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2021年10月21日木曜日

Q:普通の家に水が引かれるようになったのはいつ?上水道の歴史その2

さて、前回ロンドンのシティ(当時のロンドン)に水が引かれたところまで書きましたが、今回は、いかにして家々に水が引かれるようになったかを書いてみたいと思います。

 

 

機械仕掛けの水車

 

ロンドンで普通の家に最初に配水されたのは1581年です。オランダ人のピーター・モーリスは1580年にテムズ川から水を引き上げる機械を発明し、ロンドン市長を招待し、ロンドンブリッジの近くにあるセントマグナス教会の、高さ56メートル強ある尖塔の上空まで、水を飛ばしてみせました。

 

それを見たロンドン市長は彼に、レデンホール・マーケット(『ハリー・ポッター』のロケ地にもなりましたね!)を含む、その界隈の家々に水を供給することを許可しました。

 

彼はロンドン・ブリッジの北岸に機械仕掛けの水車を作り、テムズ川の水を引き上げ、給水を始めました。その水車は1666年のロンドン大火で焼失してしまったものの、建て直し、事業は拡大しました。

 

上水道の歴史
Water-wheel at London Bridge for supplying water from the Thames to the City of London. Engraving, 1749. Wellcome Collection. Public Domain Mark


ニュー・リバー

そのロンドン・ブリッジ・ウォーターワークスの設立から24年後の1605年には、人口も増え水の需要も高まりました。そのため、シティ・オブ・ロンドン自治体は議会の許可を得、水量が多く、シティに供給できる距離で高さのある水源を探し、シティから北に30kmほどの距離にあるハートフォード州のチャドウェルとアムウェルから水を引くことにしました。

 

このシステムが完成したのは1613年。7インチ(約177.8mm)の木製に鉛のライナーのついた菅を使い、イズリントンまで水が引かれました。そこから口径0.5インチ(約12.7mm)の給水菅でシティや郊外の道々へと引かれました。

 

これがニュー・リバーで、これを管理していたのがニュー・リバー・カンパニーです。ある顧客は1616年に水を引き、2つのスワンネック型水栓で庭と台所で使えるようにしたそうです。

 

 

上水道の歴史
The New River, Islington. Etching by W. Hollar, 1665. Wellcome Collection. Public Domain Mark

増える顧客

最初は一つだった貯水池も、1617年には二つになりました。1691年には顧客が千世帯を超えました。

 

最初は2本だった給水本管も、1656年には7本になり、1700年代初頭には45本になりました。1680年代までには顧客が三倍になり、1756年には3万世帯に水を供給し、1800年までには55千世帯に配水されました。

 

スケジュールに則り、何日かごとに配水される本管が替えられた為、給水は断続的で、給水される日でも1日に2〜3時間しか水が出ませんでした。ポンプを使っていなかったので、ほとんどの家には地下にある水槽にしか水を供給することができませんでした。

 

 

誰が水を上階に運ぶ?


18世紀後半になると、ポンプで上階まで水を届ける「ハイ・サービス(high service)」が可能になりましたが、ほとんどの人には値段的に手が届かなかったので、「ロー・サービス」(low service)で地下や一階部分にのみ給水され、上階には手で運びました。

 

通常お金のない下宿人は屋根裏部屋にいましたから、わざわざ上まで水を運ばないといけませんでした。ですから、現在の日本のタワマンと違い、上階に行けば行くほど社会的地位が低いということを思い知らされたのです。

 

また、裕福な家庭では水を運ぶのは召使の仕事なので、高いお金を払う必要性を感じなかったようです。また、雨水を同時に活用していたようです。181011年にイギリスを訪れたフランス人のルイ・シモンド(Louis Simond1767-1831)は、日記の中に、裕福な家庭では、water closet(トイレ)といわれるものがあり、上階にある雨水をためた水槽からパイプで水を引き流していると書いています。

 

 

水道管破裂!


