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2023年1月9日月曜日

Q:プラム・プディングにはプラムは入ってないの?――クリスマスプディングの歴史

プラム・プディングにはプラムが入ってなかった!

 

イギリスでクリスマスに食べる伝統的デザートはクリスマスプディングが一般的ですが、かなり濃厚なので、そのかわりにプラム・プディングを作ってみようと思いました。プラム・プディングは食の歴史の本でよく言及されており、プラムは好きなので、ちょっと趣を変えて作ってみようと思ったのですが……。調べてみたら、プラム・プディングとクリスマスプディングとは全く同じものでした。そして、プラムは使われていなかったのです。

 

そこでクリスマスプディングの歴史について調べてみました。


 

クリスマスプディングのドライフルーツ

 

クリスマスプディングとは、ドライフルーツとパン粉とスエットとスパイスとブランデーを混ぜて蒸したものです。デリア・スミスの「伝統的クリスマスプディング」のレシピでは、ドライフルーツにレーズン、サルタナ、カラントを使っています。

 

A family sit around a table eating their Christmas meal and greet the arrival of the plum pudding which is being carried in on a large tray by Cecil Ldin (Public domain)

 では、どうしてプラムが入っていないのに「プラム・プディング」と呼ばれるのでしょう?どうも、昔は「プラム」とはドライフルーツ一般を指していたようなのです。

 

イチジク、デーツ、プルーン、レーズンなどのドライフルーツは、中世にはイギリスで食べられていたことがわかっています。

 

 

ドライフルーツはどこから?

 

手元にあるカラント、サルタナ、レーズンを調べてみると、原産国はギリシャ、トルコ、南アフリカ、アメリカなど。イギリス原産のものはありません。

 


中世でも、地中海近辺から輸入したものもあったようですが、それでは庶民は手がでなかったでしょう。実は、どうも国内でとれていたようなのです。

 

イーリーには、大聖堂の近くに、1400年ぐらいに建てられた家があり、そこにはブドウの絵が描かれた壁画があります。現在は一本も残っていませんが、中世、大聖堂がまだ修道院だった時には、その庭にブドウがたくさん生えていたようです。ブドウはローマ時代からイギリスでとれ、プラムと共に中世には修道院の庭でも栽培されていました。それを考えると、ドライフルーツは意外に身近なものだったのかもしれません。

 

 

 

どうしてドライフルーツがプラムなの?

 

ではどうしてドライフルーツの総称が「プラム」だったのでしょう?実は、「plum」には現在の「plump」と同じ、「丸々とした」「ふっくらした」という意味がありました。ドライフルーツは水分につけて戻すと、ぷくっとふっくらします。きっとそのために、「プラム」と言われたのではないでしょうか。

 

 

フィギープディングにはフィグは入ってない?

 

ちなみに、クリスマスプディングはフィギープディング(figgy pudding)とも言われるのですが、いちじく(fig)も入っていません。「figgy」というのは、「いちじくのような」という意味ですが、「甘い」という意味で使われていたのです。つまり、「いちじくのように甘いプディング」という意味でした。

 

 

クリスマスプディングの元祖

 

さて、クリスマスプディングは、プラム・ポティージ(plum pottage)というものが元になっているといわれます。

 

pottage」を英和辞典で調べると「ポタージュ」とでてきます。事実、中世フランス語の「ポタージュ(potage)」が語源です。「ポタージュ」というとオシャレな感じがしますが、ポティージというのは、まだ直火で料理をしていた時に、火に鍋をかけ、その中で野菜や穀物、そしてある程度裕福であれば肉を、とろとろと煮た素朴なシチューです。もちろん、レンジになってからも作られていましたが、今は特別な「田舎料理」でもない限り、目にすることも耳にすることもありません。

 

Old Cottage Fireplace and pets c1860s (public domain)

