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2018年9月30日日曜日

Q:ジュリエットバルコニーって何? バルコニーの歴史


お隣のオフィスビルのオーナーが変わり、共同住宅用に改装されることになりました。その開発業者が挨拶に来て話をしている時に、「ジュリエットバルコニーをつけて外観を良くする予定」だと言いました。80年代に建てられたこのビルはお世辞にも美しいとは言えませんが、「ジュリエットバルコニー」とは何でしょう?


おおロミオ!

 
もちろんこのジュリエットは、1591年〜1597年に書かれたとされるシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に由来します。「おおロミオ、ロミオ、何故あなたはロミオなの?」ジュリエットの部屋のバルコニー越しに若い二人が湧き上がる情熱を語り、甘い愛の言葉を交わすシーンは有名です。
 
その舞台になったのはイタリア北部のヴェローナ。そこには、ジュリエットのモデルになった、カプレーティ家の娘が暮らしていたと言われる邸宅があります。でもそこにあるバルコニーは20世紀になってからつけられたそうです


シェイクスピアにはバルコニーは出てこない

 
実は、シェイクスピア自身イタリアに行ったことがないばかりか、Pia Brinzeuによると作品の中で「バルコニー」という言葉も一切使っていないのです。その代わり「window(窓)」としています。
 
彼の作品の基になったマッテーオ・バンデッロの『Giuletta e Romeo』(1554)、アーサー・ブルックの『ロミウスとジュリエットの悲劇の物語』(1562)とウィリアム・ペインター の『ロミオとジュリエッタ』(1566〜67の中でもバルコニーではなく窓となっています
 
『ロミオとジュリエット』の原型はイタリアの作家マスッチオ・サレルニターノ の『マリオットとジアノッツァ』(1476)だと言われていますが、そこにバルコニーが出てくるかはわかりません。でも1524年にルイージ・ダ・ポルトによって書かれた『Giuletta e Romeo』にはバルコニーが出てきます
 
これは私の個人的な推測ですが、映画『恋に落ちたシェイクスピア』(1998年)のような設定で、シェイクスピアの時代の劇場で2階席にジュリエットが、舞台にロメオが出てきて愛を語り合ったところから、バルコニーに発展したのではないでしょうか。


イギリスにはバルコニーはなかった!

 
すでに述べましたように、カプレーティ家の邸宅にはバルコニーがなかったので、事実に基づけばやはり窓というのが正解なのかもしれません。でも、シェイクスピアやブルック、そしてペインターといったイギリスの作家がバルコニーという言葉を使わなかった主な理由は、おそらく、その時代にはイギリスにはバルコニーがなかったからです。
 
1611年にThomas Coryatはフランス、イタリア、ドイツ他ヨーロッパの国を周遊して書いた見聞記『Coryat’s Crudities: Hastily Gobled up in Five Moneth’s Travels』の中で、イタリアで見たバルコニーについて物珍しそうに記述しています

「ベネチアの建物の正面の真ん中より上方、正面の最上部よりも少し下、窓の向かいに建物からせり出した素敵な小さいテラスがある」


イタリア風建築

 
イギリスの建物にバルコニーを紹介したのは、イタリアで勉強した建築家イニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones)のようです。17〜18世紀には、良家の子息がフランス経由でイタリアに旅行し、ヨーロッパの洗練された文化やマナーを学ぶ、グランドツアーというものが人気になりました。
 
イニゴー・ジョーンズは良家出身ではありませんが、彼の絵の才能が買われ、貴族の子息についてイタリアに行き、ローマ帝国時代の遺跡を見、パッラーディオ(Andrea Palladio)の建築物を研究し、その古典スタイルをイギリスに紹介しました。

彼のデザインしたロンドンのクイーンズ・ハウス(Queens House、1616〜1635築)やバンケティング・ハウス(Banqueting House、1619〜1622年築)には、石の手すりが付いたバルコニーが見られます。
 
1570年に建築が開始されたカービー・ホール(Kirby Hall)も1636年にジョーンズが手を加え、鉄製の手すりが付いたバルコニーがつけられました。これがイギリス最初の鉄製のバルコニーのようです。

Queens House By Bill Bertram [CC BY-SA 2.5  (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], from Wikimedia Commons
Banqueting House ©モリスの城

Kirby Hall, By Craigthornber [CC BY-SA 3.0  (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], from Wikimedia Commons
 

