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2024年1月22日月曜日

Q:イギリスのりんごの木のお祭りって何?

先日「Lord of Misrule(クリスマスの祝宴を仕切る道化師)と一緒に2024年のワセイル(wassail)に参加しよう」というイベント広告を目にし、ケンブリッジの南にある村まで行ってきました。「何世紀も前には、ワセイリングはりんごの木にできるだけ多くの果物がなるようにお願いするもの」だったそうです。

 

ワセイリング

場所は小さなりんごの木が20本ほどある小さなコミュニティ果樹園。当日はバスが遅れたせいでイベントの冒頭を見逃してしまいました。

 

私が着いた時には、ちょうどスパイス入りのリンゴジュースにパン切れを浸し、それをりんごの木に結びつけているところでした。それをすることで鳥や昆虫が木に集まり、結果として土が改良され、りんごの木に栄養を与えるということらしいです。

wassailing


その後、楽器を奏でる人たちを中心に輪になり、昔ながらのワセイルの歌を歌って踊りを踊りました。


 そして温かいスパイス入りのリンゴジュースをいただきました。

wassail

 

ワセイルの語源は?

さて、Oxford English Dictionaryによると、「ワセイル」の語源は、古ノルド語の「ves heill」(健康を祈って/幸運を祈って)です。それが古期英語の「wes hál」になります。

 

この言い回しが最初に記録されたのは、1140年ごろに書かれたジェフリー・オブ・マンモスによる歴史書です。以前にも紹介しましたが、5世紀に、ブリトン人宗主ヴォーティガン(Vortigern)は、スコット人やピクト人に対峙する為に、ヨーロッパからサクソン人を招きます。サクソン王の娘ロウィーナ(Rowena)は、ヴォーティガンに謁見した時に、ひざまづいて杯を掲げ「Lord King, Waes heil!(王の健康を祈って!)」と乾杯します。ヴォーティガンは杯を受け取り、サクソンの慣習に則り、「Drinc heil!(健康を祈って乾杯!)」と言って飲むと、ロウィーナのところに降りて行き、キスをして手を取りました。その微笑ましい様子にその場に居あわせたゲストが皆乾杯し、キスをして祝福したそうです。

 

これが書かれた12世紀当時から、ジェフリー・オブ・マンモスは史実を脚色したという説もあり、5世紀から「Waes heil」という言い回しが使われていたのか、それとも彼が執筆当時に使われていた表現を採用したのかは不明です。北欧人がイギリスに来た記録は8世紀以降になりますが、古期サクソン語と古ノルド語の間に似たような表現があったという可能性もあるのではないでしょうか?

 

ワセイルというクリスマスドリンク

ともあれ、少なくとも、12世紀以降には「ワセイル」が乾杯という意味を持つようになりました。14世紀ごろからはそれから派生して、お祝いの席で飲むお酒、特にクリスマス時期に飲む温かいスパイス入りのお酒という意味も持つようになりました。

 

ワセイルは、りんご栽培が盛んな地方ではサイダー(林檎酒)がベースに、その他ではエールがベースになっています。

 

領主の家では、その飲み物は大きなワセイルボウルに入れられ、人々に振る舞われました。ジョージ朝(1714年〜1837年)のあるレシピによると、エールが2.8リットル、シェリーがグラス4杯、少なくとも225gの砂糖、ナツメグ、ジンジャー、レモンを混ぜるとあります。そして、それに狐色にトーストしたパンを入れ、それを瓶に詰めて何日か置いて、発泡させるそうです。

 

16世紀には、大晦日と十二夜に、みんなで一つのワセイルボウルからワセイルを飲んで健康を祈るようになりました。

wassail bowl
17世紀のワセイルボールのコピー Oliver Cromwell's House

家々を回るワセイル売り

17世紀には、クリスマス時期(12月25日〜1月6日)に家々を回ってワセイルを提供し、クリスマスキャロルを歌う人が現れました。当時の官僚サミュエル・ピープスの1661年12月26日の日記には「a Washawall-bowle woman and a girl」が自分たちのところに来て歌ったという記述があります。もちろん、ただではなく、見返りを求めてです。

 

現在でも行われている、家々を回ったり、街頭で立ったりしてキャロルを歌い、チャリティへの募金を集める行為の原型です。

 

