前回窓ガラスの歴史を見ていきましたが、今回はその続きを書いてみたいと思います。
窓ガラスの普及に関連してもう一つの事実があります。
イギリス共和制
前回オリバー・クロムウェル(1599〜1658)に触れましたが、彼はイギリスに共和制をうちたてた政治家です。当時は王の権力を支持する国王派と、民衆の為により多くの権利と権力を得ようとする議会派が対立していました。
ついには内戦となり、クロムウェル率いる議会派が勝利し、1648年には国王チャールズ一世は処刑されました。1649年に共和国が成立し、クロムウェルがその指導者となりました。敬虔な清教徒であることから、民衆にも節制のある生活を求めました。
彼の死後、その権力は息子であるリチャードに引き継がれましたが、リチャードは父親程の才能はなく、亡命していたチャールズ二世が1660年にイギリスに戻り、王政復古がなされます。
フランスのきらびやかな文化
清教徒のオリバー・クロムウェル統治時代のイギリスとは反対に、チャールズ二世を始めとする貴族達が亡命していたのはおりしも豪華なバロック文化が華咲くヨーロッパでした。イタリアで宗教建築から始まったバロックスタイルはフランスでルイ十四世の下、宗教とは無関係の宮殿等に用いられます。その最たるものが1682年に建てられたベルサイユ宮殿です。
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ベルサイユ宮殿 by Myrabella (creative commons) |
チャールズ二世は即位後、光を重んじるきらびやかなヨーロッパ文化をイギリスに紹介し、その為国内での窓ガラスの需要は一気に伸びます。そして1678年には、フランスで人気であったクラウンガラスがイギリスでも製作されるようになります。
磨きガラス
1688年に、フランスで磨き板ガラス(Polished Plate Glass)が作られます。これはガラスを型にいれ、仕上げに手で磨くというものです。この質の良いガラスはとても高価でしたが、宮廷や貴族の屋敷の為にフランスから輸入されました。
1773年に磨き板ガラスの方法はイギリスに紹介され、1789年には蒸気エンジンで仕上げられる様になりました。でもこの方法が一般的になるにはまだ時間が必要でした。
ブロードガラス
18世紀に入ると、化学や技術の進歩によりガラスの質も上がっていきます。ブロードガラスも進化し、18世紀後半には60x40インチ(約153x102cm)の大きさまで作れるようになりました。
比較的安価なブロードガラスは、1730年代までは大きな市場シェアを誇っていました。ところが、1780年までには、ブロードガラスの生産はクラウンガラスの半分まで減ってしまいます。1790年にはクラウンガラスの四分の一に、そして19世紀に入るころにはほぼ生産停止してしまいます。
ガラス税
何故クラウンガラスが好まれたのか。その理由のひとつには税金があります。1696年に窓税が導入されましたが、1748年に導入されたガラス税(Glass Excise)では、製品の重さによって払う税金が変わってきました。
クラウンガラスとブロードガラスは、50.8kgにつき9シリング4ペニー徴収されました。クラウンガラスはブロードガラスよりも薄く、軽量でした。その為税金が安くすんだのです。
この税金は1845年に廃止されますが、それまでにブロードガラスの生産は終わってしまいます。1833年のガラス税徴収の内訳によると、窓ガラス製作用の溶解窯が27あったうち、25がクラウンガラスの製作に使われていたことがわかります。
シード
クラウンガラスはブロードグラスに比べ税金が低いだけでなく、透明度が高く、ゆがみが少なく、また「シード」と呼ばれる気泡が少ないのが特徴で、1830年代までは主流になりました。
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©モリスの城 |
シリンダーガラス
ブロードガラスに取って代わられたのが、18世紀ドイツで開発されたシリンダーガラス(cylinder glass)です。これは基本的にはブロードガラスと一緒なのですが、溝を堀り、その中で吹いたガラスを左右に振る事により、より大きく薄いガラス板を作る事が可能になりました。できあがった筒型はまず冷やされ、それから切り開いて再度火を通し、平らにしました。
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Pittsburgh Sketches -- Among the Glass-Workers, an engraving by Harry Fenn printed March 18, 1871 in Every Saturday, published by J. Osgood & Company, Boston, Massachusetts (public domain) |
このシリンダーガラスはクラウンガラスと同等の質で、クラウンガラスからとれる最大ガラスサイズが通常60x40cm程なのに比べ、シリンダーガラスは1830年代で127x92cm程のサイズが可能でした。手で磨きをかけるので、僅かに波立った表面が特徴です。
クリスタルパレス
この方法は1834年にイギリスに紹介され、1851年のロンドン万国博覧会の目玉である、当時の最先端の技術を使用したその建物水晶宮(クリスタルパレス)に使われました。
1845年にガラス税が、そして1851年に窓税が廃止されると、ガラスの価格が劇的に下がり、より大きいガラスの需要が高まります。この為クラウンガラスの需要が減り、シリンダーガラスに取って代わられます。そして水晶宮はシリンダーガラスの可能性を最大限に広告することになり、時代は変わっていくのです。
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The Crystal Palace in Hyde Park for Grand International Exhibition of 1851 (public domain) |
欠陥も愛おしい
このように、この家が作られた1830年前後は窓ガラス製作が劇的に変わった時期でした。
築200年近い家ですから、その間に割れて入れ替えられたガラスもあると思いますが、気泡の入ったガラスや表面が僅かにゆがんだガラスもあります。
この家に最初に入れられたガラスは時期的にも多分クラウンガラスだと思います。窓ガラス製作において、気泡はいわば傷としてみられがちですが、文字通りガラス職人の息がかかっており、ひとつひとつ作られた事の証明で、それを考えると、そんな欠陥をも愛おしく思えてしまいます。