2020年12月31日木曜日

Q:野鳥は牛乳泥棒だったの? 牛乳の歴史

うちではずっと牛乳をスーパーで買っていたのですが、最近配達してもらうようになりました。

 

 

環境問題のためにできること


一番の理由は、中学生の息子が、環境破壊について偉い人は何もしてくれない、と愚痴を言ったこと。私は「自分たちでできることからやらないとね」と言ったのですが、では自分は何ができるだろうと考え、プラスチック容器を減らす手っ取り早い方法として、ガラス瓶に入った牛乳を配達してもらうことにしました。

 

牛乳屋さんは電気自動車で配達し、使ったガラス瓶を回収、殺菌、再利用するので環境に優しいのです。

 

 2017年にBBCで放映された「Blue Planet II」、そしてグレタ・トゥーンベリさんの影響で、イギリスでも一般の人たちが環境問題に積極的に取り組むようになり、それまで下降の一途をたどっていた牛乳配達が見直されてきています。

母乳は人間用


牛乳の歴史は古く、イギリスでも昔から牛乳を飲んでいました。一つ屋根の下、家畜と一緒に住んでいた人もいました。自然に乳がでるのは子供を育てる5月〜9月ぐらいですが、それで生業を立てている農家は、できるだけ長期間にわたって搾れるように、牛に子供が生まれると哺乳瓶で育て、母牛のミルクは人間用に大切に搾りました。 

 

 

冬の牛乳は夏の3倍の値段!


15世紀には、冬の牛乳は夏の3倍の値段したそうです。と同時に、腐りやすい性質上、17世紀ぐらいまでは危険な飲み物と考えられ、都会のエリートは田舎に行った時ぐらいしか口にしなかったそうです。

 

 

復讐はミルクより甘い


1667714日のSamuel Pepysの日記には、ロンドン南西のエプソンに行った時に、ミルク缶を持った貧しい女性から、自分の持っていたタンカードに牛乳を入れてもらって買い、お腹いっぱい飲んだが、それはクリームよりもおいしかった、その後宿に戻り、そこでクリーム入りの料理を食べたが、酸っぱくておいしくなかった、と書いています。

 

 1664421日の日記には「彼女にとって復讐はミルクよりも甘い」と書いていますので、牛乳がどれだけ特別だったのかわかります。

 

 

牛乳療法


スコットランド人医師ジョージ・チェイニー(1672-1743)は、肥満やその他肉体的精神的病状の対処法として、牛乳と野菜をとることを推奨しています。自身の経験に基づくこのミルク療法は1724年に最初に発表され、牛乳の効用が広まります。

 

 

牛乳売り


1710年には、ドイツ人の学者ザカリアス・コンラッド・フォン・ウッフェンバッハ(1683-1734)がロンドンを訪れた時、セントジェームスパークでは牛が放牧され、搾りたての新鮮な牛乳が飲めたと記してますが、 18世紀になると家々を回って売り歩く牛乳売りがみられます。

 

朝乳を搾り、肩から天秤棒を使って二つの大きなミルク缶を担ぎ、住宅街を回って売って歩きます。お昼には戻り、再度乳を搾って再び売り歩きます。ミルク缶には蓋はついていなかったので、様々な物が混入し、傷むのも早かったようです。

 

その上、ロンドンの牛乳売りは、牛乳を水でうすめることで知られていた様で、チェイニーは、わざわざ高いお金を払って、搾りたてを直接配達させたようです。

 

 

ロンドンの牛舎

さて、ロンドンでは人口が1760年の74万人から、1801年には109.7万人に、そして1815年には140万人へと急増。そして1860年には319万人近くになります。

それに伴い、牛乳の供給方法も変わっていきます。1794年の調査では、主にイズリントン、エッジウェア・ロード、ハックニー、マイル・エンドといったロンドン郊外(現在では中心部ですが!)に酪農家が多く、特に現在高級住宅地になっているイズリントンは、16世紀から質の高い乳製品の生産地として知られていました。 