もともとは領主の家に、飲み物やミンスパイ、クリスマスプディング、もしくは金銭などを期待して、農奴たちがワセイルを提供し、歌を歌ったそうです。


 これが広まると、こんどは酔っ払った若者たちが家々に押しかけ、調子ハズレの歌を大声で歌って金銭を要求するようになりました。家の人が断ると、夜遅くに再度やってきて物を壊したりしたようです。

 

事実、「ワセイル」という言葉には酒盛りという意味もあります。1300年ごろからそういった意味で使われており、1603年に書かれたシェイクスピアの『ハムレット』にも「keepe wassel」という表現が見られます。

 

りんごの木のお祭り

さて、ではりんごの木の健康を祈る慣習はいつ始まったのでしょう?古くからのしきたりですから、いつ始まったのかは定かではありませんが、ケントのフォードウィッチでは1585年には記述が見られるそうです。また、1648年の記録によると、その地域、その果樹園により、りんごだけではなく、プラムや梨の木にも行われたようです。

 

私が行ったものは近年始まった地域のイベントで、子供が楽しめるように、昼間、ノンアルコールで行われましたが、もともとは、飲んで歌って踊る酒盛りだったようです。

 

地域によっても変わりますが、基本的に伝統的には、人々はワセイルボウルを持ち、ワセイル王や女王の後について果樹園から果樹園へ、木々にワセイルを振り掛けながら練り歩きます。選ばれた木に着くと、女王が担ぎ上げられ、ワセイルに浸けたパンを枝に取り付けます。残ったワセイルは木の根本に注がれます。そして人々は歌を歌います。楽器だけでなく、鍋釜をたたき、大きな音を立て、眠っている精霊を起こし、悪霊を追い出します。もちろん、人々のためのワセイルも用意され、飲んで歌って踊って夜を過ごすのです。


 今でも一部の地域では、ワセイルのイベントが、通常1月17日に行われます。これは、1752年にイギリスでグレゴリオ暦が採用される前には、十二夜は1月17日だったからです。

 

消えたワサイル

今や普段のイギリスの生活のなかで「ワセイル」という言葉を聞くことはなくなりました。クリスマスのドリンクとしても、20世紀半ばには「ワセイル」は死に絶え、マルドワイン(スパイス入りの温かいワイン)に取って代わられました。

 

人口が増え、人が代々の土地に住み続けることは少なくなり、それとともに伝統行事も消えつつあるのだと思います。でも反対に、私の参加したイベントのように、新しく伝統を導入しようという動きもあります。未来の世代のためにも、伝統が続いてくれるといいな、と思います。

 

 

 

 *ご興味があれば、こちらもどうぞ*

 

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Q:どうしてイギリス人は生ぬるいビールを飲むの?

 

Q:「tea」って食事なの?

 

―――

 

<参考文献>

 

Buckton, Henry, 2012, Yesterday’s Country Customs: A History of Traditional English Folklore (The History Press)

Geoffrey of Monmouth, translated and edited by Faletra, Michael A., 2008, The History of the Kings of Britain (Broadview Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast (Profile Books)

Pepys, Samuel, Latham, Robert, ed., 1985, The Diary of Samuel Pepys: A Selection (Penguin Books)

Williams, Thomas, 2017, Viking Britain: A History (William Collins)

Trumpington orchardウェブサイト

 

 



2023年2月14日火曜日

Q:クリスマスプディングは大英帝国の象徴だったの?――クリスマスプディングの歴史

前回プラム・プディングがどのようにクリスマスプディングになったのかをご紹介しましたが、実はプラム・プディングは非常に政治的なのです。

 

 

プラム・プディングを作ったら投獄する?

 

以前にミンスパイの記事でも触れましたが、イギリス内戦中の1647年に、議会がクリスマスを含む祭事を禁止しました。ほとんどの人はその禁止令を無視しましたが、敬虔な清教徒であったカンタベリーの市長は、それを市民に強要しました。クリスマスの日も通常通りに営業すること、そして「プラム・プディングを作ったら、投獄する」と言ったとか言わなかったとか。市長の高圧的な態度に怒った人々は、クリスマスの日に営業していた店を攻撃、そこから状況がどんどん悪化し、暴動へと発展。そして議会派と王党派の戦いが繰り広げられることになりました。似たような暴動は他でも起こり、それは「プラム・プディング暴動」と呼ばれています。

 

 

プラム・プディングはイングランドの象徴

 

このように、国内での反対勢力に対する武器として使われただけでなく、国を象徴するものとしても、プラム・プディングは使われました。

 

