2018年5月17日木曜日

Q:犬がローストビーフを作っていたって本当? ローストビーフの歴史

ローストビーフは英国人の誇り?

 

さて、イギリスと言えばローストビーフ。1731年にRichard Henry Fieldingが書いた風刺劇『Grub Street Opera(グラブ・ストリート・オペラ)』には、ローストビーフの歌が出てきます。もちろんこれは面白おかしい歌ですが、これからイギリス人にとって、ローストビーフがイギリスの誇りを象徴する食べ物であることがわかります。

 

When mighty Roast Beef (強力なローストビーフが)

Was the Englishman’s food, (英国人の食べ物だった頃)

It ennobled our brains (それは我々の脳を高貴にし)

And enriched our blood. (我々の血を豊かにした。)

Our soldiers were brave (我々の兵隊達は勇敢で)

And our courtiers were good (我々の廷臣達は善良だった。)

Oh the Roast Beef of Old England (あぁ、古き良きイングランドのローストビーフよ)

And old English Roast Beef (古きイングリッシュローストビーフよ)


今でさえオーブンに入れれば簡単にできるローストビーフ。昔は火の前で何時間も炙って作りました。もちろんローストするのは牛肉だけでなく、豚、鶏、羊、鹿、野ウサギ、鴨、キジ、ヤマウズラ、ライチョウ、ハト等、その地でとれる肉が使われました。小さな肉ならまだしも、豚を丸ごと又は大きな牛肉の塊をどうやって満遍なく炙ったのでしょう。

©モリスの城


肉は権力の象徴

 
中世の頃は、肉は保存の為に茹でるか塩漬けにするかが通常でした。肉の値段もそうですが、ゆっくりとローストするには莫大な燃料費もかかりました。ですからローストした肉が食べられるのは、一部の富裕層だけでした。そして客をローストした肉でもてなす事は、権力を誇示することにもなりました。

Illustration from Romance of Alexander (public domain)

ローストするには、動物を刺した鉄の串(spit)を横にして、薪の炉火の前にある、高さの調整出来るラックにかけ

 

宮廷やお城、マナーハウスの大きいキッチンでは、それは一番身分の低いキッチンスタッフの役割でした。彼らは「spit boys」と呼ばれました。ボーイズとは言っても、その重い串を1日何時間も回し続ける体力が必要ですから、子供ではありません。

 
 

エリザベス一世は肉好き?


しかもエリザベス一世(在位:15581603)の時代、ハンプトン・コート宮殿の一年間の食糧には1240頭の牛、8200頭の羊、1870頭の豚、2330頭の鹿、760頭の子羊、53頭のイノシシ、それに数え切れないほどの様々な鳥や鶏が含まれました。もちろんそれが全てローストされたわけではなく、シチューにされたり、フライパンの上で焼かれたり、ハムやパイにされたりもしたわけですが、その1/10がローストされたと仮定して、肉食が禁止されている四旬節の40日を除いて毎日、平均4頭以上の大型の動物がローストされたのです。

 

当時炉火が大キッチンに6つあったらしいですが、それにしてもspit boysの仕事がいかに大変だったか想像できます。もちろん、ハンプトン・コート宮殿は別格ですが、地方の裕福な家の館にもspit boysがいました。



©モリスの城
 

スピットドッグの誕生


さて、重い串を回し続けるというその大変な仕事をいかに楽にしようかと考えるのは、当然だと思います。そこでイギリス人達が思いついたのが、犬を使うということでした。ターンスピットドッグ(turnspit dog)は今は絶滅したそうですが、長い胴体と短い足としっかりとした体つきを持った犬でした。



焚き火の前に置かれたロースト用の串にスピンドルが取り付けられ、それが近くの壁に取り付けられた木製の回し車につながっています。犬は通常ペアになり、代わりばんこその回し車の中に入れられて肉が焼けるまでそれを回し続けました。
Turnspitdog-Illustrated Natural History, Rev JG Wood 1853 (public domain)

 

1576年にメアリー女王やエリザベス一世の医者であったJohannes Caiusは、「(この犬は)小さな回し車を歩いて回し、どんなシェフよりも召使よりも上手に一様に回す」と書いています。

 

でも人間と同じように犬にとっても大変な仕事です。火の近くですから、暑くて喉が渇きますが、水は与えられません。止まったらキッチンのスタッフに叱責されます。動かなくなった犬を無理に動かせようと、熱い石炭を回し車に入れる人もいました。

 

キッチンで無用になった犬は教会に連れて行かれ、寒い教会に礼拝に来た人の足を温める為に使われました。

©モリスの城

Remarks_on_a_Tour_to_North_and_South_Wales by Henry Wigstead 1799 (public domain)

雁は犬よりいい?



