さて、前回窓税について書きましたが、いろいろと調べているうちにおもしろい文献に出会いました。Andrew E. Glantz著の「A Tax on Light and Air:Impact of the Window Duty on Tax Administration and Architecture, 1696-1851」です。その中に窓税のイギリスの建築スタイルへの影響について書かれているのでここで簡単に紹介したいと思います。
光が空気が入るあらゆる建物の開口
まずは「窓」についての定義が曖昧だったそうで、査定者によってかなり幅がありました。当時の辞書によると「窓」とは「光や空気が入るあらゆる建物の開口」となっており、それを文字通りにとって、通気孔を含むありとあらゆる壁の穴をも「窓」と定義し、それをベースに窓税を計算する査定者もいました。ご想像通り、かなりの物議をかもしだし、その為多くの人が、窓だけでなく通気孔も塗りつぶしました。
暗くじめじめした部屋
ロンドン等大都市の借家は、一つの建物にアパートがいくつ入っていても、一つの家として数えられたため、大家の負担はかなりのものでした。その為できるだけ窓を塗りつぶして負担を軽減しようとしたので、多くの特に貧しいテナントは、一家族に対し一つしか窓がないような暗くじめじめしたアパートでがまんしなければなりませんでした。しかも窓税を家賃に上乗せして請求する大家もいました。
子供と召使いは窓は必要なし
新築の家にあっては、例えば1761年の税制では窓が8以上、10以上、12以上、15以上、20以上という単位で窓税がかかったので、その頃に建てられた建築物の窓数は、7、9、11、14、19のいずれかがほとんどです。
中流家庭の家では、三階の寝室には窓をつけない家も多くありました。当時は主寝室は大概二階にあり、三階は子供と召使いの部屋でした。どうせ夜しか使わないので、光が入ろうが入らなかろうがかまわないと思ったのでしょう。
仕事の部屋は免税
食料貯蔵室、バターやチーズの製造、その他の商業関連に使われる部屋は窓税が免除されていたため、査定者が間違えないようにそのような部屋の窓には看板をかけたりペンキで「Dairy」等と壁に書いたりしました。
それを逆手にとり、商業用に使っていないのにそのようなサインをペンキで書いたり、部屋をアレンジしなおしてビジネスで使っているように見せかけたりした人も多数いました。
「ちょっと家具を動かして、査定者に賄賂を贈れば、かなり節税できる」とも言われました。
厳しくなる取締
しかし1740年代にはそのような腐敗した査定者は排除され、そのような詐欺行為に対する取り締まりが厳しくなり、商業用の部屋でも、住宅の一部で家庭用にも使用されている可能性のある部屋は、一切免除の対象にならないことになりました。
作業用の建物
困ったのは本当に仕事で必要な人達です。彼らは敷地内に、住居と離れた作業用の建物を建てる様になりました。当時、多くの人が家で仕事をしていたため、1747年には土地の一部に作業用の建物があるのが当たり前になりましたが、
そこも税の対象に!
その年の税改正では「台所、洗い場、食料貯蔵室(buttery、pantry、larderを含む)、洗濯室、パン焼き室、醸造室、宿泊室も、住宅の一部であってもなくても、住居と共に税が課される」ことになりました。
財力の誇示
平均的な家庭が窓税を極力払わない方向で努力している一方、貴族達はまるで正反対な事をしました。成金や金持ちの中流家庭とは財力が違う事を誇示する為、できるだけ窓をたくさんつけました。Astley HallやBurghley Houseがそのいい例です。また、そこまで豪華な家でなくても、二階半や三階までしかない建物の屋根裏に窓をつけ、三階建て、四階建てに見える様にしました。
Astley_Hall by David Hignett (Creative Commons) |
Burghley House ©モリスの城 |
窓税の廃止
1851年に窓税が廃止されると共に、建物の窓数が増え、19世紀後半には、どの部屋にも日光が入る方が健康にいいと広く認められるようになりました。しかし一度塗り込まれた窓が必ずしもすべて開いた訳ではなく、窓税の傷跡は未だにあちらこちらに見られます。
デザインの一部に
現在でも、塗り込まれた窓はジョージ朝の建物の特徴として受け入れらており、20世紀後半以降にジョージ朝のスタイルで建てられた建築物には閉ざされた窓がデザインとして取り込まれています。
©モリスの城 |
0 件のコメント:
コメントを投稿