以前に生ぬるいビールについて書きましたが、今回は熱々のビールについて書いてみたいと思います。というのも、先日バース(Bath)に行った時に面白いものを見つけたからです。
ビアウォーマー
金属製のビアウォーマー(beer warmer)です。ブーツ型のものと円錐型のものがあり、先っぽを暖炉の熱い石炭の間に突っ込んでビールを温めます。ビールをそのまま温めるだけでなく、ナツメグやジンジャーや砂糖を入れて飲む場合もありました。
寒い冬日に、マントルピースのろうそくだけで灯された薄暗い部屋の中、暖炉の側の肘掛椅子に座り、その火で温めた熱々のビールが入ったカップを両手で包みながらまったりと飲む、そんな情景が思い浮かびます。
温かいビールは荒れ模様の天気に一番
温めたビールなんて飲む人がいるのか、と思いますが、1743年のthe Spiritous Liquors Bill (蒸留酒に関する議案)に関する議会討議で、オックスフォード司教はこう述べています。「温かいビール一口の方が、他のどの酒一口よりも、荒れ模様の天気に対して効果的だと思いますな」。
1849−1850年にシリーズ化されたチャールズ・ディケンズによる小説「ディヴィッド・コパフィールド」には、温めたエールをティースプーンでちびちびと飲むおばさんが出てきます。
実は長い歴史
熱々のビールの起源は古く、伝説にまで遡るようです。5世紀に、ブリトン人宗主ヴォーティガン(Vortigern)は、スコット人やピクト人に対峙する為に、ヨーロッパからサクソン人を招きます。サクソン王の娘ロウィーナ(Rowena)は、ヴォーティガンに謁見した時に、ひざまづいて杯を掲げ「Lord King, Waes heil!(王の健康を祈って!)」と乾杯します。ヴォーティガンは杯を受け取り、サクソンの慣習に沿い、「Drinc heil!(健康を祈って乾杯!)」と言って飲むと、ロウィーナのところに降りて行き、キスをして手を取りました。その微笑ましい様子にその場に居あわせたゲストが皆乾杯し、キスをして祝福したそうです。
それ以降、クリスマスイブ、大晦日、十二夜には、ワセイル(Wassail ―「Wassail」は「Waes heil」が変形したもの)という温かいスパイス入りのワインやエールを飲むようになったと言います。
その昔は、お祝いの時期には家から家へワセイルを売り歩く女性がいたそうです。現在クリスマスにマルドワイン(mulled wine―スパイス入りの温かいワイン)を飲むのはその名残なんですね。
ラムズウール
17世紀にはワセイルボウルの中身に変化が見られます。ラムズウール(Lambswool)の登場です。これは温かいエールに砂糖とナツメグを加え、それにトースト(トーストしたパンは風味を良くすると考えられていました)とローストした「crab」を入れたものです。「crab」といってもカニではなく、「crab apple (野生の姫リンゴ)」のことです。
1633年のレシピには、「それに卵やクリームを入れることもある」と書いてあります。羊毛という名のラムズウール、その名前はリンゴが浮いている様が羊毛に似ているからとも、アイルランド語の「ラマスール(La Mas ubal−リンゴの日)」から来たとも言われています。アイルランドでは11月1日にリンゴの収穫を祝っていたそうです。
ホップの入っていないビール
昔はエールにはホップが入っていませんでした。最初に記録に残っているホップ入りのビールは1372年のもので、1440年ごろまでにはホップを使った醸造法が広まったようです。ホップ入りのものをビールと呼び、ホップ抜きのビールのことを「エール」と呼ぶようになりました(いつからエールにもホップが使われるようになったかはわかりませんが、現在のエールにはホップが入っています)。
ホップが入っていないので、味を整えるために、昔のレシピにはよくスパイスが使われています。17世紀までにはホップ入りのビールのほうが人気になりました。
エールブルー
さて、後にエール・ベリー(Ale-Berry)と呼ばれるようになるエール・ブルー(Ale-brue)は、エールにパンと香辛料のメースと砂糖を入れて煮た熱い飲み物です。19世紀のライター、ジョン・ビッカーダイク(John Bickerdyke)は、1420年のレシピを紹介しています。
