2017年6月19日月曜日

Q:断熱材って安全なの?


2017年6月14日未明、ロンドン西部にある高層公共住宅で火事がありました。4階の一室から出火した火はあっという間に24階建てのビルを包み込み、未だに何人の方が亡くなったのかわからない状態です。これを書いている時点でまだ火事原因に関しての調査が始まっていないので、断定はできませんが、 ビルの外壁に取り付けられた断熱材が原因で火がこれだけ早く広まったのだと言われています。

Grenfell Tower fire, 4:43 a.m., 2017, By Natalie Oxford (creative commons)

私有化された公共住宅


私は2000年に6ヶ月ですが、ロンドンの12階建ての公共住宅ビルの最上階のアパートメントに住んでいたことがあります。「公共住宅」とは言っても、1980年代にサッチャー首相が住民に自分の住んでいる公共住宅を「買う権利」を与えて以来、ほとんどが私有化されて、私がそのビルに住んでいた時もそのビルの半数以上は私有化されていました。ビルの管理は区で行っています。
 
グレンフェル・タワーも似たようなものだと思いますが、低収入者や障害を持って働くことのできない人など、公共住宅を必要とする人たちがたくさん住んでいました。

こういった背景と、また私自身が今の家に断熱材取り付けを考えていたことを合わせ、今回外装に使われた断熱材(cladding)の安全性について考えてみたいと思いました。


断熱材の役割

 
以前にも書きましたが、断熱材取り付けの利点は壁から熱が逃げるのを防げること、つまり保温です。また、外気と建物の中の空気の温度差からおきる結露を防ぐことになり、カビを防ぐことになります。

グレンフェル・タワーは2016年に改装されましたが、その一環として断熱材の取り付けが行われました。
 
 

醜い建物


主な理由は上にあげましたが、外観の美化も大きな理由の一つです。この建物はもともと1967年にブルータリズムの形式で建てられました。ブルータリズムはモダニズムから派生した形式で、打ちっ放しのコンクリートなど、見かけよりも機能を重視した作りになっています。
 
現在イギリスで見られる高層公共住宅(タワーブロック)は貧困の象徴として見下されています。グレンフェル・タワーのあるケンジントン&チェルシー区は全国的に見ても最も裕福な地域の一つであると同時に最も貧困な地域の一つを抱えた区です。
 
ロンドンではここ何年か高級化がすごい勢いで進んでいます。土地開発業者がどんどん土地を買い取り高級マンションを建て、世界中の富裕層が先を競ってそれを買い、地価が高騰し、普通の人たちが住めなくなっていっています。このように近くの裕福な住民にとって醜いタワーブロックは見るに耐えないものであり、外観の美化は重要なポイントでした。


あっという間に火がついた

 
グレンフェル・タワーに使われた断熱材はReynobond PEというもので、ポリエチレンをアルミニウム複合材で挟んだものでした。この商品を販売しているアメリカのArconic Inc.のサイトによると「柔軟性、成型性に優れ、軽量で取り付けが簡単」とあります
 
これは耐火性のあるReynobond FRに比べて1平方メートルにつき2ポンド(約300円)安価です。ポリエチレンは可燃性があり、アルミニウム複合材が耐火の役割をするはずですが、スカイニュースが行った実験によると、700度の熱で2分後にアルミニウム複合材が溶け、中のポリエチレンに火がつきました。


世界中で起こっている火災

 
このようなプラスチックでできている外装材の使用による火災が世界中で起きており、ドイツでは1980年代から22m以上の建物で禁止されています。アメリカでは 金属複合材パネルの使用は芯が難燃性でない限り15m以上の建物で禁止されています。イギリスでは現在外装材についての規制はありません。


防災設備の欠落

 
断熱材だけでなく、その取り付け方に問題があったかもしれません。各階の間に防火遮断層があったのか。建物と断熱材の間に隙間はなかったか。パイプを通す穴などはきちんと閉じられていたのか。また、スプリンクラーの不設置、火災報知器の不十分、火災避難ルートの不十分さなど、基本的な防災設備の欠落にも焦点が当たっています。

予防できる事故だっただけに、本当に無念です。被害に遭われた方の冥福をお祈りし、これを機会に防火規制が厳しくなることを祈ります。

2017年2月14日火曜日

Q:数学的タイルって何? 外壁の歴史


うちの隣は今近代的なビルになってしまっていますが、その昔には多分うちと同じような建物が続いて建っていました。
 
 

息ができない外壁


その隣とくっついていたであろう外壁は、今はコンクリートで塗られています。コンクリートは息ができないため、家の中の壁に影響が出てきており、そのため建築保護を専門にしている建築家を通して、その壁を息のできる石灰のモルタルに塗り替えるという話が出ました。
 