食歴史家のアン・ウィルソンは、プラム・ポティージの歴史は15世紀のレシピに遡るとしています。「Stewet Beef to Potage」というレシピでは、一口大の牛肉を水、ワイン、玉ねぎ、ハーブ、クローヴ、シナモン、メース、レーズン、カラント、パン(とろみづけ)、紅木紫檀(食紅)で煮込んだもののようです。当時はクリスマスとは関係なく食べていたようです。

 

以前ミンスパイの記事でも書いたように、肉を保存する知恵として、肉とドライフルーツとスパイスを混ぜるレシピを、十字軍が中東から持ち帰ってきました。ですから、それ自体はイギリスでもすでに確立した組み合わせでした。

 

 

プラム・ポティージがクリスマス料理に

 

このポティージを最初にクリスマス料理と呼んだのは、1673年に出版された本『The Whole Body of Cookery Dissected』の中でのようです。この頃には、これにアルコール(クラレットまたはサック)が加えられ、事前に作られて陶器のポットの中で保存されていたようです。

 

プラム・ポティージはプラム・ポリッジともよばれ、クリスマスに食べられるようになると、クリスマス・ポティージ(またはポリッジ)とも呼ばれました。

 

1728年の「プラム・ポティージまたはクリスマス・ポティージ」のレシピによると、牛足を水で柔らかくなるまで煮、そこに赤ワインとストロングビール、クローヴ、メース、ナツメグ、リンゴ、カラント、レーズン、プルーンを入れ、牛足を最後に取り除いて食べます。

 

1695年に発表されたウィリアム・ウィンスタンリーの詩、『Now Thrice Welcome Christmas』には、「ミンスパイやプラム・ポリッジ;美味しいエールに強いビール」という一節があり、この頃からクリスマスに食べられていたことがわかります。

 

18世紀のスイス人トラベルライター、セザール・ド・ソシュールは1726年に、「国王から職人にいたるまで、スープを飲んでクリスマスパイを食べる。このスープはクリスマスポリッジと呼ばれ、外国人の口には合わない」と書いています。

 

このクリスマス料理も、19世紀前半には徐々にみられなくなってきます。

 

 

プラム・プディングの登場

 

さて、以前書いたように、プディングを作るのに布が使われ始めたのが17世紀初頭です。まもなく、1630年までには、プラム・プディングの記載が見られるようになりました。

 

1714年のレシピによると、プラム・プディング(Plumb pudding)を作るには、細かく刻んだスエット(牛脂や羊脂)にレーズン、粉、砂糖、卵、塩を合わせ、プディング用の布に包み、四時間以上煮る、とあります。

 

A woman takes a large plum pudding in a cloth bag off a hot stove in a kitchen by R Seymour 1830-1839 (public domain)

1675年のクリスマスには、大英海軍の従軍牧師、ヘンリー・ティアンジが、船長とともに牛肉、プラム・プディング(Plumb pudding)、ミンスパイを食べたと記録していますが、先に書いたように、この頃はまだプラム・プディングよりもプラム・ポティージのほうがクリスマスには一般的でした。

 

 

ご馳走プディング

 

1750年にウィリアム・エリスによって書かれた『The Country Housewife’s Family Companion』によると、特に大変な小麦の収穫時期2週間は、カレントとレーズンとスエット入りの プラム・プディング(Plumb pudding)を牛肉と共に、農夫たちに食事として出しています。これから、プラム・プディングはクリスマスだけでなく、ご馳走として特別な日に出されたのだと想像できます。

 

ちなみに、プラム・プディングはデザートとしてではなく、現在のヨークシャープディングのように、ローストビーフと一緒に食べられていました。食後のデザートになったのは18世紀末ぐらいからです。

 

 

クリスマスプディングはディケンズへのオマージュ?