フリップ
フリップ(Flip)は、モルトリカー(昔のイギリスではビールとエールのことをまとめてそう呼んでいました)にブランデーと砂糖を加え、熱っした鉄の棒で混ぜた水兵の飲み物です。Flipという言葉は、1690年頃からこの飲み物に使われていたようです。
ポセット
ポセット(Posset)は、19世紀にアメリカで「エッグノッグ(eggnog)」と呼ばれるようになる飲み物の前身で、イギリスでは17世紀から飲まれていました。
1625年には、ジェームス1世のお気に入りであったバッキンガム公爵が、王の死の直前に医師の許可なくポセットを王に飲ませたかどうか、それが王の死に繋がったか、議会で議論されています。結局彼は罪に問われることなく、その後チャールズ一世にも仕えています。
1658年の「Earl of Arundel’s Posset」のレシピでは、クリームにナツメグを入れて火にかけ、サック(甘いワイン)とエール、砂糖を加え、火からおろし、冷めるまで置いてからまた一時間以上火にかける、とあります。
1681年に家事に関する本を書いたレベッカ・プライス(Rebecca Price)によると、当時のポセットは「下はうすく、真ん中はカスタードのようで、一番上は雪のようだ。冷めると硬い」そうです。
1836年に出版された本にはポセットのレシピが紹介されています。「Sir Walter Raleigh’s Sack Posset」は温めたクリーム、砂糖、メース、ナツメグに、別に温めたサックとエールを加えた飲み物です。
「Master Rudstone’s Posset」はサック、エール、砂糖を沸騰させ、それに卵、牛乳を加えたもので、「手頃で美味しい飲み物で、栄養価も高く、飲みやすく、お腹の調子が悪い時にもオススメ」だそうです。
ラムブーズ
1761年の辞書(Bailey’s Dictionary)にはケンブリッジで飲まれていたラムブーズ(Rambooze)という飲み物が載っていますが、これはワイン、エール、卵、砂糖を混ぜたもので、ポセットに近いものではないかと思われます。
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Posset pot イギリス1651年製, Wellcome Images |
バタービール
最後に紹介するのは、バタービールです。バタービール(butterbeer)と言うと、一番に思い浮かぶのは『ハリーポッター』に出てくるノンアルコールの炭酸飲料ではないでしょうか。でもバター・ビール(butter beer)というと、その名の通りバター入りのビール。
1594年に出版されたレシピによると、ビールに卵の黄身を入れて濾し、火にかけ、それに砂糖、ナツメグ、クローヴ、ジンジャーを入れ、最後にバターを加える、というもの。
1660年代に官僚サミュエル・ピープス(Samuel Pepys)が書いた日記から、彼が好んで飲んでいたことがわかります。
温かいビールは体にいい!
1641年には温かいビールを推奨する論文が出版されています。私が読んだのは1725年に出版された第2版ですが、「A Treatise of Warm Drink(温かい飲み物に関しての論文)」では「ビールや他のリキュールは冷たいまま飲むよりも(あっためたほうが)ずっと健康に良いと、経験と権威によって証明された」と述べています。「温かいビールは消化を助ける」「喉の渇きにもいい。実際私は温かいビールを飲み始めてから喉が渇いたためしがない」と。
冷たいビールは体に悪い
と同時に、温かいビールと比べて冷たいビールの欠点も指摘しています。「冷たいビールを飲んだ時には、よく頭痛や(中略)腹痛、歯痛、咳、風邪、リューマチなどに煩わされることが多かった。でも血液と同じぐらい温かいビールを飲むようになってからはそのような病気に煩わされることがなくなり、健康を保っている」。
ですから、もしかしたら冷たいビールは体に悪い、という考えがそこからイギリス人に染み込んでいったのかもしれません。
暖炉を使わなくなり、家の中が暖房で暖かくなると熱々のビールは飲まれなくなりましたが、それでも生ぬるいビールを飲み続けているのは、未だにその考えがどこかに残っているからかもしれませんね。