結局コストや大規模な工事になることから、その話は流れたのですが、その時に建築家から出た提案の中に、「石灰のモルタルの上にmathematical tilesを貼る」というのがありました。mathematical tilesって数学的タイル。これって何?そこで調べてみました。


レンガのようなタイル

 
数学的タイルというのは、外壁用のタイルで、パッと目にはレンガのように見えます。この名前がどこから来たのかは不明なのですが、一説によると、これがよく使われるようになった18世紀には科学が大変進化した時代であり、トレンディであったことから、それにちなんだ名前ということで「数学的」となったともいいます
 
これらのタイルは壁に直接貼られるわけではなく、オーク材の木片の上に、杭を使って、下のタイルが上のタイルに重なるようにして固定されています。
 
1794年の建物の修復 (creative commons)


安価になったタイル

 
外壁用のタイルの歴史は意外に古く、アングロサクソン時代に既に使われていたという説もあります。しかし、私たちが現在見ることができるようなイギリスの家に使われるようになるのはタイルがもっと一般的になり、安価になった17世紀後半になってからです。
 
木骨造の家では、木枠の間に編み枝細工に粘土や泥を塗った荒うち漆喰が壁として使われていました。築何年かすると、木枠や壁が乾き、ヒビが入り、そこに雨水が入ると木枠が腐りやすくなります。それを防ぐ為に外壁にタイルを使ったのです


木造の家禁止令

 
1666年にロンドン大火が起こります。パン屋のかまどから燃え広がった火は、所狭しと並んだ木造の家にどんどん燃え移り、1万3200万戸が消失しました。その為建築法規が厳しくなり、全ての家はレンガか石造りであることが義務付けされます


レンガにも税金が!

 
1784年になると、アメリカ独立戦争(1775−1783)の支出を補う為、ジョージ3世により、レンガ税が課されます。以前に窓税について書きましたが、いかに建築物から税金をひねりだせるかがこのころのテーマのようです。
 
レンガやレンガ税についてはまた別で詳しく述べたいと思いますが、レンガに税金がかかったことで、数学的タイルの需要が増えたという説が強力でした。
 
 

モダンな家にしたい!


しかし、実は数学的タイルにも同じ税金がかかったので、それが事実かどうかは疑わしいという説もあります。それよりも、レンガ造りの家がトレンディになったので、木造の家の人たちが、その家を壊してレンガで作り直すのはお金がかかるから、レンガに見えるタイルで家を覆ってしまえ、ということで数学的タイルの人気が出たという話もあります。


 Display of mathematical tiles at Bourne Hall Museum, Ewell by Lord Belbury (creative commons)
 

イングランド南西部で人気


この数学的タイルは主にサセックス州とケント州で使われています。サセックス州のブライトンやルイス(Lewes)では主に白っぽい、黄色っぽい色のタイルが使われておりますが、ブライトンにあるロイヤルクレッセントでは塩焼きレンガ(salt-glazed bricks)に似せた黒い釉のかかったものが見られます。このように全国的ではなく、イングランド南西部に集中して使われていることを見ると、やはりレンガ税とは関係なかったのかなと思われます。

Royal Crescent, Brighton by Stuart Walsh (creative commons)
 
さて、家の外壁ですが、私たちは数学的タイルに大賛成だったものの、保存担当員に「数学的タイルはこの地域では使われていなかった」と却下されてしまいました。





2017年1月21日土曜日

Q:装飾的床タイルはいつ使われるようになったの? 床の歴史


先日不在中に預けられた荷物を取りにお隣の家に行き、びっくりしました。うちと同じ建物の為、構造的はうちとミラーイメージになっているのですが、玄関を入ってすぐの廊下の床がうちと違っていたのです。

 
 

素敵なヴィクトリア朝タイル


以前にも述べましたが、うちの床は1830年頃に建てられた当時の床で、 pamment と呼ばれる素焼きのタイルです。お隣は、どうも19世紀後半に当時のタイルに貼り変えたようなのです。うちのタイルは味があるのですが、お隣のヴィクトリア朝のタイルはとても素敵です。



何を保存するか?

 

建物でも街でもそうですが、何を保存して何を新しくするかを選択するのは難しい場合があります。どれも歴史の一部になっているからです。

 

昔聞いた話ですが、現在のローマは古代ローマの上に建っており、例えば建物を改修したりすると、土台の下から昔の建物が出てきたりするそうです。何千年前の建物を掘り起こして保存するか、現在建っている500600年の歴史のある建物を優先するか。常に難しい選択をしなければならないそうです。

 

この家のように、200年弱という、ある意味短い歴史を持った普通の家でも、その家の歴史があり、何を残して何を新しくするかを、その時その時の持ち主が決定しなければなりません。もちろんその内容が建築的歴史的重要建造物リストにリストアップされていれば、変えることができません。

 