前回書いたように、プラム・プディングは、もともとローストビーフと一緒に食べられていました。以前に書いたように、ローストビーフはイギリスの象徴でした。

 

1781年に出版された風刺画『Seven Prints of the Tutelar Saints(守護聖人7枚の版画)』では、それぞれにイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、スペイン、イタリアの守護聖人が描かれています。

 

イングランドの聖ジョージは右手にビール、左手には牛肉が刺さった刀を持っています。そして聖ジョージが乗っているのがイギリスを象徴するライオンで、そのライオンの前足の下にはプディングがあります。その下の文章には「素晴らしいイギリスのごちそう、見事なサーロイン、濃厚なプディング、ストロングビールを持った聖人」と書いてあります。レーズンのようなものが入ったその見かけとローストビーフとの関連から、このプディングがプラム・プディングだとわかります。

 

 

プラム・プディングの危機

 

プラム・プディングは国内政治だけでなく、国際政治でも活躍します。

 

1805年2月26日に、ジェームス・ギルレイの風刺画『The Plumb-pudding in Danger – or – State Epicures taking un Petit Souper(プラム・プディングの危機――または――ちょっとした夜食をとる快楽主義的政治家たち)』が販売されました。当時の英国首相ウィリアム・ピットと「フランス人民の皇帝」に就いたばかりのナポレオン・ボナパルト。この風刺画では、プラム・プディングが地球を象徴しています。ナポレオンはヨーロッパ征服を目指していました。ですから、ヨーロッパを切り取ろうとしています。対してイギリスは海軍が強く、世界中に植民地を持っていたので、もっと大きなスライスを切り取ろうとしています。どちらにしても、両国とも、世界征服が最終的な目的だったでしょう。

 

The_Plumb-Pudding_in_Danger;–or–State_Epicures_Taking_un_Petit_Souper_MET_DP809028 (public domain)
 

ナポレオンはイギリス征服の野心があり、1789年から二国は断続的に戦争状態にありましたが、1805年1月2日、彼はイギリス国王に和平を提案し、その中で「世界は我々二国が共存するに十分な大きさである」と書いています。この文書は2月15日にタイムズ紙で公開されたそうです。ギルレイはそれをひねり、この風刺画の中に、「『巨大な地球そのもの、そしてその地上にあるものすべて』は、飽くことをしらない食欲を満たすのには小さすぎる」と書いています。ちなみに「巨大な〜」の部分は、シェイクスピアの『テンペスト』からの引用です。

 

これは私の解釈ですが、プラム・プディングがイギリスを象徴していたとすると、このタイトル『プラム・プディングの危機』は、「イギリスが植民地に目がいっている間に、ナポレオンがイギリスを食べてしまうかもしれないよ」という気持ちが入っていたかもしれません。ピットもナポレオンもイギリスを切り取っていないところを見ると、最終的にどちらがとってもおかしくないからです。

 

事実、イギリス軍の正規軍は、自国だけでなく、世界中の植民地に駐屯していました。そのため、フランスからの脅威に備えるため、ピット首相は国内の義勇軍を充実させようとします。それを揶揄して、1805年2月21日に、議員のウィリアム・ウィンダムがこう言いました。「人さえいれば軍隊ができると思うのは、粉と卵とバターとプラムがあればプラム・プディングができると思うのと同じだ」。つまり、植民地に兵を送っているがために、自国を守れないかもしれないという危機感があったということです。

 

大英帝国植民地 The_British_Empire_(including_Crown_Dependencies,_Crown_Colonies-Overseas_Territories,_Protectorates,_Military_Administrations)(wikimedia commons)
 

 

プラムは鉛の玉

 

また、面白いのは、プラムの綴りです。実は、プラム・プディングは「plum pudding」ではなく「plumb pudding」と書かれることが多く、ここでも「plumb」となっています。

 

調べてみると、1675年の『The Whole Body of Cookery Dissected』でもプラムのことは「plumb」となっており、フルーツ自体そういう綴りが使われていたことがわかります。識学率の低かった昔は、綴りも統一されていなかったでしょうし、方言のように、地方で違う綴りを使っていたこともあるでしょう。18世紀、19世紀には「plum」と「plumb」と両方とも使われています。

 

