食料保存法について調べていたら、面白い記事に出会いました。缶詰の発明についてです。
2012年に英国王立協会(The Royal Society)が発表した飲食に関する最も重要な発明品の中で、冷蔵庫、殺菌方法に続いて、缶詰が三位に輝きました。イギリス人は冷蔵庫も缶詰もイギリス人の発明だと主張します。
確かに冷蔵庫は以前紹介したように、スコットランドの化学者William Cullenが人工冷凍の原理を紹介したことから始まります。缶詰もイギリス人のピーター・デュランド(Peter Durand)が発明したことになっています。ところが、その裏には隠れたエピソードがあったのです。
船乗りと壊血病
船乗りの間では壊血病が深刻な問題となっていました。壊血病はビタミンC不足が原因で起こる病気で、倦怠感から始まり、歯が抜け、皮下出血で肌が黒ずみ、皮膚は革のように硬くなり、関節は膨れ上がり、古傷は口を開け、多くの人が死に至りました。
レモンジュースが壊血病に有効であることは、東インド会社の最初の医師John Wooddall が1600年頃に記していますが、それはどういうわけかあまり知られていなかったようです。
どちらにしても、ビタミンC欠乏が壊血病の原因だと医学的に証明されるのには、1932年まで待たなければいけませんでした。
船乗りの食事
1677年に海軍本部書記官サミュエル・ピープス (Samuel Pepys)が作成した食料供給契約によると、水兵一人につき、1日あたり、堅パン500g弱とビール約4.5リットル。週に4日肉が出され、一週間で約3.6kgの塩漬け牛肉、又は約1.8kgの塩漬け牛肉と約900gのベーコンか塩漬け豚肉、それに500g弱のエンドウ豆(乾燥)の付け合わせ。残りの3日は魚(新鮮なタラ、干物か塩漬けのタラかヘイク)、約57gのバター、そして110g強のチーズ。
18世紀に入り、1733年に英国海軍本部が出版した規則によると、堅パンとビールは変わらず、後は一週間に塩漬け牛肉が2日(合計1.8kg)、塩漬け豚肉が2日(合計900g)、エンドウ豆4日(合計950g)、オートミール3日(合計1.4kg)、バター3日(合計170g)、チーズ3日(合計340g)となっています。そして、水兵の健康のために、週に一度は牛肉の代わりに、小麦粉とスウェット(牛脂または羊脂)とレーズンでできたプディングを出すこと、としています。
これは、19世紀半ばに缶詰が使われるようになるまで変わりませんでした。船上は湿気が多く、堅パンや乾燥豆などの乾物は、湿気を帯びて腐ったり、ネズミに食べられたりしました。塩漬けの肉も、きちんと貯蔵されていないものは腐敗しました。ですから、実際に兵士のお腹に入ったのはこれよりも少なかったのですが、それでも当時の一般人の食事と比べれば、かなり贅沢なものでした。
柑橘系果物が有効だけれど……無視
医師のJames LindはJohn Wooddallの記述を受け、1753年に比較対照試験を行い、オレンジやレモンが壊血病の治癒に有効であると発表しましたが、海軍本部は、長期間の航海の為に大量の新鮮な果物や野菜を調達し、保存させるのは経済的ではないとして、Lindの推薦を無視しました。
ただ、Lindも柑橘系の果物の欠乏だけが問題ではなく、船員たちの船上での環境、特に湿気や臭気がその原因であるとも述べています。以前にも書きましたが、昔は瘴気が原因で病気になると考えられていたからです。
また、港に着き、新鮮な野菜と新鮮な肉を食べると症状が良くなるので、その原因は塩漬けの食物の食べすぎによる消化不良にあるとされ、塩漬けの魚はメニューから消え、硫酸でできた薬が常備されるようになりました。
ライミー
1793年に始まったフランス革命戦争は、海軍の食糧にとって大きなターニングポイントとなります。フランスを相手に海上封鎖を発令したイギリス軍は、距離的には近くても、反対に寄港することもままならず、何ヶ月も海上で過ごさなければなりませんでした。その為、新鮮な食材を入手することができず、壊血病は深刻な問題でした。
1795年には、植民地で調達した安価なライムで作られたジュースが取り入れられましたが、結果は決定的ではありませんでした。これはジュースが予防策として使われず、治療として使われたこと、使われたライムがレモンよりもビタミンCが少ないこと、そしてそのジュースの抽出法に問題があり、ビタミンC含有量が少なかったからだと考えられています。
