前回、前々回と氷の使用の歴史を追いましたが、では冷蔵庫がイギリスの家庭に入ったのはいつからでしょう。また、私はイギリスに来てパブに入り、生ぬるいビールを出されてショックを受けましたが、それと冷蔵庫の関係も探ってみたいと思います。
おいしいバターを届けたい
氷を家庭で貯蔵することできる氷冷蔵庫(refrigerator:アメリカではice boxと呼ぶ)は、1802年に、アメリカの農夫Thomas Mooreによって発明されました。バターを市場に持っていくためにです。彼の冷たくて硬いバターは、他の人のだらっと溶けた柔らかいバターよりも高値で売れました。
アメリカではみんな持ってる
それがイギリスで販売されるようになったのは1840年代です。
事実、アメリカでは19世紀後半には多くの人が氷冷蔵庫を持っていました。アメリカ国内で氷が取れる為、氷が安価だったこと、そして、イギリスと違い、市場に頻繁に行ける距離にない人が多かったので、肉や魚、乳製品などの長期保存が必要だったからです。
ジェントルマンズ冷蔵庫
ですが、イギリスでは氷冷蔵庫は高価だった為に、一般の人々には手が届かなく、最初は富裕層の邸宅やレストランなどで使われました。
1841年にオープンした、自由党に傾倒した政治家のクラブ、Reform Clubのキッチンは最先端のガジェットで溢れていました。フランス人のセレブリティシェフAlexis Soyerは、そこに氷を使った氷冷蔵庫をいくつも導入し、材料を保存しておくだけでなく、料理やプレゼンテーションに氷を使ったり、アイスクリームなど作ったものを保存しておくのにも使いました。
冷蔵庫なんて必要?
19世紀も末になると、大量の氷が輸入されるようになり、価格も下がってきます。1907年に出版されたMrs Beetonの人気本『Book of Household Management』の改訂版には、氷冷蔵庫とは何かの説明と、断熱効率の良い商品の選び方が説明されています。
ところが、イギリスの大衆は冷蔵庫の必要性をあまり感じていなかったようです。当時大多数の人々は、毎日必要なだけ買い物をし、流し場にある石板の上に肉や魚などを置いて保存していました。
1911年のThe Standard紙には、氷の宅配に関する記事があります。他の国に先駆け、イギリスではWilliam Leftwichが外国からの氷を輸入しているにも関わらず、ニューヨークやベルリン、ウィーンやパリでは当たり前になっている、毎朝家々を回る氷の配達人を見ない、と書いてあります。
氷の宅配の需要がない
氷商として大成功を収めたWilliam Leftwichの会社は、唯一、一般の中級家庭に氷の宅配を行っていましたが、1910年にNorth Pole Ice Company に買収されます。
先に紹介した、 買収の翌年のThe Standard紙の記事では、富裕層の家庭を除き氷の宅配を続けていくのは難しいと、North Pole Ice Companyは述べています。
暑くない夏
当時は大手の肉屋や食料品販売業者でさえも冷蔵施設を持っていないところが多かったそうですから、一般の人が必要性を感じなかったのも無理もないかもしれません。
でも、「どうして人々が氷の便利さや快適さに気がつかないのか理解に苦しむ。それほどコストがかかるわけではなく、食料品を効果的に保存できることを考えれば、長い目で見れば出費も減るだろうに」と、会社の代表者は述べています。
そしてほとんどの小口の顧客は、必要に応じて、魚屋から氷を入手できるので、それが一番効果的な販路ではあるとしています。その記事によると、彼らはクーポンを配って、それがセールスにつながるか試しているとのことですので、業界の涙ぐましい努力が伺えます。
人工的冷蔵方法
ところで、人工的な冷蔵方法はいつから開発されたのでしょう。イギリスで一番最初に科学的に食物の冷蔵保存を試みたのは、哲学者のフランシス・ベーコン(1561-1626)だそうです。1626年に、鶏に雪を詰め、長期保存できるか調べようとしました。残念ながら彼は1ヶ月後に肺炎にかかり死亡してしまったため、その鶏肉がどうなったのかは誰も知りません。
1748年には、スコットランドの化学者William Cullenが、ジエチルエテールを真空で沸騰させ、その気化熱で周囲を冷却する実演を行い、人工冷凍の原理を紹介しました。19世紀に入ると、イギリス、アメリカ、オーストラリア、フランスなど各国の科学者達が冷蔵庫の開発に勤しみます。1874年にはLinde British Refrigeration Company, Limitedが業務用の冷蔵庫と製氷機をイギリスで発売します。