 

1845年のエリザ・アクトンのレシピによると、「クリスマスプディング」は、パン粉、粉、レーズン、カラント、リンゴ、スエット、砂糖、オレンジピール、ナツメグ、メース、塩、卵、ブランデーを混ぜ、三時間半煮る、とあります。18世紀のレシピに比べると、かなり濃厚になっていることがわかります。

 

この頃までには、ディケンズの『クリスマスキャロル』にみられるように、ブランデーを振りかけて火をつけるという習慣が広まりました。これは特別感を与え、通常に食べるプラム・プディングとは一線を画すようになりました。

 

Christmas_pudding_(Heston_from_Waitrose)_flaming by Ed g2s (Creative Commons)

実は、プラム・プディングを最初に「クリスマスプディング」と呼んだのは、エリザ・アクトンだそうです。ディケンズの『クリスマスキャロル』が出版されたのが1843年。そして、彼女のレシピが出版されたのがその2年後。どうも、エリザ・アクトンはディケンズのファンで、そのレシピ本を彼に贈呈したとか。そして、食歴史家のペン・ヴォルガーは、彼女はディケンズの作品へのオマージュとして、このプディングを「クリスマスプディング」と名付けたのではないかと推測しています。

 

こうして、19世紀末までにはプラム・プティングはクリスマス限定の食べ物になり、「クリスマスプディング」となったのです。

 

 

<参考文献>

 

 

Acton, Eliza, 1865, Modern Cookery for Private Families (Longman, Green, Longman, Roberts, and Green)

Bradley, Richard, 1728, The Country Housewife and Lady’s Director in the Management of a House, and the Delights and Profits of a Farm (The Project Gutenberg)

Davidson, Alan, 2014, The Oxford Companion to Food (Oxford University Press)

Ellis, William, 1750, The Country Housewife’s Family Companion (J.Hodges)

Given-Wilson, Chris, 1996, An Illustrated History of Late Medieval England (Manchester University Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Kettilby, Mary, 1714, A Collection of Above Three Hundred Receipts in Cookery, Physick, and Surgery (Richard Wilkin)

McLean, Teresa, 2014, Medieval English Gardens (Dover Publications)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

Volger, Pen, 2020, Scoff: A History of Food and Class in Britain (Atlantic Books)

 

Delia onlineウェブサイト

University of Leeds Library ウェブサイト

Oxford English Dictionary

Visit Elyウェブサイト

 

Ely Cathedral Monastery Tour

 

2022年8月7日日曜日

Q:イギリスにはプリンはなかったの? プリンの歴史2

前回に引き続き、プリンの歴史をみていきたいと思います。

 

 

イギリスのプリンはフランスから?

 

実は、不思議なことに、カラメル味のプリンに相当するものは、イギリスではクレームブリュレかクレームカラメルです。ご存じだと思いますが、クレームブリュレは、カスタードの上に砂糖を焦がした硬いカラメルの層がのっています。クレームカラメルは、要するにプリンで、カラメルをカスタードの下に入れて火を入れるので、カラメルはソースとなります。ちなみに、どちらもフランス語です。日本のプリンがプディングからきたとしたら、どうしてイギリスではフランスからの輸入ものなのでしょう?

 

クレームカラメル
クレームカラメル

 

 

18世紀のクレームブリュレ

 

クレームブリュレがイギリスに紹介されたのは、1702年だと考えられています。フランス人シェフFrancois Massaialot1691年に出版したレシピ本『Cuisinier royal et bourgeoisが、その年に英語に翻訳され、イギリスで出版されました。その中で、クレームブリュレがそのまま直訳され「Burnt Cream」として紹介されています。その中ではバニラではなく、シナモンとレモンの皮そしてレモンピールで風味付けをしています。そして、カスタードが固まったら、その上に砂糖をちりばめ、暖炉の灰をすくうのに使われる小さなシャベルを熱して、それで砂糖を焦がします。

クレームブリュレ
クレームブリュレ
  

1788年に出版されたElizabeth RaffaldThe Experienced English Housekeeper』の中にも、「Burnt Cream」のレシピが載っています。このレシピでは、カスタードをオレンジのフラワーウォーターで風味付けをしています。砂糖を焦がすには、サラマンダーという、料理用の焼き色付け器を使うと書いてあります。

 

サラマンダー
Iron salamander, probably English, 18th century (Creative commons)

 

