山の少ないイギリスでは、降雨量が少ないと貯水池の水量が減るため、「hosepipe ban(ホース使用禁止令)」が出されることがあります。これが出ると次のことが禁止されます。
プールや噴水や池(魚がいる場合は除く)に水を入れること。
庭の植物にホースを使って水をやること。
車やバイクをホースを使って洗浄すること。
家の外壁や窓、屋外通路、テラスなどをホースを使って洗浄すること。
そしてボートを洗浄すること。
バケツやじょうろを使うことは許されていますが、禁止令を破ると罰金が科されます。
イギリスの芝生は青い
2018年の初夏には何週間も雨が降らなかったので、ホース使用禁止令が出されました。植物園でも芝生がすっかり茶色になっていましたが、植え替えたばかりの一部分だけは水をやらなければいけないらしく、妙に青々とみずみずしかった記憶があります。
私が育った家の庭の芝生はすぐに茶色くなっていたのに、イギリスにきて芝生がいつも生き生きと青々としていることに驚きましたが、それは芝生の種類が違うのに加え、常に雨が降っているからなのですね。
さて、前回水飲み場について書きましたので、今回は水道の歴史について書いてみたいと思います。
雨水が一番!
水道が引かれる前に主に使われていたのは雨水でした。古代ローマ人により2世紀に建築されたハドリアヌスの長城では、屋根から雨水を採取し、貯水しておけるようになっていたことがわかっています。
普通の家ではそこまでの施設はなかったでしょうが、 イギリスの医師アンドリュー・ボアード(Andrew Boorde)により1542年に出版された本によると、一番いいのは雨水だそうです。その次が湧き水、そして 3
12世紀に水道があった!
実は水道の歴史は意外に古く、カンタベリーの聖オーガスティン修道院の北西の丘には、12世紀に建てられた導水館(Conduit House)があります。
その水源は修道院から1.5km離れたところで、いくつかの泉から導水館に水がひかれ、貯められました。ここから修道院まで直径75cmの鉛製の水道管が敷かれました。
近所のリンゴ園を通るので、リンゴ園はその水を使う代わりに毎年籠いっぱいのリンゴを修道院に納めていたようです。
導水館から修道院にいくまでに水は5つの沈殿槽を通り、そこで泥と砂が取り除かれます。そして修道院の水槽から敷地内の建物の洗面所や台所や醸造室、そして便所にある小型の水槽に配水され、下水は下水管を通って町の排水溝に流されました。
1946年の工事で発見された下水管は高さ・幅ともに1mだったそうです。
修道院は水道完備
聖オーガスティン修道院だけでなく、中世の修道院の多くでは水道システムが完備されていましたが、重力を利用して水を流していたため、近くに丘のない平坦な土地では井戸や小川から人力で運んでいたようです。
また、水道がある場所でも井戸があり、石や魚で水道がつまったりした場合に備えていたようです。水道管は鉛だけでなく、木の幹をくりぬいたものや陶器のものもありました。
ロンドン最初の水場
ロンドン(シティ)には水源となる川が3つありました。
テムズ川、フリート川(ハムステッドヒースからキングスクロス、ファリンドンをぬけてブラックフライアーズでテムズ川に合流。今は主に地下を流れている)、ウォルブルック川(イズリントンからリバプール・ストリートをぬけてキャノン・ストリートの南でテムズ川に合流。同じく今は主に地下を流れている)です。
また、ホーリーウェル(Holywell)やクラーケンウェル(Clerkenwell)などの湧き水もありましたし、井戸も掘られていました。
1300年のロンドン。ロンドン(現在のシティ)の左側を流れるのがフリート川で、真ん中を流れるのがウォルブルック川。Map created by Grandiose on18 06 2012 licensed under Creative Commons |
西から東へ水が引かれる
ロンドンで最初に一般に水が引かれたのは、1285年です。
この頃までには、シティにある川の汚染がひどくなっていました。ヘンリー三世は、マリルボーンのタイバン川(サウス・ハムステッドからマリルボーン、ボンドストリート、グリーンパークを通って4つの支流に分かれてテムズ川と合流。現在は地下を流れている)から水道管でシティまで水を供給するよう、領主に要請しました。
当時すでに、現在のボンドストリート駅の北側に水場があったようです。
直径15cmの木と鉛でできた水道管が、チャリングクロスを通ってシティまで引かれました。当時最大の市場であったチープ(現在のバンク駅とセント・ポール駅をつなぐ通り)には、「the Great Conduit」と呼ばれる水場が作られました。14世紀後半になるまで、そこはシティ唯一の水場だったようです。
その後、チャリングクロスから、いくつかの水道管に分けられてシティに配水されるようになりました。あちらこちらに水場が作られ、人々は近くの水場から水を得ることができるようになりました。
この水は「sweet water」だと描写されていますが、これは甘い水という意味ではなく、新鮮な水という意味です。水場の水は最初は無料だったようですが、1330年代までには若干の使用料が請求されるようになったようです。
Men taking water from a fountain; the water is dispensed through a grotesque lion's head. Etching. Wellcome Collection. Public Domain Mark |
魚屋はお断り
「富裕層や中流層が料理するために、そして貧困層が飲むために」水道管で引かれた水を、エールの醸造者や魚屋が醸造したりモルトを作ったり魚を洗ったりと無駄遣いしていると、1345年のロンドンでは、それらの職業の人が使ったら罰金が科されたそうです。