イギリスは寒すぎる


1659年までにはバルコニーはロンドンで人気になり、コベント・ガーデンの「すべての家」には付いていたそうですが、残念ながらその頃の建物は現存していません。ただやはり寒いイギリスの気候に合わない為、イギリスのバルコニーは広くなく、ほとんど飾り程度でした。そのため「バルコネット(小さいバルコニー)」とも呼ばれました。


大きい窓と手すり

 
1770年代になると、テラスハウスの二階部分に、大きい窓をつけることが流行りました。二階は、通常お客さんをもてなす最も重要な階だった為です。床から天井までの大きさの窓もあり、安全の為に手すりが付けられました。一窓ごとについたものもあれば、何件か続いたものもあります。

1768-74 by Robert Adam ©モリスの城

Charles Dickens Museum, c.1807-9 ©モリスの城
 

フランス風ドア


1780年代か1790年代からは、窓の代わりに外に出られるように、フレンチドアと呼ばれる観音開きのドアが取り付けられるようになりました。ちなみにフレンチドアは、名前の通り、パリの建物によく見られるフランスのデザインから来ています。フレンチドアのついたバルコニーは、鋳鉄の技術的進歩と普及と共に、摂政時代(Regency era、1811〜1820)に人気の絶頂を迎えます

19世紀のフレンチバルコニーのついた18世紀の家©モリスの城
 これが後「フレンチバルコニー」「ジュリエットバルコニー」と呼ばれるようになったのです。残念ながらいつから「ジュリエット」と呼ばれるようになったかはわかりませんでした。


灰色は安っぽい?


ところで、ビクトリア朝以前には、手すりなどは一般的に緑か青銅色で塗られました。灰色だと安い鉛に見えてしまうので嫌われました。通りに面していない場所は、安い鉛色のペンキで塗られました。
 
19世紀半ばになると赤が流行りました。
 
現在よく見る黒色は、1960年に入るまでほとんど見られませんでした。これは1930年代に、ポリエステル樹脂アルキドのバインダーが導入されて初めて、早く乾く黒いペンキが可能になったからです。でも当初のペンキは質が悪く、第二次世界大戦中に生産が中止され、改良され再生産が始まり、広く使われるようになったのは1950年後半になってからなのです。


ジュリエットバルコニーの人気

 
現在ジュリエットバルコニーといえば、フレンチドアのついた窓に手すりが付いたもので、バルコニーというほど外にせり出していません。最近になりまた注目を集めており、新しい建物によくつけられています。
 
狭いスペースでも光を取り入れることで広く見えること、また今年の夏のように暑くなった時、開け放すことができることで家に風を通すことができることがその理由です。また、普通のバルコニーと違い、地方自治体から建築許可を得なくていいという理由もあります。
 
今は鋳鉄だけでなく、鋼やガラスでできたものもあります。

2007年に建てられた住宅 ©モリスの城
ガラス製のジュリエットバルコニー ©モリスの城
お隣のビルが、ジュリエットの名前に相応しくロマンティックに改装されるのか、楽しみなところです。




参考文献:
神山高行、『ロミオとジュリエット』における悲劇性—ことばと時間の観点から見た劇作術についてー、東海大学短期大学紀要45号(2011)
 

Brinzeu, Pia, 2016, ‘There is No Balcony in Romeo and Juliet: Only a Love Scene’, What’s in a Balcony Scene? A Study on Shakespeare’s Romeo and Juliet and its Adaptations (Ed by Luminita Frentiu, Cambridge Scholars Publishing)
Calloway, Stephen ed., 1996, The Elements of Style: An Encyclopedia of Domestic Architectural Detail, New Edition (Reed International Books Limited)
Dobraszczyk, Paul, 2014, Iron, Ornament and Architecture in Victorian Britain (Ashgate Publishing, Ltd.)
Hall, Linda, 2005, Period House Fixture & Fittings 1300-1900 (Countryside Books)
Gardner, J. Starkie, 2017, English Ironwork of the XVIIth and XVIIIth Centuries – An Historical and Analytical Account of the Development of Exterior Smithcraft (Read Books)
Standeven, Harriet, “Problems associated with the use of gloss house-hold paints by 20th century artists , Victoria and Albert Museum, Conservation Journal, Summer 2003 Issue 44

English Heritage, Practical building conservation, Metals, (Ashgate) 
https://content.historicengland.org.uk/images-books/publications/metals-conservation/metals-marketing-spreads.pdf/

https://theculturetrip.com/europe/italy/articles/the-story-behind-juliets-balcony-in-verona/

