先日、15〜16世紀に羊毛産業で栄えたラベナム(Lavenham)という町に行ってきました。その当時に建てられた木骨建築が建ち並ぶこの町は、「イギリスで最も美しい中世の町」と言われます。建築物に関してはまた別の機会にお話しするとして、今回はそこで学んだ染色について書いてみたいと思います。以前紫と赤についてお話ししましたので、今回は青に焦点を当てたいと思います。
©モリスの城 |
古代中国とエジプト
染色の歴史は長く、紀元前2600年に中国で記述されたものが一番古い記録であるとされています。もちろん文字で記されていなくても、それ以前から草木染めはあったのではないかと想像できます。
古代エジプトでは、第18王朝(紀元前1570頃—紀元前1293年頃)に植物が使われるようになる前は、酸化鉄を使って赤、茶、黄色の色で染色されていました。
その後使われていた植物には、アルカネット(赤)、オルキル(紫)、アカネ(赤)、ベニバナ(黄〜赤)、タイセイ(青)があり、ミョウバンが媒染剤として使われました。媒染剤というのは、染料を繊維に定着する為に使われます。
西暦300年ぐらいに書かれたパピルスには、古代エジプトでの染色法について触れられています。
ヨーロッパでは
ヨーロッパでは16世紀末に藍がインドから輸入されるようになるまで、タイセイ(Woad、ラテン名:isatis tinctoria)を使って青色を作り出していました。タイセイはアッシリア原生の植物だそうですが、早くにヨーロッパに紹介されたようです。
ヨーロッパで一番古いタイセイを使った生地は、オーストリアのハルシュタットで見つかったものです。紀元前1500−1100年に染められたもので、塩鉱から発見されたため、塩のおかげで色があせずにいたのだと考えられています。
isatis
tinctoria by Alupus (creative commons) |
古代ブリトン人はタイセイで敵を脅す
イギリスでも、鉄器時代(紀元前800年〜西暦45年)にはタイセイが使われていたことが、リンカーンシャーのDragonby村の発掘から証明されています。
ローマ軍が紀元前55年に到着した時には、タイセイの青を体に塗った原住民と対峙しました。ユリアス・カエサルは「すべてのブリトン人はタイセイで自身を塗っており、戦いにおいては恐ろしい様相をなす」と書いています。
敵を怖がらせるだけでなく、タイセイには消毒効果があるので、戦場で傷を負った時に治りが早いから使われたのだ、という説もあります。また、ケルト神話の母神ダヌ(アヌとも呼ばれる)を讃えてそうしたのだという説もあります。
コベントリーブルー
14〜15世紀にはイギリス中でタイセイが栽培され、取引されていました。特に、イギリス南部のサザンプトンで採れたタイセイを使って、イギリス中部にあるコベントリーで作られた青い布は、色あせしない「コベントリーブルー」として、大人気でした。
染料の取り出し方
タイセイから青色の染料を取りだすのは、実は非常に手の込んだプロセスなのです。葉をすりつぶし、それを丸めて乾かします。乾いた葉をバラバラしに、発酵させます。それを粉にして、乾かします。今度はそれに水、灰、小麦ふすま、そしてしばらく置いておいた尿につけ、50度まで温めます。火から下ろし、そのまま発酵させ、その工程を通じて酸素を取り除きます。羊毛をそれにつけ、それが酸素に触れると酸化して青い色になります。1キロの葉から採れる染料はわずか1〜4gで、1gの染料で約20gの繊維を染めることができるそうです。
古い尿が必要
ちなみに染料を取り出す工程で使われる尿は、新しいものではダメで、時間が経って発酵、腐敗作用が始まらないと使えないそうです。
これにより、その工程はかなり臭かったことが想像できます。その為、リンカーンシャーのタイセイ染めの家族は親近結婚しなければいけなかったそうです。エリザベス1世は1585年に、その匂いに耐えかねて、マーケットタウンや衣料生産を主な糧とする街の4マイル(約6.5キロ)以内、王宮の8マイル(約13キロ)以内のタイセイの栽培は禁止するとお達しを出しました。
ただし、実際のところは、匂いだけが原因ではなかったようです。タイセイを栽培すると土壌が痩せてしまうということ。タイセイ栽培は食物生産よりも6倍の利益があったため、タイセイ畑が拡大され、食物の生産量が落ちてしまったこと、等が理由だったそうです。
タイセイvs藍
1600年以降になると、タイセイの栽培はガクンと減ります。これはインドから藍が入ってきたからです。それまでは青色の染料のために育てられていたタイセイは、それ以後、藍の染料を取るため、その発酵を助けるために使われるようになりました。
タイセイで染めた糸 (Lavenham Guildhall 資料、写真©モリスの城) |
19世紀半ばに開発された人工染料により、安価で簡単な染料が市場に出回り、自然染料は市場を奪われます。藍・タイセイで染められた生地は1930年代までロンドン警視庁が使用していましたが、1932年に、ついに最後の商業生産が終わりを告げました。
ラベナムの盛衰
ラベナムの繁栄は、14世紀にエドワード3世が織物産業を推奨したことがきっかけです 。一時は、イングランドで最も裕福な20カ所のうちに数えられる程、栄えていました。しかし16世紀になり、オランダからの難民が、ラベナムから25キロ程の距離にあるコルチェスターに住み着き、もっと軽くてファッショナブルな織物を安く提供し、それが原因でラベナムの産業が廃れていってしまいます。
ハリー・ポッターの生地
ある意味、その後基幹産業となるものがなかったお陰で、当時の建物がまだ多く残っているのです。そして、今は観光や、ハリー・ポッター等、映画やテレビ番組に使われることで、町の収入を主に得ているのではないかと思います。それでも、過去の織物産業繁栄当時の栄光を、大切に守り続けているような気がしました。