「plumb」を英和辞書で調べてみると「おもり」とでてきますが、昔は「(大砲などの)鉛の玉」という意味もありました。19世紀の作家チャールズ・ラムは、「私はいつもplumb puddingと書く。P-l-u-m-b。その方がもっと丸々として濃厚に聞こえるからだ」と書いています。これも私の解釈ですが、ギルレイは、あえてこの綴りを使うことで、戦争を連想させていたと思われます。

 

 

戦地でもプラム・プディング

 

プラム・プディングは戦地にも送られました。帝国戦争博物館(Imperial War Museum)には、第一次世界大戦中1914年にArmy & Navy Co-operative Societyによって作られたプラム・プディングの缶詰があります。また、第一次世界対戦中には、「Happy Christmas」の言葉と共にプディングに同盟国の旗が刺さったデザインのクリスマスカードが送られました。

 

1914 tin of plum pudding for WW1 © IWM EPH 9389
  

プラム・プディングは大英帝国の象徴

 

プラム・プディングはイギリスのみならず、大英帝国の象徴にもなりました。

 

1924年から1925年にかけて、ロンドンのウェンブリーで大英帝国博覧会が行われました。植民地各国の文化を紹介し、英国帝国の素晴らしさを宣伝したこのイベントでは、2700万人の入場者数を記録しました。

 

Cover_of_the_souvenir_programme;_British_Empire_Exhibition_Wellcome_L0041467 (Wikimedia Commons)
 

勢いを得たオーストラリア、カナダ、ニュージーランドは、その後自分たちの産物をイギリス大衆に売ろうと、大々的なマーケティングキャンペーンを行います。

 

大英帝国博覧会の終了直後の11月9日のロード・メイヤー・ショウ(13世紀から続く毎年恒例のロンドンシティの市長就任パレード)で、オーストラリアは、巨大なクリスマスプディングにカンガルーとエミュと牛のついた山車を出しています。そして「Make your Christmas pudding an Empire one(あなたのクリスマスプディングを帝国のものにしよう)」というバナーのもと、オーストラリアのドライフルーツを売り込みました。

 

同時に、オーストラリアのドライフルーツ局(Australian Dried Fruits Board)がイギリスのDaily Mail紙に第一面全面広告を出し、オーストラリアのレーズン、カラント、サルタナを使った「帝国プラム・プディング」のレシピを紹介しています。

 

 

大英帝国クリスマスプディング

 

1926年に発足した大英帝国通商局(Empire Marketing Board)は、そのアイデアを更に発展させ、帝国内の産物のみでできた「帝国クリスマスプディング(Empire Christmas Pudding)」を作り、クリスマス前にジョージ五世に献上しました。

 

後に掲載されたレシピによると、レーズン、カラント、サルタナはオーストラリアか南アフリカ、りんごはイギリスかカナダ、パン粉、スエット、小麦粉はイギリス、ピールは南アフリカ、砂糖とプディングスパイスは英領西インド諸島または英領ギアナ、卵はイギリスかアイルランド自由国(1949年に英国から離脱)、シナモンはインドかセイロン(現スリランカ)、クローヴはジンバブエ、ナツメグは英領西インド諸島、ブランディはオーストラリア、南アフリカ、キプロス、またはパレスチナ、ラムはジャマイカまたは英領ギアナ、ビールはイギリスかアイルランド。

 

The_Empire_Christmas_Pudding Empire Marketing Board. Library and Archives Canada, e010758986  Creative Commons
 

1926年12月20日、それぞれの国の材料が一つ一つ進呈され、仰々しくカメラの前でクリスマスプディングが作られました。実は、どうも、もともとこの日のレシピにはブランデーは含まれていなかったようで、キプロスの行政官が「クリスマスプディングにはブランデーソースが必要なので、それを提供する」と申し出て、14ポンド(約6.3kg)のクリスマスプディングは、ブランデーと共に馬車で国王に届けられました。この記録は帝国内の映画館で上映されました。そのレシピは公開され、ジョージ5世が家族と共にクリスマスプディングを楽しむ様子は「イギリス帝国団結の象徴」だと言われました。これは翌年にも繰り返されました。

 

 

コロナ禍でも使われるプラム・プディングのモチーフ

 

ところで、ギルレイの風刺画のモチーフは未だに政治風刺画家によって使われています。コロナ禍でも、ディビッド・ロウが、コロナになったプラム・プディングを囲んで困惑している世界のリーダーたちを描いたり、エマ・ヘンウッドが、プラム・プディングの形をしたアストラゼネカのワクチンを独り占めするイギリスの首相ボリス・ジョンソンと、悔しがるフランスのマクロン大統領を描いたりしています。

 

 

クリスマスプディングがまた人気に?