1810年にはイズリントンとその周辺だけで、225ヘクタール(2.25km2)の牧草地に500600頭の牛が飼われていたといいます。それが宅地開発により、1840年代には牧草地が97ヘクタール(0.97km2)まで減少、1860年までにはほぼ無くなりました。

 

 

牧草地から牛舎へ

 

1837年にはアメリカ人作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーが、グリーン・パークでは牛が目の前で草を食べていると書いていますが、ロンドンのほとんどの牛飼いは放牧をあきらめ、牛舎の中で飼う様になりました。 

 

1829年には、現在のロンドン中心部、多くがスラムの中に、少なくとも71箇所の牛舎がありました。1825年にジョージ・シャーフ(18201895)によって描かれた『Cow Keeper’s Shop(牛飼いの店)』を見ると、普通のお店の奥に牛が飼われており、前方のカウンターでお客さんが牛乳や乳製品を買えるようになっています。

 

'Cow Keeper' by G.Scharf, 1825
 

1日たった牛乳は新鮮?

牛飼いの中には、牛乳をバターやチーズに加工する設備を持っていない者もいました。彼らは牛舎で搾った牛乳を小売店主の家に持って行きました。そこで牛乳は1日置かれます。そして表面に浮いたクリームはすくって別売りされるか、バターにされました。そして残りは「新鮮な」牛乳として売られたそうです。

 

上流階級の人々は夏は田舎の邸宅で過ごし、冬はロンドンの家で過ごしました。ですから冬場は牛乳の消費量も多く、それだけ質も悪くなったようです。

 

 

牛と人の衛生問題


さて、19世紀も半ばになると、以前も書いたように、衛生観念が変わってきます。牛の健康のために、牛をきれいにしておくのは牛飼いにとっては大切なことですが、隣近所の人間への迷惑はあまり顧みなかったようです。その辺の通りに捨てられた牛の糞や腐った牛乳など、想像しただけでも気持ち悪くなりそうです。

 

公衆衛生上、1853年には牛飼いへの規制が厳しくなり、牛舎のデザインから水道、下水の整備、換気、糞の撤去など細かく決められ、その後許可制になりました。牛飼いは地位も低く、収入も少なかったので、改装費がなく撤退した人も多くあらわれました。

 

 

セインズベリーズの台頭と牛乳配達

こんなロンドンの牛乳事情の中、高質の牛乳で大当たりをした小売店がありました。今やイギリスNo.2の大手スーパーマーケット、セインズベリーズです。セインズベリーズは1862年に、ロンドンのドルリー・レーンの小さな乳製品小売店として開店しました。彼らは質の悪いロンドンの牛乳には目もくれず、地方から電車で運ばれた高質の牛乳を売りにして、中流家庭の顧客を獲得しました。

地方から電車で最初に牛乳が運ばれたのは1845年。それから徐々に増えましたが、牛乳の長距離輸送には問題も多く、最初はロンドンから4048km以内の酪農家に限られていました。

 

冷蔵輸送が可能に

1872年から冷蔵輸送が可能になり、保存剤も開発され、より遠方からの配送が可能になりました。地方からの牛乳を買うのは、主にロンドンの牛飼いたちでした。年々厳しくなる規制、人口増加による需要の増加。牛飼いたちは自分たちで牛を飼うよりも、地方の酪農家の牛乳の卸売をしたほうが割がよかったのです。

 

Milk Wagon, Didcot Railway Centre, image via Wikimedia Commons

ビン入り牛乳発売!

 

さて、187948日は、牛乳配達史上、非常に特別な日です。この日、初めてイギリス人がガラス容器に入った牛乳を買うことができたのです。

 

それまでは牛乳売りが来ると、家の人は陶器の水差しを持って缶から牛乳をすくいに出てきました。それが、ガラス製造技術の向上により、あらかじめガラス瓶に入った牛乳を買えるようになったのです。

 

 

ビン入り牛乳配達の始まり

 

こうして最初は荷馬車での配達がはじまり、1930年代からは電気配達車で家々に配達するようになりました。

 

第一次世界大戦前は、早朝、お昼、そして夕方と、1日3回配達がありました。戦争が始まると1日2回になりました。そして第二次世界大戦が始まってからは1日1回になりました。

 

