテリアを家に持ち込む事が、広く知られてきたからかもしれません。 
 
でも、相変わらずドアマットできれいにすれば大丈夫と思っている人が多いのも事実です。

 

 

現在の泥落とし


Bootscraperに話を戻しますが、現在でも、庭用に持ち運びの出来るものが売られています。鉄製の物からマットまで、デザインも様々です。

©モリスの城

©モリスの城
庭?と思われるかもしれませんが、特に田舎に行くと庭で馬や鶏を飼っている人もいます。私の上司の家の敷地には馬が2頭、アルパカが5頭、 ロバが1頭、その他ホロホロ鳥や鶏などがいます。また、家庭菜園や果樹園がある家もあります。
 
また、そんなに大きい庭がなくても、犬を飼っていれば、ぬかるんだ小道や川沿いを散歩した後に、ブーツの泥をとる必要がありますし、ハイキングが好きな人は、あるかないかわからないような小道を歩いた後に、ハイキングシューズを綺麗にする必要があります。
 
私の子供はボーイスカウトに入っていますが、ウォーキングに行くと必ず2cmぐらいの粘土の様な泥がついたブーツで帰ってきます。そんな時にはやはりboot scraperは便利なのです。


<参考文献>

Swift, Jonathan, 1745,  Directions to Servants in General: And in Particular to the Butler, Cook, Footman, Coachman, Groom, House-steward, and Land-steward, Porter, Dairy-maid, Chamber-maid, Nurse, Laundress, House-keeper, Tutoress, Or Governess, Volume 1

http://www.independent.co.uk/property/house-and-home/rise-and-fall-of-the-boot-scraper-2341628.html 

2018年3月11日日曜日

Q: 「tea」って食事なの? イギリスの紅茶の歴史

 

俳優のギイリー・オールドマンが、先日のアカデミー賞受賞のスピーチで、98歳のお母さんに向けて「Put the kettle on – I’m bringing Oscar home.」と言いました。「やかんをつけて紅茶をいれる用意をしておいて。今オスカー像を持って帰るから」という意味です。とてもイギリス人らしい表現です。ちなみにイギリスのやかんは電気ケトルが一般的で、あっという間に沸きますが、電気ポットのように保温はできません。

 


紅茶が人生におけるすべての答え

 

イギリスにいると何かというと紅茶を飲みます。嬉しい時、悲しい時、紅茶が人生における全ての答えのように感じることがあります。うちの電気ケトルが壊れて、朝に紅茶が飲めなかった時、イギリス人の友達は口を揃えて「なんてこと!そんな野蛮な!自分だったら生きていけない!」ともちろん半分冗談ですが大騒ぎしました。



tea」に招待されたらご注意を!

 

また、イギリスに住んだことのある外国人なら必ずと言っていいほど混乱するのが「tea」という表現です。夜の7時にティーに呼ばれて、こんな時間にお茶をしてたら帰りが遅くなるからと食事をしてから行ってみたら、フルコースのディナーが用意されていた、という話もよく聞きます。実はイギリス人にとって「tea」とは夕食のことも意味するのですね。

 

では、どうしてteaが夕食の事を指すようになったのか、そしてイギリス人の紅茶への偏執はどこから来たのか探ってみたいと思います。



女王にエールを出すイギリス

 

さて、以前に紅茶が中国からオランダを通じてイギリスに紅茶が入ってきたのは、1650年代だと書きました。当時は主に薬として処方され、とんでもなく高価なものでした。

 

紅茶が一般に広まったのは、チャールズ2世がポルトガルの王女キャサリンと結婚してからです。1662年に、キャサリン王女はチャールズ2世と結婚する為、ポルトガルから船に乗ってイギリスにやってきました。イギリスに着いてすぐに「紅茶を頂戴!」と言いましたが、出てきたのはなんとエールでした。紅茶はまだ普及していなかったのです。



ありとあらゆる病気への効用

 

紅茶が一般に販売されるようになったのは、1657年にThomas Garwayが紅茶を輸入し、コーヒーハウスで出すようになってからです。1668年のThomas Garwayの広告には、紅茶のありとあらゆる病気への効用が羅列してあります。

 
 

レディも買えるようになった


トワイニングの創始者Thomas Twiningが、自分のコーヒーハウスで紅茶を売り始めたのは、1706年です。この時代には、コーヒーハウスは女性禁制でしたので、レディ達はコーヒーハウスの外に馬車を止め、従僕に買いに行かせました。

 

彼の賢いところは小売店を始めたことです。1717年にイギリス初のコーヒー&紅茶の専門店をオープンしたことで、女性が買いに行けるようになったのです。




©モリスの城

 

なぜ紅茶が広まった?