雑誌「CREA」記事「『ロミオとジュリエット』の名場面を思い出させるバルコニーの秘密とは?」2016924

2016年1月3日日曜日

Q:カーテンはいつできたの? カーテンの歴史

さて、前々回よろい戸について書きましたが、ではカーテンはいつできたのでしょう?今回はそれを調べてみたいと思います。

 

 

部屋の仕切り


実は家の中で布を掛けることは、かなり昔からされていました。でも現在のカーテンとは異なり、部屋の仕切りとして使われておりました。

 

ローマ時代の家はいくつもの部屋に別れていましたが、玄関と貯蔵室の様に特にしっかりしたドアが必要な場所を除き、家の中にドアはありませんでした。そのかわりに部屋の入り口にはカーテンがかけてあり、それで部屋を仕切っていました。


Roman House by Harmann Bender (public domain)

防寒のため


アングロサクソン時代の一般家屋は質素なものでしたが、9世紀に描かれた絵から、また当時の文献から、裕福な家ではローマ時代の家と同様部屋の入り口にはドアの代わりにカーテンが使われていた事がわかります。

 

壁には防寒の為に布かタペストリーがかかっていました。大広間は食事にも使われましたが、夜には騎士達や召使い達が床で寝ましたので、その時の使用状況により、布で仕切りました。

 

 

ベッドの周り


家の主用にはベッドがありましたし、その頃は移動にベッドを持ち運びしていたので、裕福なゲストもベッドがありました。ですからプライベートを保つ為、そして防寒の為にもベッドの周りにも布がかけてありました。色は明るく派手で、防寒だけでなく家の中を明るくする為に使われていたことがわかります。

 

 

壁掛けに使えるのは富裕層だけ

 

リンカーンにある12世紀に建てられた裕福なユダヤ人のタウンハウスは建設当時一階に一部屋、二階に一部屋の二部屋しかなく、この空間をカーテンで仕切って使われていたと考えられています。

 

布は高価だったので壁掛けに使えるのはお屋敷やお城、裕福な家だけでした。最も高価な布、特に絹やそれよりも上等なタフタは教会に使われました。

 

 

窓にはないけどドアにはある

 

16世紀になると一般家庭でも壁に絵を描いた布が掛けられる様になります。室内にドアがつけられるようになっても、壁掛けとコーディネートして、カーテンがドアの上に掛けられました。この頃はまだ窓にカーテンをかけることは一般的ではありませんでした。以前にも書きましたが、この頃はまだ窓ガラスは普及しておらず、紙や皮を貼ったり、よろい戸を使用していました。

 

 

ベッドは最も高価な家具


15世紀後半ぐらいからベッドは家に備え付けられる様になりました。家の中で一番高価な物はベッドでした。ですからベッド周りのカーテンには高価なものが使われました。裕福な家では中東やイタリアから輸入されたタペストリーやシルクベルベット、ブロカテルでできたものを使っていました。日中使わない時には角につり下げられた袋の中に収められました。

 
1770年代のベッド

17世紀になると冬にはタペストリーやベルベット、夏には軽いシルクが使われる様になります。

 

 

カーテンの登場!


この頃にはジョージ朝建築の特徴でもある上げ下げ窓(sash window)が普及されだします。窓ガラスの普及と上げ下げ窓のデザインにより、窓が初めて注目されるようになります。そして現在私達が使用しているような窓のカーテンが生まれました。

 

最初のうちの窓のカーテンは、薄い布を一枚掛けただけのかなりシンプルなものでした。とはいってもまだまだ一般的ではなく、大きなお屋敷の中でも重要な部屋にのみ使われました。 

 

17世紀末になると、一対のカーテンが使われる様になります。記録上最も古い一対のカーテンは、南西ロンドンにあるハムハウス(Ham House)のもので、1654に付けられたものです。

 

1610年に建てられたハムハウスは、1626年にチャールズ一世の子供時代の遊び相手で廷臣であるWilliam Murryに贈与されました。最新のトレンドに敏感なWilliamとその娘Elizabethは、ハムハウスを自分たちの趣味にあわせて改築します。 

 

1670年代までには、ハムハウスの主要な部屋の窓には、すべて一対のカーテンが取り付けられました。


Ham_House by Angmering (creative commons)

窓カーテンの地位は低かった

 

それでも窓カーテンの地位はベッド周りのカーテンよりも低く、最も裕福なお屋敷でも窓カーテンには品質的に劣る薄地絹(sarsnet)が使われました。

 

一般家庭ではまだ窓にカーテンをつける余裕はありませんでしたが、つけたとしても梳毛でできた青か暗い色の布でした。