そして1970年代になると、冷蔵庫の普及により買いだめが可能になり、だんだんと1日おきになりました。以前冷蔵庫の話で述べたようにイギリスでの冷蔵庫の普及率は1959年には13%、1970年代には58%、2006年には97%でした。

 

 

スーパーの方が手軽

 

1970年には牛乳配達が99%を占めていたのに、2013年には5%にも満たなくなっていました。何が起こったのでしょう。

1994年に牛乳販売の規制が緩和され、スーパーマーケットが、プラスチック容器に入った牛乳を安価で売るようになったのです。手軽に安く牛乳が手にはいるようになり、若年層を中心に配達から離れていきました。

 

牛乳の値段が急落

 

そして、2014年にスーパーの牛乳の価格が下がりました。イギリス最大のスーパーマーケットであるテスコが4パイント(約2.27L)の牛乳を、それまでの£1.39から£1に値下げしました。およそ30%ダウンです。それに伴い、他のスーパーもこぞって値下げしたのです。

 

パンと牛乳はイギリスの必需品。顧客獲得の価格競争です。消費者にとっては嬉しいですが、大変なのは農家です。2年後の2016712日のBBCのニュースによると、2013年から2016年の3年の間に千件以上の酪農家が閉鎖しました。

 

私も農家の人には適正な金額を払って欲しいとずっと思いながらも、家計のことを思うと、どうしても安いスーパーの牛乳に手を伸ばしていました。実はこのことが私が牛乳配達に切り替えたもう一つの理由です。

 

 

頭のいい野鳥たち

牛乳配達と野鳥について、面白い話を聞きました。牛乳は朝食前に届けることになっていましたから、家の人がまだ寝ている間にドアの前に置かれました。

最初、牛乳瓶にはふたがありませんでした。ですから野鳥たちの恰好な餌食になりました。鳥たちは、牛乳自体は消化できないそうですが、牛乳の上に浮いているクリームなら大丈夫なそうで、それを狙っていたようです。というよりも、クリームを消費しているうちに、大丈夫な体へと進化したのかもしれません。

 

独り占めしたいヨーロッパコマドリ

野鳥の中でも特にクリーム好きだったのはアオガラとヨーロッパコマドリでした。第一次大戦後、牛乳瓶は、アルミホイルでふたがされるようになりました。

年に、アオガラがホイルに穴をあけ、牛乳瓶にくちばしを突っ込んでいると報告されました。瞬く間にイギリス中から同じような報告がされました。

でも、ヨーロッパコマドリはその方法を学ぶことはありませんでした。ヨーロッパコマドリは頭が良く、学習能力が高いそうですが、縄張り意識も高いので、鳥から鳥へとその知識が伝わることはなかったのです。

 

おしゃべりなアオガラ

それに比べてアオガラは、コミュニケーション能力が高く、十羽ぐらいの群れで行動します。ですからイギリスでのクリームの戦いに勝ったのは、ネットワーク能力に優れたアオガラだったのです。

牛乳配達の減少と、健康意識の変化により乳脂の少ない牛乳が好まれるようになったことで、野鳥たちもクリームありつく機会がめっきり少なくなってしまい、今はその知識も失われてしまったことでしょう。

 

 

  

サンタさんのような牛乳配達

 

朝起きて牛乳が「来てるかな」とドキドキしながらドアを開けるのは、まるで「サンタさん、来てくれたかな」と起きるクリスマスの朝のよう。ちなみに、クリスマス直前の配達時には、クリスマスカードと共に心付けを渡します。一年間、雨の日も風の日も、暗い早朝に配達してくれたお礼と、また1年よろしくね、という気持ちをこめて。

 

 

 

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<参考文献>

 

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De Geus, Arie, 1997, The Living Company (Harvard Business School Press)

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Pepys, Samuel, 1985, The diary of Samuel Pepys (Penguin Books)

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Robinson, Sionade, Etherington, Lyn, 2006, Customer Loyalty: A Guide for Time Travelers (Palgrave Macmillan)

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BBC Newsウェブサイト

The Guardian紙ウェブサイト

Old Bailey Online (4大学共同リサーチサイト)