 

2021年の売り上げが2017年に比べ、800万個以上から650万個以下へと、30%も落ちていたクリスマスプディング。一時は大英帝国を象徴するまでになったプディングも、現代人の味覚には重く、古臭いものになってきていました。クリスマスプディングのかわりに、イタリアのパネトーネがスーパーの棚のスペースを占めるようになってきていました。

 

ところが、2022年には前年よりも売り上げが約100万個多かったらしいのです。2022年の売り上げの伸びは、オレンジ&唐辛子、チェリー&オレンジなど新しいフレーバーが貢献しているとのことです。生活費の急上昇で大変な状況にあるイギリスですが、もしかしたら、なつかしい味に過去の栄光を見出し、ひとときの安心感を求めたのかもしれませんね。

 

 

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:缶詰はいつできたの?

Q:イギリスでは鯨の脂でできたろうそくを使っていたの?

Q:装飾的床タイルはいつ使われるようになったの? 

 

―――

 

<参考文献>

 

A Citizen there, to his friend in London, 1648, Canterbury Christmas or, a true relation of the insurrection in Canterbury on Christmas day last, with the great hurt that befell divers persons thereby (Humphrey Harward)

Bamford, Vince, “The Christmas pudding does not always appeal to the younger generation” in British Baker website 30 November 2022

Bamford, Vince, “Christmas pud sales up by a million after years of decline” in British Baker website 12 January 2023

Barnes, Felicity, 2022, Selling Britishness: Commodity Culture, the Dominions, and Empire (McGill-Queen’s University Press)

Bradley, Richard, 1727, The Country Housewife and Lady’s Director (Woodman & Lyon)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Linch, Kevin Barry, 2001, “The Recruitment of the British Army 1807-1815”, PhD Thesis, The University of Leeds

Mollard, Johan, 1807, The Art of Cookery Made Easy and Refined (Author)

Parry, Nathaniel, 2022, How Christmas Became Christmas: The Pagan and Christian Origins of the Beloved Holiday (McFarland, Incorporated, Publishers)

Rabisha, William, 1675, The Whole Body of Cookery Dissected (Francis Smith)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

The Cyprus Agricultural Journal: A Quarterly Review of the Agriculture, Forestry and Trade of Cyprus Volumes 20-22, 1925 (Cyprus Agricultural Journal office)

Tomlinson, Sally, 2019, Education to Race from Empire to Brexit (Policy Press)

Windham, William, Amyot, Thomas, 1812, Speeches in Parliament, of the Right Honourable William Windham (Longman, Wurst, Rees, Orme, and Brown, Paternoster-Row; and James Ridgway)

 

 

British Museum website

Murray Pioneer and Australian River Record (Renmark, SA:1913-1942), Friday 11 Dec 1925, Page 7

Oxford English Dictionary

Plymouth University website

Theprintshopwindow.wordpress.com

 

The Lord Mayors Show Aka The Lord Mayor Show (1925) https://www.youtube.com/watch?v=cf8DmwLYzmg (0:31-0:37)

 

 

2023年1月9日月曜日

Q:プラム・プディングにはプラムは入ってないの?――クリスマスプディングの歴史

プラム・プディングにはプラムが入ってなかった!

 

イギリスでクリスマスに食べる伝統的デザートはクリスマスプディングが一般的ですが、かなり濃厚なので、そのかわりにプラム・プディングを作ってみようと思いました。プラム・プディングは食の歴史の本でよく言及されており、プラムは好きなので、ちょっと趣を変えて作ってみようと思ったのですが……。調べてみたら、プラム・プディングとクリスマスプディングとは全く同じものでした。そして、プラムは使われていなかったのです。

 

そこでクリスマスプディングの歴史について調べてみました。


 

クリスマスプディングのドライフルーツ

 

クリスマスプディングとは、ドライフルーツとパン粉とスエットとスパイスとブランデーを混ぜて蒸したものです。デリア・スミスの「伝統的クリスマスプディング」のレシピでは、ドライフルーツにレーズン、サルタナ、カラントを使っています。

 

A family sit around a table eating their Christmas meal and greet the arrival of the plum pudding which is being carried in on a large tray by Cecil Ldin (Public domain)

 では、どうしてプラムが入っていないのに「プラム・プディング」と呼ばれるのでしょう?どうも、昔は「プラム」とはドライフルーツ一般を指していたようなのです。

 

イチジク、デーツ、プルーン、レーズンなどのドライフルーツは、中世にはイギリスで食べられていたことがわかっています。

 

 

ドライフルーツはどこから?

