2019年2月2日土曜日

Q:いつから露天でアイスクリームを売るようになったの?:氷室とアイスクリームの歴史2


前回18世紀の後半には、富裕層が自分たちの氷室を持つようになったこと、そして私たちの知っているアイスクリームの誕生を追いました。今回は、アイスクリームがいかに大衆のものになっていったかについて書いてみたいと思います。



ノルウェーの氷

 

18世紀の終わりまでには、アイスクリームを販売する菓子店ができるようになり、氷室のない中流家庭でも氷菓子を楽しむことができるようになりました。とは言っても、冷凍保存方法のない当時、アイスクリームは都度作られたため、とても高価なものでした。

 

 William Leftwichはそのような菓子店を営んでいましたが、クリーム等の材料が傷んでしまうことに悩んでいました。1820年代に彼は、前回紹介したロンドンで発掘された氷室を入手しました。そして、1822年に大バクチを打ちます。ノルウェーから氷を輸入することを決めたのです。


Carlo Gattiの氷室の中 ©モリスの城
   

それまで、イギリスでは地元の湖や川の氷を切り取って使っていました。私は、ロンドン、イングランド中部、イングランド東部に住んだことがありますが、川が凍ったのは見たことがないですし、湖も薄氷が張ったのがせいぜいです。地元の人に聞いても、1963年以来川に氷が張っていないと言います。切り出すぐらいの氷が張るほど、昔は寒かったのでしょうか。

 
 

昔は寒さが厳しかった


調べてみたら、どうも1650年から1850年の間は、厳しい冬が多かったらしいのです。これはちょうどイギリスで氷室が作られた時期と重なります。1683~4年の冬は特に厳冬で、ロンドンのテムズ川が何週間にもわたって、がっちり凍ったそうです。運河は川と違って、浅く水の流れがゆっくりなので、川よりも凍りやすかったようです。

 

でも、湖は水鳥や動物たちの溜まり場で汚れていましたし、川や運河は、それに加えて人間のものでも汚れていました。それに比べてノルウェーの氷河から切り出される氷は、イギリスのものよりもずっと純度が高く、それゆえに密度も高くて溶けにくかったのです。

 

ノルウェーで切り出された氷は、船でイギリスまで運ばれ、リージェント運河(Regent Canal)を通ってこの氷室まで運ばれました。今は埋め立てられてしまいましたが、当時はリージェント運河の一部は、ユーストン(Euston)駅とリージェントパーク(Regent’s Park)の間まで伸びていました。ですから、この氷室の近くまで船で運べたのです。
 
 

最も純粋な氷


最初の300トンはオークションで売られ、目新しさも手伝って、魚屋やペーストリー職人等、幅広い層の人が飛びつきました。彼は「イギリスでも最上で最も純粋な氷」と宣伝し、上流家庭にもアピールしました。

 

ジョージ5世の御用達になったほか、タバーンやコーヒーハウス、プライベートクラブ相手に販売されました。漁業関係者や乳製品を扱う業者、そして医療関係者にも氷は重宝されました。

 

氷の販売は大成功で、1825年には、運河の近くに「世界最大の氷室」である直径10.2m、深さ24.6mの氷室を作りました。氷商としてのビジネスはさらに拡大し、1839年には、リージェント運河沿いに、専用の埠頭を作る許可が与えられています。そこには2つ氷室があり、その一つは直径13.2m、深さ33mで、当時のThe Standard紙は、これがロンドンで最大のものだと伝えています。


氷を通して新聞が読める!

 

1844年に、アメリカのWenham Lake Ice Company がロンドンとリバプールに支店を開きます。Wenham Lake Ice Company はアメリカで大成功した会社で、マサチューセッツ州のWenham Lakeからとれた氷を輸入しました。

 

マーケティングに長けたこの会社は、ロンドンのストランド(The Strand)にあった会社のウィンドウに巨大な氷の塊が置き、その後ろにはその日の新聞を置きました。道行く人たちは、ウィンドウを覗き込み、氷越しに新聞が読めるほど綺麗で溶けにくい氷に感嘆の声をあげました。

 

また、ヴィクトリア女王に氷を贈呈し、注文を取り付けました。イギリスの上流階級もこの会社から氷を買うようになりましたが、アメリカの大衆と違い、イギリスの大衆には有用性が伝わらなかったことと、高価だったことが原因で、市場は期待したほど広がりませんでした。

 

アメリカからの莫大な輸送費を考えると、イギリスに近いノルウェーから輸入した方が氷のロスも少ない為、1880年には、アメリカからの輸入を完全に停止し、すべての氷をノルウェーから仕入れるようになりました。



アメリカの氷室

 

新大陸から紹介されたのは氷だけではありませんでした。1880年代までに、カナダに駐屯していたWilliam Cobbettは、北アメリカの氷室をベースに、安価な木製の氷室を提供します。地面を掘る必要もなく、わらを敷いた木製の吊り床に氷を貯蔵するようになっています。

 

アメリカから木枠の断熱壁が入ってきて、氷室の中の温度を保てるようになったのもあり、大掛かりな氷室を作れなかった人々が氷の貯蔵室を持てるようになります。それでも自分の氷室を持てたのは経済的に恵まれた者のみでした。

 


アイスクリームメーカー

 

1840年代までには、様々な手動のアイスクリームメーカーが作られるようになります。イギリスではThomas Mastersが、商業用で使えるような大ぶりのアイスクリームケーカーを作ります。クランクを使ってアイスクリーム容器を回します。

 

これは氷メーカーにもなっており、湧き水を使って食用に使える氷を作り出します。また、ボトルを冷やしておくこともできるようになっていたので、お店ではかなり活躍したと思われます。