ケンブリッジ大学のバーントクリーム

 

ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジには、大学の紋章を焼き付けた「トリニティ・クリーム」というクレームブリュレがあります。「ケンブリッジ・バーントクリーム」とも呼ばれるこのデザートは、1879年からトリニティ・カレッジの学食で出されています。一説によると、ある学生が、スコットランドのアバディーンに行った時に口にし、レシピを持ち帰って、学食のシェフに作ってくれるよう頼んだとか。スコットランド女王メアリー・スチュアート(15421587)はフランスで育っているので、もともとは彼女が持ち帰って、スコットランドで作られていた可能性があるかもしれないとのこと。もちろん、そのスコットランドのシェフが、Francois MassaialotElizabeth Raffaldのレシピを見て作っていた可能性もあります。

 

Photograph by Rafa Esteve (Wikimedia commons)

 

バニラ味のカスタード登場

 

ところで、1859年の『Modern cookery, for private families』には、「French custards or creams」として、オーブンで湯煎をするやり方を紹介しています。そして、このレシピでは、風味付けにバニラが使われています。おそらく、これが一番プリンに近いレシピではないかと思います。また、全く別の項目ですが、「caramel」の作り方も載っています。記述から、すでにプロの製菓職人はカラメルを作って、ぺーストリーやヌガーに使っていたことがわかります。

 

 

カラメルの語源

 

ちなみに、カラメルはフランス語から英語になったようですが、その元はスペイン語の「caramel (現代の言葉ではcaramelo)」。そして、それはおそらくラテン語の「canna(サトウキビ)」+「mellis(ハチミツ)」からきているのではないかということです。そして、それはもとをただせば、アラビア語からきているかもしれません。

 

 

カラメル味のカスタード

 

1884年にアメリカで出版された『Hand-book of Practical Cookery: For Ladies and Professional Cooks: Containing the Whole Science and Art of Preparing Human Food』の中におもしろいレシピを見つけました。これを書いたPierre Blotはフランス人で、30代の時にアメリカに移住しました。「Creams or Crèmes au Citron」のレシピの中に、レモンではなく、「burnt sugar(焦がした砂糖)」で風味付けをする方法が載っています。その方法では、まずカラメルを作り、牛乳にそのカラメルを入れて熱して、カラメル味のカスタードを作ります。さらにはそれにローズウォーターやオレンジフラワーウォーターを加えています。

 

これが、私が見た最初のカスタード+カラメルのレシピです。

 

 

クレームブリュレの起源はスペイン?

 

実は、カラメル味のカスタード菓子の起源については、食歴史家の間でも意見が分かれるところなのです。

 

スペインのカタルーニャ地方には「Crema Catalana」というお菓子があります。それが最初に紹介されたのは『Libre de Sent Soví』(1324年)だそうです。Crema Catalana」もシナモンとレモンで風味付けをします。そして、クレームブリュレと同じく、上にまぶした砂糖を焦がします。

 

1691年のFrancois Massaialotのレシピも、現在のようにバニラではなく、シナモンとレモンで風味付けをしているところを見ると、やはりフランスのクレームブリュレは、もともとスペインからきたのかもしれません。また、前回書いたように、現在スペイン語でプリンを指す「flan」が、イギリスの中世ではカスタード/チーズケーキのようなものを指していたことを思えば、やはりプリンはスペイン生まれなのでしょうか。

 

 

日本のプリンはポルトガルからきた?

 

日本のプリンの語源ですが、私は個人的には、ポルトガル語の「pudim」からきたのではないかと思っています。Pudim flan(プディム・フラン)はまさにプリンのようなようなもので、「プディム」と「プリン」は音が似ているからです。ご存知のように、鎖国前はポルトガル船が日本に何度も来ていますし、鎖国中は交易はなかったものの、1860年に日葡和親条約と日葡修好通商条約を結んでいます。食文化研究家の畑中三応子氏によると、「プリン」と呼ばれる前には「プデン」と呼ばれていたこともあるそうですから。

 

プディムフラン
プディム・フラン

 

ポルトガルのプディムはイギリスから?