ちなみにイギリス海軍でライムが取り入れられたことから、アメリカではイギリス人を卑下するときに「ライミー(limey)」と呼びます。
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1867年のThe Merchant Shipping Actで商船はライムジュースを積むことが義務付けられ、同年Rose's Lime Cordialが発売された。 |
菓子職人の発明
フランス軍にとっても、食料調達は深刻な問題でした。その為、ナポレオンは1795年に、軍用に食糧の長期保存の方法を発明したものに賞金を出すと発表します。
これに答えたのがニコラ・アパール(Nicolas Appert)です。彼はシェフで菓子職人でした。砂糖漬けから始まり、いかに素材の味を残したまま長期保存できるかを考え始めました。
10年近い試行錯誤の後、前回紹介した、瓶詰めにし煮沸消毒する「ボトリング(bottling)」という食料保存法を発明しました。
1803年に彼はスープ、牛肉のグレービー煮、豆類を瓶詰めにしたものを海軍に届けました。3ヶ月おいた後に前線に送られたそのサンプルは好評で、1810年にアパールは賞金を受け取ります。
フランス政府の要請で、アパールはこのボトリングの方法を出版し、フランス中の人々が彼の功績を讃えました。ただ一つだけ問題がありました。ガラス瓶は重く、壊れやすかったのです。
缶詰発明の裏には……
アパールの本が出版されてから数ヶ月後に、イギリスではピーター・デュランド(Peter Durand)が、軽量で壊れにくい缶を使ってボトリングをする方法で特許を取りました。その為、彼が缶詰の発明者だと言われていますが、実は彼は名前を貸しただけだったのです。
彼の名誉のために言っておきますが、デュランド自身、発明家でした。そしてデュランドの特許申請書には外国にいる友人からその方法を聞き、改良した、とあります。
フランス人発明者
2013年4月21日付のBBCの記事には、今は引退したレディング大学の講師Norman Cowellのリサーチが紹介されています。彼によると、Philippe de Girardというフランス人がロンドンに来て、デュランドに特許取得を頼んだとのこと。
Girardは発明家で、実際彼が英国王立協会に何度も足を運び、その会員相手に自分の作った缶詰を試していた記録があるそうです。
Cowellによると、フランスは手続きが煩雑で時間がかかり、アカデミー・フランセーズで認められても、金銭的見返りはほとんどなかったそうですが、イギリスは起業支援に積極的だったそうです。
ただ当時フランスとイギリスは敵対国。フランス人が特許取得をするのは難しかったので、デュランドに頼んだようです。アパールに先を越されたという気持ちもあったのかもしれません。
実は、缶詰の特許を取得した1810年、イギリスからの輸入を規制する為に、ナポレオンは亜麻紡績機械を発明したものに賞金を出すと発表し、Philippe de Girardはそれに答えて特許もとりますが、賞金は誰にも払われませんでした。
結局彼は政治的に不安定なフランスからオーストリアに逃亡し、オーストラリアでリネン工場を開き、その後ポーランドに招かれ、最後にはフランスに戻ります。
王家のお墨付き
一方、デュランドはその後その権利をブライアン・ドーキン(Bryan Donkin)に売り、輝かしい名前のみ残して歴史から姿を消します。
ドーキンはエンジニアで、テムズ河の南、タワーブリッジにほど近いバーモンジー(Bermondsey)に工場を作り、商業的規模で展開できるように改良を重ね、1813年に最初の缶詰を発売します。
フランス革命戦争に引き続くナポレオン戦争の英雄ウェリントン公爵は、初期の牛肉の缶詰を口にし、海軍と陸軍にその缶詰を推薦し、それはシャーロット王妃、そして当時の摂政王太子のジョージ4世にも食され、賞賛を受けました。
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1812年にBryan Dorkin and Co., Londonによりつくられた缶 (creative commons) |
1813年には海軍本部がまずは病人向けに70kgの缶詰を注文、その翌年には1300kg、1921年にはその三倍と、缶詰は軍隊にはなくてはならない食糧となります。