 

同時期にアメリカではNancy Johnsonが家庭用のアイスクリームメーカーを作ります。様々なアイスクリームメーカーの発明のおかげで、アイスクリームを手軽に安価に大量に作れるようになってきます。

 
Agnes Marshallのアイスクリームメーカー ©モリスの城
 

アイスクリーム専門店


イギリスで最初にアイスクリームを大衆に紹介したのはスイス人のCarlo Gatti です。彼は1847年にがイギリスにやってきて、1849年にはチョコレートとアイスクリームを専門にしたカフェやレストランを始めます。

 

富裕層には人気のアイスクリームでしたが、一般の人は最初は誰も興味を持ってくれなくて苦労したそうです。現在チャリングクロス駅(Charing Cross Station)のあるところは、1682年から1854年まで魚卸市場でした。

 

その近くに店を持っていたGattiは、市場に行っては、ガラスの容器に入れたアイスクリームを、安く通りがかりの人に提供して、地道に広めていったそうです。ちなみに彼も氷商人として、1857年と1863年に、キングスクロス駅の北のリージェント運河沿いに氷室を作っています(現運河博物館London Canal Museum)。

 
ロンドン運河博物館にあるGattiの氷室のモデル ©モリスの城
 

ペニーリック

 

一般の人がアイスに目覚めると、自転車で回ってアイスを売るビジネスが盛んになります。ジャーナリストであり、劇作家であったHenry Mayhewは、1850年代にアイスクリームがロンドンの露天で売られていることを述べています。

 
ロンドン運河博物館のインフォメーション 写真:モリスの城
 

1880年代までには、19世紀の半ばに移住してきたナポリやシシリーからのイタリア人の移民が、全国的に、イタリアンアイスクリームの露天販売をするようになりました。

 

街角で安く(1ペニーで)売られたアイスクリームは、「ペニーリック(penny lick)」と呼ばれるガラス製で小さい容量のエッグカップのような入れ物に入れられ、買った人はアイスを舐めて、食べ終わったらそのガラス容器を戻しました。ただ、戻ってきたガラス容器を洗わずに次の客に出すなど、衛生的な問題があったようで、具合が悪くなる人も続出しました。

 
 

アイスの女王


それに危惧したAgnes Marshall(1855-1905)は、ノルウェーから輸入した氷を推奨し、食品衛生について、全国を回って講義しました。彼女はアイスクリーム・メーカーを発明して特許を取るなどした「アイスの女王」と呼ばれた当時のセレブリティ・シェフで、ペニーリックを使わなくて済むように、アイスクリーム・コーンを発明しました。1930年代には、結核菌を拡散するとして、ペニーリックは禁止されました。
 
ペニーリック ©モリスの城

 

レンガのように硬いアイス

 

もう一つ露天販売で人気だったのはHokey Pokeyと呼ばれるアイスです。これはペニーリックよりも硬く、2層か3層の違う味のアイスでできており、切り分けられ、紙に包んで販売されました。半ペニーで売られた「ひどく甘く、ひどく冷たく、レンガのように硬い」このアイスは、高価なクリームの代わりに、カブの汁で作られたという噂もありました。



夏の風物詩

 

イギリスでは今でも移動販売のアイスクリーム売り(ice cream van)が夏の風物詩となっています。観光地にはアイスクリーム売りの車が必ず止まっていますし、音楽を流したアイスクリーム売りの車が住宅地などを廻っています。音楽が聞こえると(老若問わず)子供達は小銭を握りしめて外に飛び出し、アイスクリームを買いに走ります。「99」と呼ばれるチョコレートバーが突き刺さったソフトクリームが目玉ですが、アイスキャンディーも売っています。

 

ところで、子供が小さい時に、ロンドン塔の脇、タワーブリッジの入り口のところにいたアイスクリームバンでソフトクリームを買ったら、多分製造機をきちんと洗浄していなかったのでしょう、酸っぱくて、一口食べて捨ててしまいました。地方でいつも買っていたものより2倍近くもしたので悔しかったこともあり、未だに子供も私もトラウマになっています。

 

衛生検査の厳しい21世紀でもこれですから、冷凍設備のない時代、衛生観念の乏しい19世紀のアイスクリーム売りがどのような状態で商売していたのか、想像するだけでもぞっとします。


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<参考文献>

Beamon, Sylvia P. and Roaf, Susan, 1990, The Ice-House of Britain (Routledge)
Buxbaum, Tim, 2014, Icehouses (Shire Publications)
Clarke, Chris, 2004, Science of Ice Cream (Royal Society of Chemistry)
Guzzo, Siria, 2014, A Sociolinguistic Insight into the Italian Community in the UK: Workplace Language as an Identity Marker (Cambridge Scholars Publishing)
Kershen, Anne J. ed., 2017, Food in the Migrant Experience (Routledge)
Masters, Thomas, 1844, The Ice Book: Being a Compendious & Concise History of Everything Connected with Ice (Simpkin, Marshall, &Co.)
Rees, Jonathan, 2014, Refrigeration Nation: A History of Ice, Appliances, and Enterprise in America (John Hopkins University Press)
Walker, Harlan, ed., 1992, Oxford Symposium on Food and Cookery 1991: Public Eating: Proceedings (Oxford Symposium)
The Miscellaneous Document of the State of the United States for the First and Second Sessions of the Forty-Fifth Congress, Vol.3, 1878 (Washington: Government Printing Office)

Historic England ウェブサイト
Local History ウェブサイト (written by Jack Whitehead)


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