 

手元にあるカラント、サルタナ、レーズンを調べてみると、原産国はギリシャ、トルコ、南アフリカ、アメリカなど。イギリス原産のものはありません。

 


中世でも、地中海近辺から輸入したものもあったようですが、それでは庶民は手がでなかったでしょう。実は、どうも国内でとれていたようなのです。

 

イーリーには、大聖堂の近くに、1400年ぐらいに建てられた家があり、そこにはブドウの絵が描かれた壁画があります。現在は一本も残っていませんが、中世、大聖堂がまだ修道院だった時には、その庭にブドウがたくさん生えていたようです。ブドウはローマ時代からイギリスでとれ、プラムと共に中世には修道院の庭でも栽培されていました。それを考えると、ドライフルーツは意外に身近なものだったのかもしれません。

 

 

 

どうしてドライフルーツがプラムなの?

 

ではどうしてドライフルーツの総称が「プラム」だったのでしょう?実は、「plum」には現在の「plump」と同じ、「丸々とした」「ふっくらした」という意味がありました。ドライフルーツは水分につけて戻すと、ぷくっとふっくらします。きっとそのために、「プラム」と言われたのではないでしょうか。

 

 

フィギープディングにはフィグは入ってない?

 

ちなみに、クリスマスプディングはフィギープディング(figgy pudding)とも言われるのですが、いちじく(fig)も入っていません。「figgy」というのは、「いちじくのような」という意味ですが、「甘い」という意味で使われていたのです。つまり、「いちじくのように甘いプディング」という意味でした。

 

 

クリスマスプディングの元祖

 

さて、クリスマスプディングは、プラム・ポティージ(plum pottage)というものが元になっているといわれます。

 

「pottage」を英和辞典で調べると「ポタージュ」とでてきます。事実、中世フランス語の「ポタージュ(potage)」が語源です。「ポタージュ」というとオシャレな感じがしますが、ポティージというのは、まだ直火で料理をしていた時に、火に鍋をかけ、その中で野菜や穀物、そしてある程度裕福であれば肉を、とろとろと煮た素朴なシチューです。もちろん、レンジになってからも作られていましたが、今は特別な「田舎料理」でもない限り、目にすることも耳にすることもありません。

 

Old Cottage Fireplace and pets c1860s (public domain)

食歴史家のアン・ウィルソンは、プラム・ポティージの歴史は15世紀のレシピに遡るとしています。「Stewet Beef to Potage」というレシピでは、一口大の牛肉を水、ワイン、玉ねぎ、ハーブ、クローヴ、シナモン、メース、レーズン、カラント、パン(とろみづけ)、紅木紫檀(食紅)で煮込んだもののようです。当時はクリスマスとは関係なく食べていたようです。

 

以前ミンスパイの記事でも書いたように、肉を保存する知恵として、肉とドライフルーツとスパイスを混ぜるレシピを、十字軍が中東から持ち帰ってきました。ですから、それ自体はイギリスでもすでに確立した組み合わせでした。

 

 

プラム・ポティージがクリスマス料理に

 

このポティージを最初にクリスマス料理と呼んだのは、1673年に出版された本『The Whole Body of Cookery Dissected』の中でのようです。この頃には、これにアルコール(クラレットまたはサック)が加えられ、事前に作られて陶器のポットの中で保存されていたようです。

 

プラム・ポティージはプラム・ポリッジともよばれ、クリスマスに食べられるようになると、クリスマス・ポティージ(またはポリッジ)とも呼ばれました。

 

1728年の「プラム・ポティージまたはクリスマス・ポティージ」のレシピによると、牛足を水で柔らかくなるまで煮、そこに赤ワインとストロングビール、クローヴ、メース、ナツメグ、リンゴ、カラント、レーズン、プルーンを入れ、牛足を最後に取り除いて食べます。

 

1695年に発表されたウィリアム・ウィンスタンリーの詩、『Now Thrice Welcome Christmas』には、「ミンスパイやプラム・ポリッジ;美味しいエールに強いビール」という一節があり、この頃からクリスマスに食べられていたことがわかります。

 