 

面白いことに、ポルトガルのpudimという言葉は英語のpuddingを語源としているようです。「pudim」の意味を英語で調べてみると、「卵、小麦粉、ミルクを使って作られたスイーツ」となります。ですから、「プディング」はもともとはイギリスから、「カスタードプディング」のこととして紹介されたのではないかと思います。料理研究家のClarissa Dickson Wrightは、イギリスのカスタードタルトとポルトガルのパステル・デ・ナタが似ている(生地は全く違いますが)ことから、チャールズ二世のキャサリン王妃が、チャールズの死後ポルトガルに帰った時に、レシピを持って帰ったのではないかと推測しています。キャサリン妃は、以前書いたように、イギリスに紅茶を広めた当人。もし彼女が紅茶をイギリスに広めて、カスタードを使ったデザートをポルトガルに持って帰ってきていたら? 想像が膨らみます。

 

地理的にいって、スペインからプリンが入ったと考えるのが自然ですが、スペインから「フラン」が紹介された時にはすでに「プディム」がイギリスから紹介されていたのかもしれませんね。ですから「プディム・フラン」なったのかと。

 

 

プリンは文化の混じり合ったもの?

 

このように、イギリスのカスタード+カラメルデザートはフランス経由できたようですが、プリンは、様々な文化が交わった結果なのかもしれませんね。

 

 

P.S.スペイン・ポルトガルの文化に詳しい方、ご教示ください!

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:プディングとはソーセージ?デザート?
 

Q:イギリスの食事の習慣は?

Q:黒パンアイスクリームって人気だったの? 

―――

 

<参考文献>

 

Acton, Eliza, 1859, Modern cookery, for private families (Longman, Browns, Green, Longmans, and Roberts)

Andrews, Colman, 1997, Catalan Cuisine: Europe’s Last Great Culinary Secret (Grub Street)

Blot, Pierre, 1884, Hand-book of Practical Cookery: For Ladies and Professional Cooks: Containing the Whole Science and Art of Preparing Human Food (D. Appleton)

Dickson Wright, Clarissa,2011, A History of English Food (Random House)

Divar Campos, Eba, 2019 Elaboración de masas y pastas de pastelería – repostería (Ediciones Paraninfo, S.A)

Massaialot, Francois, translated by J.K., 1702, The Court and Country Cook (A. and F. Churchill and Mr Gillyflower)

Paston-Williams, Sara, 2007, Good Old-Fashioned Puddings (Pavilion Books)

Raffald, Elizabeth, 1788, The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c. (A. Millar, W. Law and R. Cater)

 

Cambridge Dictionary

Online Etymology Dictionary

Trinity College Cambridge website

WordSense Dictionary

 

畑中三応子「欧米には存在しない」純国産菓子プリンが固めレトロに回帰するまで」(President Online 2021729日)

 

Pudimのレシピはこちらを参考にしました。

http://portuguesediner.com/tiamaria/easy-caramel-flan/

 

 

2022年6月19日日曜日

Q:カスタードプディングってプリンなの? プリンの歴史

前回プディングについて書きましたが、今回は、日本人の私たちにとって一番身近なプディング、プリンについて書いてみたいと思います。

 

 

プリン日本上陸

 

プリンの語源は英語の「カスタードプディング」だと言われています。西洋料理が日本に紹介された初期に出版された1872年の『西洋料理通』で、「プディング」は「ポッティング」として紹介されています。『西洋料理通』は、横浜に居留していたイギリス人が、日本の傭人に料理を命ずる時の控え帳をもとに、仮名垣魯文が出版したものです。プディングボウルに入れ茹でていますが、これはプリンとは別物のようです。

 

食文化研究家の畑中三応子氏によると、同年に出版された『西洋料理指南』に、卵黄、牛乳、砂糖だけで作る名無しのレシピが載っているそうです。その後さまざまな名前で記述されていたのが、明治終盤に「プリン」という名に落ち着いたそうです。

 

ということで、今回はプリンの歴史を追うために、カスタードプディングを調べてみました。

 

プリンの歴史
 

カスタードの歴史

 

まず、「カスタード」の部分の歴史を調べてみました。

 

カスタードに似たようなものは、古代ローマ時代にもあったようです。「“Cheese” patina」と呼ばれるものです。当時は砂糖の代わりにはちみつを使いました。

 

 

カスタードはフラン?

