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2019年10月2日水曜日

Q:ビクトリア朝美術と電気って関係があったの?:イギリスの電気の歴史2

さて、前回イギリスでどのように電気が使われ始めたかをご紹介しましたが、今回はその続きを書いてみたいと思います。

 

前回お話ししたように、中央発電所から電気を消費者に供給するシステムは、イギリスでは1881年からゴダルミンやブライトンなどの都市ですでに行われていました。

 


エジソンの集中配電所

 

エジソンは1882年にアメリカからエジソン製の大掛かりな発電機を輸入し、ロンドンのホルボーン陸橋(Holborn Viaduct)とその周辺を電気で照らし、4月に正式に集中配電所を始めました。ニューヨークのパールストリートに電気を配給する半年前のことです。

 

これはただこの新しいテクノロジーの実用性を証明するものだけでなく、エジソンの会社の宣伝を狙ったものでした。そのため、自治体に請求する街灯の照明費もガスと同等に抑え、利益なしで操業しました。

 

前回述べたように、1883年にエジソンの会社はスワンの会社と合併し、ホルボーン陸橋の配電所もエジソン&スワン・ユナイテッド・エレクトリック・ライト・カンパニーが運営することになりましたが、集中配電システムは赤字事業だとして、1886年には停止しました。


ホルボーン陸橋にあったEdison Electric Light Station, From an article by Jack Harris, New Scientist (1982). The photo was taken between 1882-1886, (Wikimedia Commons)

 

19世紀のモダンアートギャラリー

 

さて、1877年にロンドンのニュー・ボンド・ストリート(New Bond Street)にグローヴナー・ギャラリー(Grosvenor Gallery)がオープンしました。オーナーのクーツ・リンジー(Coutts Lindsay)准男爵夫婦は若手の画家の作品を収集し、サポートしていました。

 

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティやエドワード・バーン=ジョーンズを含むラファエル前派もお気に入りでした。当時正統派美術と呼ばれた作品を展示していたロイヤル・アカデミーがラファエル前派の展示を拒否したのに伴い、准男爵は彼らの作品を展示できるギャラリーを作ることにしたのです。

 

ルネッサンス期のフィレンツェでアーティスト達のパトロンになり、ルネッサンス文化を育てたメディチ家の人々に自分たちをなぞらえ、豪華なギャラリーを作り、当時は無名の画家達を紹介しました。 

 

1881年にパリ電気博で最新のテクノロジーを見てきた准男爵のいとこのクローフォード伯爵は、そのギャラリーを電気で照らすことを提案しました。1883年にはギャラリーの建物の裏に発電機を置き、アーク灯でフロアを照らしました。
グローヴナー・ギャラリー, The Graphic (19 May 1877). P. 480 (Wikimedia commons)
 
グローヴナー・ギャラリー, The Illustrated London News 1877 (Wikimedia Commons)

 

電気の明るさは大人気


ギャラリー自体も大盛況でしたが、この明かりに人々は驚嘆しました。近くのお店のオーナーは、こぞって准男爵に電気を使わせて欲しいと頼みました。当時、道路を掘りかえさなければ電気を供給するのは自由でしたので、准男爵は電気の供給も始めました。

 

顧客はどんどん増え、今までの発電機では間に合わなくなったので、1885年にはギャラリーの下に蒸気発電所を作り、トンネルで裏の道の反対側に建てたボイラールームとつなげました。

 

電線を建物の屋根の上の鉄柱を伝わせて顧客に電気を届けましたが、電話の普及とともに、蜘蛛の巣状に広がった電線と電話線が屋根の上でからまり、うまく送電できないなど、問題が発生しました。

 

また、ギャラリーのあったところは日本でいう銀座で、高級ショッピング街ですから、蒸気発電機の振動も苦情の対象になりました。



若く才能のあるエンジニア

 

1886年には、弱冠22歳のセバスチャン・ジアニ・デ・フェランティ(Sebastian Ziani de Ferranti)をチーフ・エンジニアに迎えます。彼は自分のデザインした発電機を設置し、すべてをアップグレードしました。

 

2年のうちに顧客は爆発的に増え、東はトラファルガー・スクエアを経由してホルボーン(Holborn)を超えたところまで、北はリージェント・パークの近くまで屋根伝いに電気を供給しました。バッキンガム宮殿の近くにある、当時ウェールズ公の住居であったマールボロ・ハウス(Marlborough House)にも、ギャラリーから電気がひかれました。 

 