うちの近くにある14世紀に建てられたコテージには、当時の壁画があり、そこに住んでいる人は、「壁画のある壁には一切触らないこと」が借りる条件となっていると言っていました。

 

うちのように普通の家では、建物自体はリストアップされていますが、家の中は比較的自由に変えられます。でも建物を次世代に残していくという責任が伴います。

 

さて、ということで、今回はヴィクトリア朝の床タイルについて検証したいと思います。



焼き付けタイル

 

焼き付けタイル(encaustic tiles)というのは、陶土に型で模様をつけ、へこんだところに液状の粘土を流し込み、乾燥させてから焼くタイルです。もともと中世の修道院の床に使われていました。1538年の修道院の解散令により、修道院が閉鎖されたのと同時に、焼き付けタイルの技術も失われてしまいました。 


石のモザイクでできたイーリー大聖堂の床 ©モリスの城

中世のデザインに戻れ


19世紀になり、機械化が進むと、それが人に与える影響とその無個性なデザイン反発してピュアな形に戻ろうという運動が現れます。また、それまで主流だった、古代ギリシャ、古代ローマをお手本にしたスタイルから、イギリス古来のデザインに戻るという意図もありました。

 

そしてそのピュアな形の手本とされたのが中世でした。また、19世紀は教会や大聖堂の修復が活発に行われた時期で、それがきっかけで、中世のデザインが見直されたというのもあります。

 

製造側にとっては、すでに修復という市場がある為に、それを一般市場向けに販売するのは簡単でした。多くのタイル生産者は、中世のデザインをコピーし、大量生産して一般向けに販売し、教会や大聖堂にその商品を寄付しました



ミントンは床タイルも開発

 

1830年に、Samuel Wrightが焼付けタイルの大量生産法の特許を取ります。さて、ミントンというと、ティーセットを始めとする陶磁器の食器を思い浮かべる方が多いと思いますが、その創設者Thomas Mintonの孫であるHerbert Mintonが、1835年にSamuel Wright から焼付けタイル製造の特許を買い取ります。Herbert Mintonは、それからさらに5年試行錯誤を重ね、一貫した質のタイルを大量生産できる方法を開発します。


ヴィクトリア朝の焼付けタイル イーリー大聖堂 ©モリスの城
 

新技術


1840年には、Richard Prosserdust pressed tilesの特許を取ります。タイルは、下手すると、焼き上がった時に反ってしまいます。その為、タイルの厚さを厚くしたり、違うタイプの陶土を重ねて使ったりして、それを防いでました。そういった方法だと、乾燥に何週間という時間がかかります。 

 

Richard Prosserの方法では、陶土をまず58%の水分を残したまま乾燥させ、粉状にし、金属の型に入れて1cm程まで圧縮させます。型に入れた時に、すでにデザインを型押しできます。しかも薄いので、乾燥にかかる時間も短く、縮みや反りの問題もあまりありません。1860年ぐらいまでには、ほとんどの大量生産タイルにこの方法が使われるようになりました。

 

焼付けタイルの大量生産に関わったのは、ミントンだけではありませんでした。George/ Arthur Maw、Henry Godwin そして Jesse Carter等も、それぞれにタイルの大量生産市場に参入し、1840年からタイル生産はどんどん伸びていき、1880年から1900年にピークに達します。

 

焼付けタイルは比較的高価だった為、それだけで使われることは稀で、通常幾何学タイル(geometric tiles)と一緒に使われました。クリーム色、黄褐色、黄色、赤褐色、赤と自然の土の色が多く、強い色素を加えられた白、青や緑はもう少し高価でした。これらのタイルは三角やひし形にカットされ、幾何学模様にレイアウトされました。


焼付けタイルと幾何学タイル イーリー大聖堂 ©モリスの城
 

ちなみに、焼付けタイルも幾何学タイルも、床タイルは素焼きです。

 

 

見せるタイルと使うタイル

 

こういった装飾的なタイルは、玄関やホール等、他人に見られる部分に使われました。キッチンや洗い場など、家の人や召使しか見ないところには、やはり19世紀に開発された、安いクォリータイル(quarry tiles)が使われました。クォリータイルは赤褐色のタイルで、あまり精製のされていない陶土を使い、低温度で焼かれたもので、比較的柔らかい為、すり減ったり壊れたりしやすいのです。


©モリスの城

19世紀後半にタイルが好まれたのには、大量生産により一般市民が入手しやすい価格になったという他に、もう一つ理由があります。以前に書きましたが、この頃には、衛生観念がかなり高まってきました。タイルは清潔に保つのが簡単なので、そういう意味でも人気があったのです。

 

装飾的な床タイルは、1920年代には時代遅れになり、その後カーペットで覆われたり、取り除かれて、シンプルなタイルに取り替えたれたりしてしまいました。