The Great Conduitのキーパーは、その近くに住む刃物屋、金物屋、蝋燭屋、絹物商人、仕立屋などが兼任していたようですが、1310年にはすでに、キーパーの役割には、醸造者と魚屋が水の無駄遣いを取り締まることが含まれていますので、よほど問題になっていたのでしょう。
水の売り歩き
これらの水場から家々に水を届け売り歩く商売がなりたっていたようで、1599年にイギリスに旅行したスイス人医師トーマス・プラターズは、次のように書いています。
「湧き水もしくは飲み水は、街のあちらこちらにある石製の水槽に入れられており、貧しい労働者たちは、その蛇口から、底が大きく首の狭い鉄製の箍のついた木製の桶に水を入れ、それを肩に担ぎ、家々を行ったり来たりして売り歩いている」
A water seller carries his water canister and a tray with carafes and glasses. Lithograph. Wellcome Collection. (Public Domain) |
貴族の無駄遣い
ストランドにあったエセックスハウスのような邸宅は、年額を払って主管から直接水道管を引いたようですが、1608年6月8日付のロンドン市長から家主のサフォーク伯爵に宛てた手紙の中には、エセックスハウスでの無駄遣いがあまりにひどいので、水場の水が非常に少なくなっている。そのためエセックスハウスへの給水を止める必要がある、と書いてあります。
水場の最後
さて、この水場ですが、1701年ごろまでには姿を消しました。というのも、徐々に家々に水が引かれるようになったこと、そして水場は道の真ん中にある大きな建物だったので、人口増加に伴い、馬車などにとって邪魔な存在になったからです。
このように、だんだんと水道に依存していくようになりますが、それは次回に。
*ご興味があれば、こちらもどうぞ*
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<参考文献>
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Boorde, Andrew, Barns, Milton, Furnivall, Frederick J., 1870, The Fyrst Boke of the Introduction of Knowledge Made by Andrew Borde, of Physycke Doctor: A Compendyous Regyment; Or, A Dyetary of Helth Made in Mountpyllier (Early English Text Society)
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Laurence, Ray, 2012, Roman Archaeology for Historians (Routledge)
Mortimer, Ian, 2013, The Time Traveller’s Guide to Elizabethan England (Vintage Books)
Overall, Henry, and Anonymous, 1870, Analytical Indexes to Volumes II. and VIII. of the Series of Records Known as the Remembrancia. Preserved among the Archives of the City of London. A.D.1580-1664 (Authority of the Corporation of London, under the Superintendence of the Library Committee)
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Platter, Thomas, 1937, Thomas Platter’s Travels in England 1599: Rendered into English from the German, and with introductory matter by Clare Williams (Jonathan Cape)
Thomas Riley, Henry ed., 1858, Memorials of London Life in the 13th, 14th and 15th Centuries. Being a Series of Extracts, Local, Social, and Political, from the Early Archives of the City of London A.D. 1276-1419 (Longmans, Green, and Co.)
Wicksteed, Thomas, 1835, Observations on the Past and Present Supply of Water to the Metropolis (Richard Taylor)
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BBCウェブサイト
British History Onlineウェブサイト
English Heritageウェブサイト
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