イギリス東部イーリーの町にオリバー・クロムウェル(1599〜1658)が10年過ごした家があります。オリバー・クロムウェルというのは、清教徒革命の指導者として、イギリスが君主制になって唯一共和制をうちたてた政治家です。
外が臭いから窓が小さい
彼がヒーローか、はたまた裏切り者かはイギリスでも意見が大きく別れるところですが、2002年にBBCが行った投票では「最も偉大な英国人(100 Greatest Britons)」の10位に選出されています。彼の住んでいたOliver Cromwell’s Houseは、17世紀当時の家の様子を再現しています。
先日その家を訪ねた際、ガイドの人が「当時は窓ガラスはなく、外が臭かったので、匂いがなるべく入らない様に窓が小さいんですよ。」と説明してくれました。
以前窓税について書きましたが、17世紀末にはすでに窓ガラスは普及していたことになります。ではイギリスでは窓ガラスはいつ普及したのでしょうか?
古代ローマ時代のガラス
窓ガラス自体の歴史は古く、英国博物館が所蔵する西暦1〜70年頃の古代ローマ時代のヘルクラネウム(西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイと共に失われた町)で使われていたものが、現存する最古のものだと言われています。
この頃の窓ガラスは、型にガラスを流し込んで作られており厚く(英国博物館所蔵のものは3cm)不透明で、公共の建物や裕福な一部の人々の家に使われていたと考えられています。
イギリスもローマ軍の統治下に置かれ(西暦43年〜410年)、その時代の遺跡から窓ガラスの破片が見つかっています。
Fragment of window glass, Roman Empire, 100-200, © The Board of Trustees of the Science Museum (creative commons) |
ガラス製作の秘密
ローマ軍撤退後、しばらくの期間ガラス窓が使われた形跡が無いため、公共風呂など、駐屯していたローマ軍の建物のみに使われ、ガラス製作の秘密は地元民には明かされなかったのだと言われています。(ただし、ローマ時代のガラス工房の遺跡が見つかったとの情報もあり、この辺は定かではありません。)
イギリス初のステンドグラス
イギリスで最初にステンドグラスが使われたのは、イギリス北部ノーサンブリアにあるアングロサクソン時代、西暦674年に建てられたモンクウェアマウス修道院です。
St Peters Church Monkwearmouth by John Armagh (creative commons) |
この建設の為にガリア(現在のフランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツの一部にわたる)から職人を呼び寄せたそうです。
この頃使われていた方法はマフ法(Muff Method)と呼ばれます。西暦1世紀にシリアで吹きガラスのテクニックが発明され、ガラス業界に革命がもたらされます。西暦3世紀後半からローマでは、この吹きガラスのテクニックをつかったマフ法で、窓ガラスが作られる様になりました。
マフ法ではブローパイプの先についた種を吹き、先を切って円筒状にします。そして手前側をパイプからはずして冷やし、縦に切り、再び加熱し広げます。大きさはせいぜい25cmx31cmでした。
不在時にはガラスは倉庫に保存
これ以降、イギリスの教会や修道院の窓、そしてほんの一部の富裕層の家の窓に徐々にガラスが入っていきます。その度にガラス職人がヨーロッパから呼ばれたようです。
しかしあまりに高価な為、家の持ち主が不在にするときには、ガラス窓はとりはずされ、倉庫に保管されたそうです。
ガラス窓に手が届かない一般の家はどうしていたかというと、動物の皮、羊皮紙、布、油紙を窓に貼ったり、木製のよろい戸を使っていました。
緑のガラス
1226年に、イギリスで初めてマフ法を使った「Broad Sheet」と呼ばれる窓ガラスが作られますが、質は悪く、緑がかっていて透明度に欠けました。
白ガラス
白ガラス(White Glass)と呼ばれる透明なガラスができるようになったのは12世紀で、フランスが特にその技術に優れていました。
クラウン法
12世紀から13世紀の十字軍の遠征で、ヨーロッパ人は初めて4〜7世紀ごろにシリアで発明されたクラウン法について学びます。それをもとに、1330年にフランスでクラウンガラス(Crown Glass)が発明されます。
中東では小さい丸いガラスをそのまま使用しましたが、新しいクラウンガラスでは円を大きくし、いくつもの長方形を切り出すという方法をとります。
最初に種を吹いて球形ガラスを作ります。それにポンテという鉄棒の先を溶着させて切り開き、回転しながら遠心力を使って大きい円形にしていく方法です。
冷えたらそれをいくつもの長方形に切ります。真ん中の部分はブルズアイと呼ばれ、それも窓ガラスに使われました。
©モリスの城 |
つやのあるガラス
クラウンガラスはマフ法と違い、ガラスが冷えるまで表面が何物にも触れない為つやがあり、マフ法を使ったBroad Sheetよりも表面がなめらかでした。
クラウンガラスは、特にノルマンディを中心に製作され、イギリスでも大聖堂の窓や貴族の屋敷等には「ノルマンディ白ガラス(Normandy white glass)」が、15世紀までフランスから輸入されていました。
イギリスにもガラス工場が
16世紀中盤まで、国内での窓ガラスの需要は限られていました。
1560年代になると、フランダースやフランスの宗教改革により肩身の狭くなったユグノーが、イギリスに移住してきます。そして、Jean Carre を初めとするガラス技術者が、「イギリス人にガラス製作技術を伝授するため」にガラス工房を開きます。
イギリスにとっては、輸入するより安価に優れたガラスが入手できる様になります。Carreはロンドンにヴェネチアングラスの工場を、そしてサセックス州に窓ガラスの工場を開きます。そして、Carreは1567年から21年間独占窓ガラス製作権を得ます。
ヨーロッパ人が支えるガラス業界
1572年のCarreの死により、その独占権は失効しますが、彼の成功に触発された多くのガラス技術者が、ヨーロッパからイギリスに移住することになります。これがきっかけで窓ガラスの製作と需要が増えていきます。
石炭の溶解窯
もう一つ窓ガラスの普及に貢献した事柄があります。17世紀初頭に石炭で加熱する溶解窯が発明された事です。
John M / Glasshouse Bridge, Stourbridge Canal / |
それまでは木材を使用しており、ガラス製作の為に森が次々と伐採されていきました。その為、1615年には木材を使用する溶解窯は禁止されました。
同年にRobert Mansell卿がガラス製作の独占権をとり、broad sheetの製作を全国的に展開しました。この独占権は1642年に卿の死をもって消滅しました。
ガラスの普及
1678年には、「孤立した地方の村ではまだ窓にガラスを入れられない貧しい人々がいる」と好古家のジョン・オーブリーが述べていることから、この頃までにはイギリス全国にほぼ窓ガラスが普及していたと思われます。
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