 

イギリスでは、1418世紀には、カスタードまたはチーズケーキのようなものがあり、「flawn」と呼ばれていたようです。「“Cheese” patina」に似たようなものかもしれませんが、残念ながら、「flawn」のレシピを見つけることはできませんでした。

 

flawn」はその後「flan」になり、19世紀にはタルトのことをさすようになります。

 

flawn」はもともと古フランス語の「flaon」からきたようなのですが、面白いのは、「flan」は現在スペインではプリンのことをいうようなのです。スペインの歴史はわからないので、いつから「flan」がプリンのことをさすようになったのかわかりませんが、関連が気になります。

 

 

カスタードの語源

 

Oxford English Dictionaryによると、カスタード(custard)の語源は、中英語の「crustade」で、これはさらにフランス語の「croustade」からきているようです。「crustade」も「croustade」も(ペーストリー生地でできた)パイのことです。閉じないので、どちらかというとタルトのようなものだったと思います。

 

1390年ごろに書かれた『Form of Cury』には、「肉のcrustade」と「魚のcrustade」のレシピが載っています。

 

 

15世紀のカスタード

 

私が見たカスタードの一番古いレシピは、1450年頃に書かれたレシピ本の中にありました。「Custard lumbardeは、coffynと呼ばれるペーストリー生地にカスタードとフルーツを入れて、オーブンで焼くものです。

 

このcoffynこそ、もともとはcroustadeだったのではないかと思います。カスタードはペーストリーに入れて焼くものだったからこそ、その名前がついたのかもしれません。

 

ちなみに、以前に書きましたが、イギリスでは、富裕層の人たちはペーストリー生地は食べずに、中身だけ食べ、生地は貧しい人たちに与えていましたから、このレシピでも便宜上ペーストリーに入れて焼いたものの、もしかしたら、富裕層の人たちはカスタードしか食べていなかったかもしれません。

 

 

焼きカスタード

 

その後も、「焼きカスタード」は、時代を通してレシピ本に載っています。今でもタルト形に入れて焼いた「カスタードタルト」は人気です。

 

カスタードタルト
カスタードタルト

 

カスタードプディングの歴史

 

では、「カスタードプディング」はどうでしょう? 前回のおさらいですが、「プディング」というのはもともと、動物の内臓に何かを詰めたのを茹でたものでした。17世紀の前半には、動物の内臓の代わりに、布を使うようになりました。

 

カスタードを「茹でる」という感覚がどうも理解できなかったのですが、茹でカスタードプディングのレシピがありました。18世紀のレシピで実際に作ってみましたが、布にバターをたっぷり塗り、その上に粉をたっぷりふるうのが、コツのようです。

 

 

17世紀の茹でカスタードプディング

 

1671年の『The Accomplisht Cook, or The Art and Mystery of Cookery』には「茹でるクリームプディング」のレシピが載っています。作り方は、クリームにメース、ナツメグ、ジンジャーを入れて沸騰させ、そこに卵(白身の半分はあわ立てたもの)、アーモンド、ローズウォーター、砂糖、粉を入れ、布に入れて茹でるというものです。

 

これに、甘口のサックワイン(酒精強化ワイン)、砂糖、バター、卵黄、アーモンドで作ったソースをかけていただきます。私たちの知っているプリンとはかなり違います。

 

これよりも昔のレシピが見つからなかったので、カスタードプディングは、プディングに布が使われるようになってからできたレシピなのかもしれません。

 

 

18世紀の茹でカスタードプディング

 

