この家を最初にみて不思議に思ったのは、この閉ざされた窓は何だろう、ということでした。もともとは一軒家だったのを分けたのかしら?それにしてもドアを動かした跡はないし、ジョージ朝の建築は左右対称が基本なので、一軒家だったらドアは真ん中にくるはず。家の中の作りからしても、どうも二つに分けたとは考えにくい。ずっと不思議に思っていました。
ジョージ朝にあった窓税
ある日友人が言いました。ジョージ朝には「窓税(Window Tax)」というものがあり、それを払いたくない人達が窓を閉ざし、かわりに窓の絵を描いた、と。そこで調べてみました。
戦争貧乏
窓税は、1696年ウィリアム三世の時代にイングランドに導入されました。メアリー二世と結婚し、1689年にイングランド国王となったオランダ人ウィリアム三世は、イングランドを1688年に勃発した大同盟戦争に巻き込みます。
この戦争はその後北米にも波及し、大西洋をまたいだ植民地戦争となっていき、長引く戦争で国の財政は厳しくなります。
硬貨を削る犯罪
また、1670年代ぐらいから硬貨の周りを削り、金工に売る犯罪行為が蔓延し、硬貨の価値が著しく損なわれていました。
1696年に、国会は新たに硬貨を鋳造し、税金の支払いに削られた硬貨を使用することができなくなりました。このせいで市場にお金がまわらなくなり、金融危機を迎え、政府も財政危機を迎えます。
当時は所得税はなく、所得税導入に対して国民は反対意見を持っていた為、苦肉の策としてとりいれられたのが窓税です。
窓が多ければ収入も多い?
当初は家一軒につき一律2シリング、そして窓が10以上ある家は、その窓の数に応じて窓税を払いました。例えば窓が10〜20ある家は年額4シリングか6シリング、20以上ある家は8シリングか10シリング。
1747年には改正され、窓が10〜14の家は窓一つにつき6ペンス、15〜19の家は9ペンス、20以上の場合は1シリング払う事になっていました。(ちなみにこの時代は1ポンド=12シリング、1シリング=12ペンスです。目安として、この頃家族を持つのに必要な年収は40ポンド程、中流家庭の年収は100ポンド強、500ポンドあれば金持ちだと言われました。)
要するに、窓が多ければ多い程大きい家に住んでいるだろう、つまり収入が多いだろうという想定の下に取り入れられた税なのです。しかも、窓は通りから見えるのでごまかしようがありません。
税金のがれ
1747年から1808年の61年の間にこの税金は何度か改正され、税率も上がります。1766年には窓が7つ以上ある家も対象になりますが、1825年には8つ以上の家に対象が上がります。
貴族はお金があることを誇示する為に率先して窓税を払ったそうですが、この税金を逃れるために、数多くの家が窓を塗りつぶしました。1718年にはすでに窓を塗って閉ざした為に税収が減ったという記録があります。
©モリスの城 |
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光と空気税
ありがとうございます!イギリスに訪れた時に、なぜ窓がふさがれている建物があるのかわから中たのですが、窓税なるものがあったのですね。疑問が一気に解決しました!
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