重力を使って水を供給していた頃は、蛇口をひねってもちょろちょろとしか水がでてきませんでしたが、18世紀末までには蒸気機関を使って水を送り出すようになりました。ところが、水圧が増えたことで、水道管の破裂が頻発しました。

 

ルイ・シモンドは、ロンドン滞在中に、古い水道管を新しい水道管にとりかえる現場を見たようで、次のように書いています。

 

「ロンドンの水は、地下に埋められた木製の水道管か、穴の空いた丸太によって供給されていたようで、そこから枝分かれして、鉛製の水道管でそれぞれの家に給水されている。作業員は、ほとんど腐っているように見えるそれらの丸太をとりのぞき、鋳鉄製のパイプに取り替えている」

 

1817年には法律で木製のパイプの使用は禁止され、鋳鉄製を使うよう規定されました。

 

上水道の歴史
木製の水道管 Museum of the House所蔵


増えすぎた水車

ロンドン・ブリッジ・ウォーターワークスは、1761年には対岸にも水車を作り、1762年には蒸気機関で動かすようになりました。水車の増数はテムズ川の航行に支障をきたすようになりました。 

 

1822年には法律により、その水車の撤去が求められ、この会社は、ライバルのニュー・リバー・カンパニーに吸収されました。この頃までには、このロンドン・ブリッジ・ウォーターワークスが供給した世帯数は10417件に上り、240年前に最初にピーター・モーリスにより供給された水量の12倍までになっていました。

 

 

ハルでは


ロンドン以外はというと、キングストン・アポン・ハルでは早くから水がひかれていました。ハルはハンバー川沿いにあり、12世紀に修道院の羊毛の積出港を建設してから港町として栄えていました。

 

 1622年にジョン・テイラー(15781653)により発表された詩歌によると、1610年代から新鮮な水が不足することなく、高いお金をかけてパイプで水をひいたので、家で蛇口をひねれば好きな時に新鮮な水を使えていたことがわかります。

 

実は、塩分の多い土地柄、他から新鮮な水を運んでくる必要があったため、14世紀には水路を作って近隣の丘から湧き水を引いてきていました。15世紀には鉛のパイプの水道に置き換えられました。

 

しかし、水源とハルの街の間にある近隣の村や町、そして地主などとの度重なる論争の末、水道は撤去されてしまいます。人々はまたしばらくの間、水売りに頼らなければいけなくなりました。 

 

1613年には再度水道が引かれ、1617年までには自宅まで水を引く人が増えたのです。

 

 

ケンブリッジでは


1610年には大学の街ケンブリッジに水が引かれました。

 

1500年代後半にはペストなどの疫病がはやりました。当時のケンブリッジは、ケム川につながるように街の周りに掘が掘られており、いわば島のようになっていました。その掘も川も非常に汚く、臭く、そのため病気になるのだと信じられ、新鮮な水を引いて掘の水を流そうということになりました。

 

そのためケンブリッジから南に5kmほどいったところにあるナイン・ウェルズからケンブリッジまで水を引きました。ところが、重力を利用しただけの水は、掘の水を流すだけの力はなく、それは失敗に終わりました。

 

 1614年にはその水路からマーケット・ヒル(現在のマーケット・スクエア)まで鉄製の水道管がひかれて水場が作られ、ケンブリッジの人々に新鮮な水を供給しました。その水場は1856年に閉鎖され、その建物は現在の位置、人工川の終わりに設置されました。

 

上水道の歴史
ホブソン水路の終わりに置かれている水場の建築物
 

他の都市では

1690年代にはダービー、ウスター、チェスター、リーズ、ポーツマス、グレート・ヤーマスなど、各地で次々に巨大な水車を使った川からの給水システムが確立しました。

 

 

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<参考文献>


Bushell, W.D., 2012, Hobson’s Conduit: The New River at Cambridge Commonly Called Hobson’s River (Cambridge University Press)

Parissien, Steven, 1995, The Georgian Group Book of the Georgian House (Aurum Press, Ltd.)

Pennell, Sara, 2016, The Birth of the English Kitchen, 1600-1850 (Bloomsbury)

Simond, L, 1815, Journal of a Tour and Residence in Great Britain During the Years 1810 and 1811 Volume First (Archibald Constable and Company, Edinburgh; and Longman, Hurst, Rees, Orme, and Brown, London)

Simond, L, 1815, Journal of a Tour and Residence in Great Britain During the Years 1810 and 1811 Volume Second (New-York)

Taylor, John, ed. by Hindley, Charles, 1876, John Taylor’s Observations and Travel from London to Hamburgh (Reeves and Turner)

Tomory, Leslie, ‘London’s Water Supply before 1800 and the Roots of the Networked City’ in Technology and Culture Vol.56, Number 3, January 2015, pp704-737 (Johns Hopkins University Press)

Wicksteed, Thomas, 1835, Observations on the Past and Present Supply of Water to the Metropolis (Richard Taylor)

Wright, Lawrence, 1960, Clean and Decent: The History of the Bathroom and the W.C. (Routledge & Kegan Paul)

 

British History Onlineウェブサイト

National Archivesウェブサイト

Hobson Conduit Trustウェブサイト