紅茶が広まった理由にはいくつかあります。一つには、コーヒーのように炒たり挽いたりする必要がないので、家で手軽に楽しめること。そして、だんだん薄くなるとはいえ、同じ茶葉で何度も楽しめる為、コストが低いこと。そして紅茶にかかる関税が、18世紀から19世紀にかけて、どんどん下がったこと。1833年には東インド会社が独占権を失ったことで、紅茶の値段が下がったこと。また、イギリスの植民地であるインドのアッサムで、原産のお茶が見つかったことも値段が下がった理由です。

 

しかし、何よりも、水質に問題のあった時代、沸騰してから入れる紅茶は、飲んでも安全だったということがあります。こうして19世紀を通じて、紅茶は労働階級にも広まりました。



アフタヌーンティー

 

さて、イギリスといえば「アフタヌーンティー」。これはいつ始まったのでしょう。

 

これは、7代ベッドフォード公爵夫人Anna Maria Stanhorp (1788~1861)が始めたのがきっかけだと言われています。以前にdinnerの時間が時代とともに遅くなってきたと書きましたが、19世紀半ばになると、その時間は8時になります。ランチとディナーの間が長く、しかも当時の女性はコルセットを締めていたので一回に食べられる量も限られていたでしょうから、かなりお腹が空いていたのだと思います。

 

1841年に、ウィンザー城に滞在する彼女が、義理の弟に当てた手紙の中で、5時頃にお茶をすることに触れています。内輪のお友達を私室に呼んで、お茶を飲み、サンドウィッチやケーキをつまんでいたようです。

 

その後、彼女がロンドンの家に戻り、アフタヌーンティーパーティをするようになってから、それがトレンディになったといいます。この頃は「low tea」と言われていました。というのは、ソファーやひじ掛けイスに座って、低いコーヒーテーブルを囲んで食べたからです。


©モリスの城

午後に行われるモーニングコール


上流階級の女性にとって、友達や親戚を訪ねる「morning call」というのが大切な習慣でした。20世紀になるまでは、このmorningとは午前中のことではなく、「dinnerの前」という意味でした。Dinnerの時間が遅くなるにつれて、morning callの時間が遅くなり、ビクトリア時代には夕方3時から7時ぐらいの時間になったそうです。19世紀の半ばには「morning call」と「アフタヌーンティー」は同じことを示すようになりました。



労働者たちは

 

労働者たちは、夕方1日の仕事が終わり、家に帰ってからすぐにご飯にしました。やはり食事と一緒に紅茶が出されたので、それは「high tea」と呼ばれました。

 

high」というのは、低いコーヒーテーブルでなく、高い食卓で食べたからです。また、新しいトレンドに批判的な地方の中流家庭も、18世紀からの習慣で夕方に食事をしました。これがいつの間にか、シンプルにteaと呼ばれるようになったのですね。



地方vsロンドン

 

ここに地方対都市、伝統対モダン、労働階級対上中流階級という図式ができたのです。ロンドンを中心とする上中流階級は、夜遅くまで遊んでいることもあり、朝ごはん・ランチ・アフタヌーンティー・ディナー・サパーというパターン。労働者、地方の中流家庭は朝ごはん・ディナー・ハイティー・サパーというパターンになったのです。

 

現在は「ハイティー」とは言わず、ただ単に「ティー」と言われます。ちなみに、子供の夕食については、一般的に「ティー」と呼ばれています。



イレブンジーズ

 

最後になりますが、elevenses(イレブンジーズ)というのは何でしょう。これは朝の11時に、紅茶とビスケットやケーキを食べる習慣です。 

 

Alan DavidsonThe Oxford Companion to Foodの中で、この言葉が18世紀後半に使われ始めたとしていますが、その他の資料は見つかりませんでした。

 

紅茶が庶民に普及したのが19世紀だと考えると、elevensesが定着したのは19世紀後半から20世紀前半ではないかと考えられます。

 

映画化された「指輪物語」では、ホビットの食事の一つにelevensesが数えられていますが、1937年から1949年に書かれた本の中では、elevensesは食事というよりも、11時を意味する言葉として使われているように見えます。1926年から出版された「くまのプーさん」や1958年から出版された「くまのパディントン」には朝のおやつとして出てきます。



お茶の時間

 

基本的にイギリス人は、11時のお茶の習慣を大切にしていますが、仕事をしているとなかなかその時間に休みを取るわけにもいきません。私の仕事場では、お昼休みが遅い人が朝の休み時間を取り、10時すぎから11時までの間に順番に休みます 。ちなみにお昼休みが早い人は3時過ぎから4時の間です。オフィスで働いている人は時間にとらわれず、お茶を飲みたい時にデスクで半分仕事しながら休憩を取る人もいます。反対に、大工さんや配管工等の中には一日中お茶ばっかり飲んで全然仕事しない人も結構いるようです。




<参考文献> 

Broomfield, Andrea, 2007,  Food and Cooking in Victorian England: A History: Praeger
Crole, David, 1878, Tea, its Mistery and History: Simpkin, Marshall & Co.,
Davidson, Alan, 2014,  The Oxford Companion to Food: Oxford University Press
Fromer, Julie E., 2008, A Necessary Luxury: Tea in Victorian England: Ohio University Press
Watkins, Sarah-Beth, 2017, Catherine of Braganza: Charles II’s Restoration Queen: Chronos Books

http://www.tsiosophy.com/2012/11/thomas-garways-broadsheet-advertisement-for-tea/
トワイニングのサイト:https://www.twinings.co.uk/about-twinings/history-of-twinings