ビタミンCは、熱に弱い為缶詰には含まれていませんが、野菜や果物もとれるようになり、それまでの食事に比べればはるかに栄養価の高い食事を提供できたので、水兵たちも病気にかかりずらくなりました。
安かろう悪かろう
しかし、間もなくして、彼らの成功を見、真似して缶詰を生産する会社が出てきました。1845年にはStephan Goldnerが格安な値段で海軍本部の契約を勝ち取ります。
ところが、1852年には煮沸消毒をきちんとしなかった為に缶詰の中身の肉が腐っていたり、病気を持った動物の肉が使われていたりということが発覚し、スキャンダルになりました。それにもかかわらず、海軍本部はGoldnerとの契約を更新。1865年に禁止されるまで彼らは海軍への供給を続けました。
その間、何十万kgという缶が食用に適していないと捨てられました。安物買いの銭失いというのは、まさにこういうことを言うのですね。残念ながら、この事件がきっかけで缶詰は質が悪いというイメージがついてしまったのも事実です。
缶詰を食べるのにカナヅチが必要
1813年にドーキンの工場が稼働し始めた当時は、一人につき1時間に作れるのは6缶でした。
ちなみに、最初の缶切りは1860年代に発明され、家庭の必需品になるのは20世紀に入ってからですが、最初の缶詰はカナヅチとたがねで開けていたそうです。
1860年代に機械化が行われ、大量生産が可能になりました。1851年の万国博覧会(The Great Exhibition)にも展示され、缶詰の市場は一般家庭用へと広がります。
1825年にはアメリカで缶詰作りが始まり、農業大国のアメリカは缶詰生産の中心地となります。
ちなみに、日本では1871年(明治4年)にフランス人の指導で、長崎でイワシの油漬缶詰を作ったのが始まりだそうです。1877年には、北海道で日本初の缶詰工場が誕生しました。
缶詰はエコ
1982年のフォークランド戦争まで、イギリス軍の食糧はほとんどすべて缶詰でしたが、その3年後には、軽くて持ち運びが簡単なパウチに取って代わられました。一般家庭でも、冷凍食品や電子レンジでチンするだけの食品の普及により、缶詰の需要は減りました。
ところが、実は缶詰は今また見直されているのです。それは缶がリサイクル可能なため、プラスチック容器に入った食品よりもエコだからです。それに缶詰は非常食として便利です。日本では、焼き鳥などグルメな缶詰もたくさんあり、おつまみにも最適ですよね。
宇宙食に見る国民性
非常食を見ると、その地の食生活を垣間見ることができます。2015年にティム・ピークス(Tim Peakes)が国際宇宙ステーションに滞在することが決まった時に、シェフのヘストン・ブルメンタールが彼のために特別に作ったスペースフードがこの缶詰群です。
ベーコンサンドイッチ(Bacon Sarnie)を始め、リンゴ煮、ライムカード、チキンカレー、トリュフ入りビーフシチュー、ソーセージシズル(ソーセージサンドイッチ)。もう一つOperation Raleighはティムがアラスカに探検に行った時の思い出にインスピレーションを得た鮭料理だそうです。ちなみにトリュフはイギリスでも特別な食材です。
EU離脱に備えて
2018年12月に、非常食会社Emergency Food Storage UKは、イギリスのEU離脱で食糧難になった時に備えるBrexit Boxを発売し、一箱£295(約45000円)するにもかかわらず、1月の半ばまでに600箱以上販売したことでニュースになりました。
缶詰とパウチに入ったフリーズドライフードのメニューは、マカロニチーズ(チーズだけのグラタン)、ミートソースのパスタ、チキンカレー、チキンファフィータ、牛肉とポテトのシチュー、鶏肉の酢豚風、サーモンとブロッコリーのパスタ、野菜カレー、チリコンカルネ、鶏肉のチャーハン、野菜チャーハン。
帝国主義の過去を反映する、現代のイギリス人の食事を物語っています。(現代のイギリス人は、インド料理も中華料理もイギリス料理と同じ感覚で捉えています。)
缶詰の業績
缶詰の本当の発明者が表に出るまでに200年かかりました。そういう意味では、宇宙まで旅をしたその後の缶詰の業績の方が、その誕生そのものよりも輝かしいと言えます。でも21世紀になっても、缶詰が私たちの生活の一部になっているのは紛れもない事実です。Philippe de Girardもお墓の中で喜んでいるでしょう。
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