1795年の『The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c.』に載っている「茹でカスタードプディング」を紹介しましょう。まず、クリームにシナモンスティックと砂糖を入れて沸騰させます。冷めたらそこに卵黄を入れ、弱火で結構固くなるまで掻き回しながら温めます。冷めたらバターを塗り粉をふった布に入れ、四十五分茹でます。白ワインと砂糖のソースに粉でとろみをつけ、バターを加えたソースでいただきます。

 

布に入れてそのままお湯に入れるので、カスタードを作ってから茹でるのですが、とても濃厚なカスタードという感じです。(ちなみに出来上がったものは、とてもお見せできるしろものではありませんでした。温度が低すぎたのかもしれません……)


プリンの歴史
カスタードを布に入れたもの

 

19世紀の茹でカスタードプディング

 

エリザ・アクトン1855年の『Modern cookery, for private families』の中で、カスタードのように、水が入るとだめになるものは、茹でるよりも蒸したほうがいいと言っています。彼女以降の茹でプディングのレシピでは、型に入れて、お湯をはった鍋の中に入れ、茹でています。

 

前回述べたように、プディングボウルで知られるMason Cashは、1800年代初頭よりプディング用のボウルを作っています。

 

プリンの歴史
布がつからない程度までお湯をはった鍋の中にこのまま入れて茹でる

 

彼女の「Common custard puddingのレシピは、卵に牛乳、砂糖、フレーバーを加えたものを茹でます。フレーバーにはレモンブランデー、ラティフィア(甘いお酒)を加えたり、レモンやオレンジで香り付けをした砂糖を使うことを勧めています。プディングには、甘いソースや、スグリ、干しぶどう、さくらんぼを煮たものを添える、と書いてあります。

 

18世紀のものとは違い、ボウルに材料を入れてそのまま茹でる(湯煎にする)のですが、クリームの代わりに牛乳、卵黄の代わりに全卵を使うので、かなり軽く、確かにプリンに似た食感です。

 

カスタードプディング
カスタードプディング、ラズベリーソースがけ

 

日本のプリンと違うイギリスのカスタードプディング

 

このように、19世紀の茹でプディングはプリンに似ていますが、茹でカスタードプディングは、日本のプリンとはちょっと異なります。やはり一番違うのは、カラメル味でないことでしょう。ほぼすべてのレシピがレモンかシナモンを使っており、ワインソースかフルーツソースをかけていただきます。

 

では、イギリスではカラメル味のプリンのようなものはなかったのでしょうか? それは次回に見てみたいと思います。

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:クリスマスに食べるミンスパイは法律違反なの?

Q:イギリスでは熱々のビールを飲んでいたの?

Q:このキッチンはいつのもの?

―――

 

<参考文献>

 

Acton, Eliza, 1859, Modern cookery, for private families (Longman, Browns, Green, Longmans, and Roberts)

Austin, Thomas, ed., 1964, Two fifteenth-century cookery-books : Harleian MS. 279 (ab 1430), & Harl. MS. 4016 (ab. 1450), with extracts from Ashmole MS. 1439, Laud MS. 553, & Douce MS. 55 (the University of Michigan Library website e-book)

Bailey, Nathan, 1753, An Universal Etymological English Dictionary (R. Ware, W. Innys, and J. Richardson, et al.)

May, Robert, 1671, The Accomplisht Cook, or The Art and Mystery of Cookery (Gutenberg ebook)

McGee, Harold, 2007, On Food and Cooking: The Science and Lore of the Kitchen (Scribner)

Raffald, Elizabeth, 1788, The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c. (A. Millar, W. Law and R. Cater)

The Master Cook of King Richard II, translated by Samuel Pegge, c.1390, THE FORME OF CURY (The Project Gutenberg Ebook)

魯文編 1872 『西洋料理通』 萬笈閣 (国立国会図書館デジタルコレクション)

 

Oxford English Dictionary

Mason Cash website

畑中三応子「欧米には存在しない」純国産菓子プリンが”固めレトロ”に回帰するまで」(President Online 2021年7月29日)