生ぬるいビール
さて、上記のThe Standardの記事に「ヨーロッパでは夏には、きちんと冷えてるビールしか飲まないのに、イギリスではあまりこだわりがなく、平均的な労働者は生ぬるいビールを飲む」と書いてあります。では、どうしてイギリス人は生ぬるいビールを飲むんでしょう。
イギリスはもともとエールの国です。エールの歴史は古く、オークニー諸島のスカラ・ブレイの新石器時代(紀元前3100〜2500年)の集落遺跡では、決定的ではありませんが、すでにエールのようなものが飲まれていたと考えられています。
少なくとも中世からエールは水替わりに飲まれていました。水質に問題があった昔、エールは水よりも安全だったからです。
19世紀に紅茶が普及し、沸騰したお湯で入れる安全な飲み物が一般的になるまで、子供でもエールを飲んでいました。
エールは10〜14℃で飲むのが一番美味しいと言われており、温度調整の難しい環境では、常温で飲むものでした。
ドイツからきたラガー
ラガーは、1870年代に主にドイツから輸入されるようになりましたが、1887年のBrewers Journalによると、外国製ビールの摂取は「City(金融業界)、Fleet Street(メディア業界)、West End(富裕層)」に限られていたそうです。
価格がドイツの販売額の4倍と、一般に受け入れられるには高価すぎたことと、「やっぱりビールはイギリスのものでなくちゃ」という強い愛国心やプライドが原因です。
軽いビールが人気になり、1879年から一握りのイギリスのビールメーカーはラガーの試作を始めますが、18〜22℃で発酵されるエールと違い、ラガーは4.5℃以下の低温でゆっくりと発酵しなければいけない為、新しい発酵施設、製氷施設、保管施設など巨額な設備投資が必要でした。
イギリスではラガーは売れない
先に述べたように、この頃までには製氷機が市場に出回っていましたが、ラガーの購買数を考えると、元が取れるにはかなりの時間が必要になります。そのためほとんどのビール醸造者はエールに専念し、軽いエール(pale ale)の生産が増えました。
軽いビールが人気なのにもかかわらず、国内でのラガーの需要は上がらず、ラガー生産をしたビール醸造所は主に海外輸出用に生産したか、20世紀に入る前後に倒産しました。ラガーは2〜7℃で飲むのが一番美味しいそうですから、冷蔵施設の普及の遅れもラガーの人気が上がらなかった理由かもしれません。
先のThe Standardの記事にある「ヨーロッパでは夏には、きちんと冷えてるビールしか飲まないのに、イギリスでは生ぬるいビールを飲む」というのは、大陸と違って暑い日が続くことのないイギリスでは、冷たい飲み物を必要としていなかったこと、そして、飲んでいたビールの種類が違ったからなのですね。
今でこそ日本ではエールも飲みますが、やはり主流はラガー。ヨーロッパと同様に、キンキンに冷えたビールは夏の風物詩です。ビールは冷たいものと思っていた私にとって、冷たくないビールはカルチャーショックでした。
でも、もしイギリス人が氷を早くから取り入れていたら、ラガーが早くから人気になっていたかもしれません。もし冷たいビールを一般の人々がもっと早く受け入れていたら、氷がもっと早く普及したかもしれません。
ラガーはセクシー
ちなみに、1961年になってもラガーのイギリスでのマーケットシェアは1%でした。それが1975年には20%、そして1990年にはラガーの人気がエールをしのぎました。
どうして急に人気が出たのでしょう。理由の一つには、テレビ広告でラガー醸造会社が販促キャンペーンを大々的に行い、ラガーが新しい時代を象徴する「セクシー」なものになったことが挙げられます。
また、ラガーのマーケットシェアは冷蔵庫の普及率と比例しているので、これは私の勝手な推測ですが、冷蔵庫の普及率がラガーの普及率にも関係あるのではないかと思います。ちなみに家庭用冷蔵庫の普及率は、1959年には13%、1970年代には58%、2006年には97%でした。
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Hamilton, Andy, 2013, Brewing Britain: The Quest for the Perfect Pint (Random House)