1887年には准男爵、伯爵、その他の資本金でLondon Electric Supply Corporation Limitedという会社を立ち上げ、1990年にはフェランティの提案で、テムズ川の南、グリニッジの近くのデットフォード(Deptford)に世界最大級の発電配電所を作りました。


デットフォード発電所のモデル, 1888-1891, via Creative Commons

世界最大級の発電配電所の誤算

 

当時は石炭で蒸気機関を動かしていたので、大量の石炭を簡単に船で運び込めるように、敷地がテムズ川沿いにあることは重要なことでした。しかも、中央から離れていることで土地代は安く、騒音や振動の問題も心配することがありませんでした。これにより、多くの顧客に、より安価な電気を供給できるはずでした。

 

「はず」だと言ったのは、予定通りにことが運ばなかったからです。London Electric Supply Corporation Limitedの独占を恐れた商務庁は、供給地域を絞り、もともとグローブナー・ギャラリーが供給していた顧客も一部、競合相手に渡してしまったのです。

 

その上、発電所の事故や変電所の火事でしばらく電気の供給が出来なくなり、その間に顧客が他の会社に乗り換えてしまったこともありました。度重なる不幸による損失に重役達はしびれを切らし、1892年にはフェランティは会社を去り、配電事業から手を引きますが、会社自体はその後も電気を供給し続けました。


電気よりオイル

 

1886年からはイギリス東部ノリッジ(Norwich)に電気を供給していた別会社が、ロンドンのケンジントン(Kensington)を始めとする、新築の中流家庭向けタウンハウスに電気を引くようになりました。これはまとまった土地を開発するため、道路を掘り返す必要なくケーブルを引くことができたからです。

 

きれいなエネルギー

 

1910年ぐらいからは、電気の使用を促進するための宣伝も考えられました。イギリスでは、大掃除は「スプリングクリーン(Spring Clean)」といって春の復活祭の時期に行います。これはもともと、冬の間に使った暖炉や明かりから出たすすを掃除するためです。電気はガス灯のようにすすが出ませんから、「きれいなエネルギー」を売りに、春の大掃除が始まる前を狙って電気局が宣伝をしたそうです。



電気先進国が電気後進国へ

 

とはいっても、1914年の時点では、ガスも電気もない家が大多数でした。まだ灯芯草ろうそくを使っていた家も沢山ありました。田舎の貴族の館でも、電気はろうそくやガス灯よりも火事の危険性が高いという考えが執拗にあり、多くが20世紀半ばぐらいまで導入しませんでした。

 

1930年代までには送電網で全国が繋がり、各地の大規模発電所から送電されるようになり、電気代が下がりました。 

 

1960年代までには電気の通っていない場所はかなり限られるようになりました。技術的には最先端をいっていたイギリスで電気の普及が遅れたのには、企業の独占を恐れ政府の管理を強要する政治的な問題と、変化を恐れる社会性があります。新しいものを積極的に受け入れるアメリカやドイツは電気先進国となり、イギリスは取り残されてしまいました。


グローヴナー・ギャラリーの最後

 

ちなみにグローヴナー・ギャラリーはリンジー准男爵の経済的な理由により、1890年に閉鎖されました。正統派と認められていなかったラファエル前派やホィッスラーらの耽美主義派、ジョージ・フレデリック・ワッツといった象徴主義派など、今やビクトリア朝を代表する画家達を一般に紹介し、美術界に大きな功績を残した彼は、期せずして電気業界の発展にも寄与することになったのです。彼とフェランティなくしてイギリスの配電システムの発達はありえなかったのです。

 

 

注:現在ロンドンにあるグローヴナー・ギャラリーは、1960年にアメリカ人のEric Estorickによりヨーロッパ美術を紹介するために作られたもので、名前は同じでも全く違うものです。


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<参考文献>

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McNeil, Ian, 2002, An Encyclopedia of the History of Technology (Routledge)
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Weightman, Gavin, 2011, Children of Light: How Electricity Changed Britain Forever (Atlantic Books Ltd)
Woolgar, Christopher Michael, 2006, The Senses in Late Medieval England (Yale University Press)


グローヴナー・ギャラリーウェブサイト

2019年9月20日金曜日

Q:電球は誰が発明したの?:イギリスでの電気の歴史 1

電球を発明したのはエジソン。そう教わりませんでしたか?でも、本当にそうでしょうか?ちょうど電力の配給方法を巡ってエジソンとジョージ・ウェスティンハウス&ニコラ・テスラが繰り広げた電流戦争についての映画「ザ・カーレント・ウォー(The Current War)」が公開されたところですが、実は電球の発明を巡っても戦いがあったのです。

 