18世紀のスイス人トラベルライター、セザール・ド・ソシュールは1726年に、「国王から職人にいたるまで、スープを飲んでクリスマスパイを食べる。このスープはクリスマスポリッジと呼ばれ、外国人の口には合わない」と書いています。

 

このクリスマス料理も、19世紀前半には徐々にみられなくなってきます。

 

 

プラム・プディングの登場

 

さて、以前書いたように、プディングを作るのに布が使われ始めたのが17世紀初頭です。まもなく、1630年までには、プラム・プディングの記載が見られるようになりました。

 

1714年のレシピによると、プラム・プディング(Plumb pudding)を作るには、細かく刻んだスエット(牛脂や羊脂)にレーズン、粉、砂糖、卵、塩を合わせ、プディング用の布に包み、四時間以上煮る、とあります。

 

A woman takes a large plum pudding in a cloth bag off a hot stove in a kitchen by R Seymour 1830-1839 (public domain)

1675年のクリスマスには、大英海軍の従軍牧師、ヘンリー・ティアンジが、船長とともに牛肉、プラム・プディング(Plumb pudding)、ミンスパイを食べたと記録していますが、先に書いたように、この頃はまだプラム・プディングよりもプラム・ポティージのほうがクリスマスには一般的でした。

 

 

ご馳走プディング

 

1750年にウィリアム・エリスによって書かれた『The Country Housewife’s Family Companion』によると、特に大変な小麦の収穫時期2週間は、カレントとレーズンとスエット入りの プラム・プディング(Plumb pudding)を牛肉と共に、農夫たちに食事として出しています。これから、プラム・プディングはクリスマスだけでなく、ご馳走として特別な日に出されたのだと想像できます。

 

ちなみに、プラム・プディングはデザートとしてではなく、現在のヨークシャープディングのように、ローストビーフと一緒に食べられていました。食後のデザートになったのは18世紀末ぐらいからです。

 

 

クリスマスプディングはディケンズへのオマージュ?

 

1845年のエリザ・アクトンのレシピによると、「クリスマスプディング」は、パン粉、粉、レーズン、カラント、リンゴ、スエット、砂糖、オレンジピール、ナツメグ、メース、塩、卵、ブランデーを混ぜ、三時間半煮る、とあります。18世紀のレシピに比べると、かなり濃厚になっていることがわかります。

 

この頃までには、ディケンズの『クリスマスキャロル』にみられるように、ブランデーを振りかけて火をつけるという習慣が広まりました。これは特別感を与え、通常に食べるプラム・プディングとは一線を画すようになりました。

 

Christmas_pudding_(Heston_from_Waitrose)_flaming by Ed g2s (Creative Commons)

実は、プラム・プディングを最初に「クリスマスプディング」と呼んだのは、エリザ・アクトンだそうです。ディケンズの『クリスマスキャロル』が出版されたのが1843年。そして、彼女のレシピが出版されたのがその2年後。どうも、エリザ・アクトンはディケンズのファンで、そのレシピ本を彼に贈呈したとか。そして、食歴史家のペン・ヴォルガーは、彼女はディケンズの作品へのオマージュとして、このプディングを「クリスマスプディング」と名付けたのではないかと推測しています。

 

こうして、19世紀末までにはプラム・プティングはクリスマス限定の食べ物になり、「クリスマスプディング」となったのです。

 

 

<参考文献>

 

 

Acton, Eliza, 1865, Modern Cookery for Private Families (Longman, Green, Longman, Roberts, and Green)

Bradley, Richard, 1728, The Country Housewife and Lady’s Director in the Management of a House, and the Delights and Profits of a Farm (The Project Gutenberg)

Davidson, Alan, 2014, The Oxford Companion to Food (Oxford University Press)

Ellis, William, 1750, The Country Housewife’s Family Companion (J.Hodges)

Given-Wilson, Chris, 1996, An Illustrated History of Late Medieval England (Manchester University Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Kettilby, Mary, 1714, A Collection of Above Three Hundred Receipts in Cookery, Physick, and Surgery (Richard Wilkin)

McLean, Teresa, 2014, Medieval English Gardens (Dover Publications)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

Volger, Pen, 2020, Scoff: A History of Food and Class in Britain (Atlantic Books)

 

Delia onlineウェブサイト

University of Leeds Library ウェブサイト

Oxford English Dictionary

Visit Elyウェブサイト

 

Ely Cathedral Monastery Tour