2024年1月22日月曜日

Q:ワセイルって何?

先日「Lord of Misrule(クリスマスの祝宴を仕切る道化師)と一緒に2024年のワセイル(wassailに参加しよう」というイベント広告を目にし、ケンブリッジの南にある村まで行ってきました。「何世紀も前には、ワセイリングはりんごの木にできるだけ多くの果物がなるようにお願いするもの」だったそうです。

 

ワセイリング

場所は小さなりんごの木が20本ほどある小さなコミュニティ果樹園。当日はバスが遅れたせいでイベントの冒頭を見逃してしまいました

 

私が着いた時には、ちょうどスパイス入りのリンゴジュースにパン切れを浸し、それをりんごの木に結びつけているところでした。それをすることで鳥や昆虫が木に集まり、結果として土が改良され、りんごの木に栄養を与えるということらしいです。

wassailing


その後楽器を奏でる人たちを中心に輪になり、昔ながらのワセイルの歌を歌って踊りを踊りました。


 そして温かいスパイス入りのリンゴジュースをいただきました。

wassail

 

ワセイルの語源は?

さて、Oxford English Dictionaryによると、ワセイル」の語源は、古ノルド語の「ves heill」(健康を祈って/幸運を祈って)です。それが古期英語の「wes hál」になります

 

この言い回しが最初に記録されたのは、1140年ごろに書かれたジェフリー・オブ・マンモスによる歴史書です。以前にも紹介しましたが、5世紀に、ブリトン人宗主ヴォーティガン(Vortigern)は、スコット人やピクト人に対峙する為に、ヨーロッパからサクソン人を招きます。サクソン王の娘ロウィーナ(Rowena)は、ヴォーティガンに謁見した時に、ひざまづいて杯を掲げ「Lord King, Waes heil!(王の健康を祈って!)」と乾杯します。ヴォーティガンは杯を受け取り、サクソンの慣習に則り、「Drinc heil!(健康を祈って乾杯!)」と言って飲むと、ロウィーナのところに降りて行き、キスをして手を取りました。その微笑ましい様子にその場に居あわせたゲストが皆乾杯し、キスをして祝福したそうです。

 

これが書かれた12世紀当時から、ジェフリー・オブ・マンモスは史実を脚色したという説もあり、5世紀から「Waes heil」という言い回しが使われていたのか、それとも彼が執筆当時に使われていた表現を採用したのかは不明です。北欧人がイギリスに来た記録は8世紀以降になりますが、古期サクソン語と古ノルド語の間に似たような表現があったという可能性もあるのではないでしょうか?

 

ワセイルというクリスマスドリンク

ともあれ、少なくとも、12世紀以降には「ワセイル」が乾杯という意味を持つようになりました。14世紀ごろからはそれから派生して、お祝いの席で飲むお酒、特にクリスマス時期に飲む温かいスパイス入りのお酒という意味も持つようになりました。

 

ワセイルは、りんご栽培が盛んな地方ではサイダー(林檎酒)がベースに、その他ではエールがベースになっています。

 

領主の家では、その飲み物は大きなワセイルボウルに入れられ、人々に振る舞われました。ジョージ朝(1714年〜1837年)のあるレシピによると、エールが2.8リットル、シェリーがグラス4杯、少なくとも225gの砂糖、ナツメグ、ジンジャー、レモンを混ぜるとあります。そして、それに狐色にトーストしたパンを入れ、それを瓶に詰めて何日か置いて、発泡させるそうです。

 

16世紀には、大晦日と十二夜に、みんなで一つのワセイルボウルからワセイルを飲んで健康を祈るようになりました。

wassail bowl
17世紀のワセイルボールのコピー Oliver Cromwell's House

家々を回るワセイル売り

17世紀には、クリスマス時期(1225日〜16日)に家々を回ってワセイルを提供し、クリスマスキャロルを歌う人が現れました。当時の官僚サミュエル・ピープスの16611226日の日記には「a Washawall-bowle woman and a girl」が自分たちのところに来て歌ったという記述があります。もちろん、ただではなく、見返りを求めてです。

 

現在でも行われている、家々を回ったり、街頭で立ったりしてキャロルを歌い、チャリティへの募金を集める行為の原型です。

 

もともとは領主の家に、飲み物やミンスパイクリスマスプディング、もしくは金銭などを期待して、農奴たちがワセイルを提供し、歌を歌ったそうです。


 これが広まると、こんどは酔っ払った若者たちが家々に押しかけ、調子ハズレの歌を大声で歌って金銭を要求するようになりました。家の人が断ると、夜遅くに再度やってきて物を壊したりしたようです。

 

事実、「ワセイル」という言葉には酒盛りという意味もあります。1300年ごろからそういった意味で使われており、1603年に書かれたシェイクスピアの『ハムレット』にも「keepe wassel」という表現が見られます。

 

りんごの木のお祭り

さて、ではりんごの木の健康を祈る慣習はいつ始まったのでしょう?古くからのしきたりですから、いつ始まったのかは定かではありませんが、ケントのフォードウィッチでは1585年には記述が見られるそうです。また、1648年の記録によると、その地域、その果樹園により、りんごだけではなく、プラムや梨の木にも行われたようです。

 

私が行ったものは近年始まった地域のイベントで、子供が楽しめるように、昼間、ノンアルコールで行われましたが、もともとは、飲んで歌って踊る酒盛りだったようです。

 

地域によっても変わりますが、基本的に伝統的には、人々はワセイルボウルを持ち、ワセイル王や女王の後について果樹園から果樹園へ、木々にワセイルを振り掛けながら練り歩きます。選ばれた木に着くと、女王が担ぎ上げられ、ワセイルに浸けたパンを枝に取り付けます。残ったワセイルは木の根本に注がれます。そして人々は歌を歌います。楽器だけでなく、鍋釜をたたき、大きな音を立て、眠っている精霊を起こし、悪霊を追い出します。もちろん、人々のためのワセイルも用意され、飲んで歌って踊って夜を過ごすのです。


 今でも一部の地域では、ワセイルのイベントが、通常117日に行われます。これは、1752年にイギリスでグレゴリオ暦が採用される前には、十二夜は117日だったからです。

 

消えたワサイル

今や普段のイギリスの生活のなかで「ワセイル」という言葉を聞くことはなくなりました。クリスマスのドリンクとしても、20世紀半ばには「ワセイル」は死に絶え、マルドワイン(スパイス入りの温かいワイン)に取って代わられました。

 

人口が増え、人が代々の土地に住み続けることは少なくなり、それとともに伝統行事も消えつつあるのだと思います。でも反対に、私の参加したイベントのように、新しく伝統を導入しようという動きもあります。未来の世代のためにも、伝統が続いてくれるといいな、と思います。

 

 

 

 *ご興味があれば、こちらもどうぞ*

 

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Q:どうしてイギリス人は生ぬるいビールを飲むの?

 

Q:「tea」って食事なの?

 

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参考文献>

 

Buckton, Henry, 2012, Yesterday’s Country Customs: A History of Traditional English Folklore (The History Press)

Geoffrey of Monmouth, translated and edited by Faletra, Michael A., 2008, The History of the Kings of Britain (Broadview Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast (Profile Books)

Pepys, Samuel, Latham, Robert, ed., 1985, The Diary of Samuel Pepys: A Selection (Penguin Books)

Williams, Thomas, 2017, Viking Britain: A History (William Collins)

Trumpington orchardウェブサイト

 

 



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