初の実用灯

 

18世紀から19世紀にかけて、世界中の科学者が電気の利用について、様々な実験を繰り返していました。1807年に、イギリスの化学者ハンフリー・デービー(Humphry Davy)は、炭素アーク灯を発明しました。初めての実用的電灯です。

 
 

最初の電気の使用は1870年代


その後、他の科学者達が改良を重ね、1878年にはタイムズ紙の機械室に、1879年にはロイヤル・アルバート・ホールと大英博物館図書館に、ロンドンのビクトリア駅には1880年に電気が使用されるようになりました。ロンドンだけでなく、シェフィールドやスコットランドのグラスゴー等、各地で導入されました。

 
 

眩しすぎるアーク灯


ただ、アーク灯は明るすぎて、目が開けていられないほど眩しいので、1880年までには、家庭のような小さなスペースには向かず、公共の場で使うにしてももう少し改良が必要だということになりました。

 

それでも1878年には科学者で事業家のウィリアム・アームストロング(William Armstrong)が、イングランド北東にある自宅に電気を取り入れました。家庭での電気の使用は、これがおそらく世界で初めてのことです。

 
 

世界で使われたアーク灯


アーク灯が使われたのはイギリスだけでなく、1870年代後半からパリを始めとするヨーロッパ各地や、ロサンジェルスやニューヨークを含むアメリカの都市でも使われました。

 

日本では1878年に工部大学校で初めて点灯され(この日は電気記念日となりました)、1882年には銀座の街灯に使われました。

 

アーク灯はその後も改良が続けられ、映画の撮影やサーチライトに使われました。

炭素アーク灯 Creative Commons
 

白熱電球の開発合戦

 

一方、白熱電球の研究がデービーを含む様々な研究者によって行われ、1841年にはイギリスの科学者フレデリック・デ・モーリンズ(Frederick de Moleyns)が初めて特許を取りました。

 

その頃からずっと開発を続けていたイギリスの科学者ジョセフ・スワン(Joseph Swan)は、1878年に真空の電球で特許を取得。

 

アメリカでは同年に、エンジニアで発明家のウィリアム・ソーヤー(William Sawyer)と弁護士で発明家のオルボン・マン(Albon Man)が白熱電球の特許を取得しました。

 
 

エジソンvsスワン


エジソンは翌年1879年に、長時間点灯できる真空の電球で特許を申請、1880年に受理されました。イギリスではスワンが特許の侵害でエジソンを訴え、エジソンはスワンを訴えましたが、エジソン側は明らかに不利で、敗訴することを恐れた彼の弁護士が示談を勧め、二人はそれぞれの会社を合併、エジソン&スワン・ユナイテッド・エレクトリック・ライト・カンパニー(Edison & Swan Electric Light Company)を立ち上げました。

 

一方、アメリカではソーヤー&マンが異議を唱え、エジソンの1880年の特許は1894年に無効になりました。

スワン炭素フィラメント白熱電球 1881年 Creative Commons
エジソン&スワン炭素フィラメント白熱電球 1893年 Creative Commons
 

パリ国際電気博


18818月にパリ国際電気博(International Exposition of Electricity in Paris)が行われ、世界各国の最新のテクノロジーが展示され、注目を浴びました。エジソンは派手なディスプレーで人目をひきました。この頃のエジソンの白熱電球は京都の真竹を使用したフィラメントを使っていました。

 
 

発電機の発明


この電気博では、発電機も展示されていました。ちなみに発電機はいつできたのでしょうか。それ以前は電池が使われていましたが、最初の電動機は、1831年にハンフリー・デービーのアシスタントであるイギリスの科学者、マイケル・ファラデー(Michael Faraday)によって考案されました。でも実用にはパワーが足りませんでした。

 

実用的なものは、18661667年にイギリスのチャールズ・ホイートストーン(Charles Wheatstone)、サミュエル・アルフレッド・ヴァーリー(Samuel Alfred Varley)、そしてドイツのヴェルナー・フォン・シーメンス(Werner von Siemens)がそれぞれ別々に開発しました。

 

最初に商業規模の発電機を作ったのはベルギー人のゼノブ・テオフィル・グラム(Zenobe-Theophile Gramme)です。1871年のことでした。


ダイナモ 1886年頃 Mather and Platt Limited, Creative Commons
 
蒸気タービン発電機 1884年 Clarke, Chapman, Parsons & Co, Creative Commons
 

エレクトリック・アベニュー

 

さて、イギリスでは白熱灯はどのように取り入られていったのでしょう。電気を初めて家庭で使用した前述のウィリアム・アームストロングは、1880年に自宅の電気をスワンの電球に切り替えました。