犬でなくて雁にこの仕事をやらせた人もいたようです。1690年代には、犬は3時間ぐらいに対し、雁は12時間ほど続けて回し車を回せるので、雁の方が犬よりもいいということが書かれていたそうです。

 


釣り合い錘式

 

16世紀以降、この仕事の自働化を目指して発明が行われてきました。16世紀後半には、釣り合い錘式のもの(counterweight jack)がヨーロッパからイギリスに入ってきました。ぶら下がっている錘が重力で下に動く力でゼンマイ仕掛けを動かし、それが串の端についている滑車を動かすというシステムです。メインテナンスが大変でしたが、19世紀まで使われていたようです。


©モリスの城
©Anonymous6

 

煙突式

 

同じく16世紀にイギリスで使われるようになったのは、煙突の中に取り付けて熱によって羽を回し、それが串の端についている歯車を回すというシステム(smoke jack)です。レオナルド・ダ・ヴィンチは1400年代後半にこれをスケッチしているそうなので、イタリアではもっと早くに使われていたかもしれません。でも燃料をかなり使わないと効率的ではなかったようです。


©モリスの城
©Anonymous6
このように、多くの人にとって、やはり器械よりも犬の方があてになったのです。


吊るして回す

 

19世紀になってよく使われるようになったのは、吊るして回すbottle jackと言われるものです。円柱部分がゼンマイ式になっており、それがフックに吊るされた肉を回す方式です。豚の丸焼きはできませんが、一般の家庭にとってはとても手軽な道具です。これは1930年代まで生産されていました。



©モリスの城

レンジが発明されると、暖炉の上から吊るすのではなく、レンジの炭火の前におけるタイプのbottle jackができます。これには反射板が付いており、肉が回るだけでなく、反射板が熱を反射して、火にさらされていない反対側からも調理できるようになっています。

©モリスの城

ロイヤル・レミントン・スパ(Royal Leamington Spa)に住んでいた時に、ご近所様が庭で豚の丸焼きをやるので、と招待してくれました。庭と言っても車3台ほどのスペースだったのですが、本当に豚が一頭まるまる炙られていました。それまで本物の豚の丸焼きを見たことがなかったので、かなりショックでしたが、豚さんに申し訳ないと思いつつ、炭火で何時間もかけて炙られた肉はとても美味しかったのを覚えています。



解放された犬

 

さて、ターンスピットドッグですが、新しい道具の発明と共に、19世紀末にはほとんど見られなくなりました。1824年に英国王立動物虐待防止協会(RSPCA)が生まれた事も、キッチンでの犬の使用中止を後押ししたのではないかと思われます。今や動物愛護や愛犬家で知られるイギリス人達が、キッチンで犬を酷使させてたとは想像しがたいですね。




<参考文献> 
 
Belton, Howard, 2015, A History of the World in Five Menus (Author House)
Breverton, Terry, 2015, The Tudor Kitchen: What the Tudors Ate & Drank (Amberley Publishing Limited)
Coren, Stanley, 2002, The Pawprints of History: Dogs and the Course of Human Events (Simon & Schuster)
Cryer, Max, 2013, Every Dog Has Its Day: A Thousand Things You Didn’t Know about Man’s Best Friend (Exisle Publishing)
Wilson, Bee, 2013, Consider the Fork: A History of How We Cook and Eat (Penguin)
Woods, J.G., 1860, The Illustrated Natural History. Vol.1 Mammalia (Routledge, Warne and Routledge)

料理歴史家Ivan Day のウェブサイト
http://www.historicfood.com/roast2.htm