 

同じく1880年にはロンドンのブリクストン(Brixton)に初めて電気で点灯されたショッピング・アーケードができ、「エレクトリック・アベニュー(Electric Avenue)」と名付けられました。エディ・グラント(Eddy Grant)の同名の歌をご存知の方もいるかもしれません。

 

 

燃えない灯り


1881年には、イギリス国会議事堂の庶民院に、白熱灯が導入されました。同年にオープンしたサボイ劇場には、1158個の白熱電球が使用されました。電気がどれだけ安全かを証明するために、布に包んだ点灯した電球を舞台の上で割って見せたそうです。それまで人工の光といえば炎のことを意味しましたから、燃えない明かりに観客は大喜びでした。


サボイ劇場の電気と銘板
 

地域への配電


ロンドン南西にあるサリー州ゴダルミン(Godalming)の町に電気が通ったのは18819月です。世界で初めて個々の建物や街灯だけでなく、地域一帯の希望者の家庭やビジネスにも電気が配給されました。エジソンがニューヨークに電気を配給したのが18829月ですから、ちょうどその1年前のことです。

ゴダルミンの町にある銘板 ⒸColin Smith, Creative Commons

ゴダルミンも他の都市同様、それまでガスの街灯を使っていましたが、ガス会社と値段の交渉が決裂した自治体は、電気に切り替えることにしました。

 

なめし皮工場の水車を使い水力発電を行いました。そのなめし皮工場の水を使う代わりに、無料で工場やその敷地、そして工場主の家にも電気が供給されました。その工場にはアーク灯が3台、白熱灯が15台設置されたそうです。ゴダルミンの街にはアーク灯が7台据え付けられ、そこから白熱灯40台に電気を送っている、と当時のタイムズ紙は伝えています。

 

当時はガス会社は公共の通りを掘り起こしガスをひく権利を持っていましたが、電気会社はそれは許可されていませんでした。そのため、メインケーブルは排水溝に沿ってひかれました。

 

1884年には配電を仕切っていたシーメンスが採算が取れないと撤退、ゴダルミンの明かりはガスに後戻りしました。

 

 

世界で一番長く電気を使っている街


ちなみに世界で一番長く電気を使っているのはイギリス南部にあるブライトン市(Brighton)です。18822月から中断されることなく電気が供給され続けています。



生地屋は喜び、肉屋はいやがる

 

面白いことに、電気を積極的に取り入れたのは生地屋です。ろうそくの光やガス灯は黄色がかっているために、緑と青の区別がつきにくいなど、色の判断がしづらいという問題がありました。電気の明かりは日光に近いために、店内で選んで、外で見てみたらとんでもない色だった、ということはありません。

 

反対に、ガス灯を好んだのは肉屋です。色が実際よりよく見えるので、状態の良くない肉も、特に貧困層や労働者が土曜の夜に買っていってくれるからです。ガス灯は熱を発するので、そういう意味では電気の方が商品の持ちは良いのですが、1890年代にスミスフィールド(Smithfield)の肉市場に電気が導入されると、肉屋たちはこぞって金箔を貼った反射板を取り付け、肉の色が良く見えるようにしたそうです。



エジソンのすごいところ

 

このように、「エジソンが電球を発明した」というのは事実ではありません。彼はすでに発明されていたものを「改良した」のです。また、エジソンはすでに成功しており、彼の下に40人ほどの科学者を抱えていましたから、彼らの貢献も忘れてはいけません。それに、集中配電を世界で最初に行ったのもエジソンではありません。

 

そうは言ってもエジソンの偉大さが損なわれるわけではありません。彼の凄いところは、発電所から送電し、消費者に届けるネットワークを最初から想定していたことです。アメリカだけでなく、世界の電気産業を推進したのは彼です。銀行家と組み、世界各国にエジソン電気会社を設立し、彼の信じるシステムを推し進めました。以前にお話した、ガスをイギリスに広めたウィンザーと同様、彼はビジョナリーでPRの得意なビジネスマンだったのです。





 
<参考文献>

Brown, Lawrence S., Holme, Tom, 2010, Chemistry for Engineering Students (Cengage Learning)
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Katznelson, Ron D., and Howells, John, 2012, “Inventing-around Edison’s incandescent lamp patent: evidence of patents’ role in stimulating downstream development” (Northwestern Pritzker School of Lawより)
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岩清水八幡宮ウェブサイト
東芝未来科学館ウェブサイト
Godalming Museumウェブサイト