イギリスではクリスマスシーズンになると、ミンスパイ(mince pie)がお店に並びます。ミンスパイとは、ドライフルーツの詰まった甘いペーストリーです。日本のお菓子に比べるとかなりヘビーなので、私は最初は苦手でした。ミンスパイのないクリスマスなんてありえないので、仕事先でももらうし、スーパーでも買っていましたが、ん〜、という感じで、好んでは食べませんでした。
ホームメイドのミンスパイ
イギリスを何年か離れたのですが、その間に急に食べたくなりました。売ってないなら作るしかない、と、地元のイギリス食材屋でミンスパイに入れるミンスミート(ミンスパイの中身のこと)を探したのですが、ありません。
それを義母に伝えたら、彼女のレシピを教えてくれました。そのレシピで作ったら、それはお店で売っているものと全く違って美味しい!こんなにも違うものかと、それ以来自分で作るようになりました。
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ひき肉が入ってないのにミンス?
一つ、いつも不思議だったのは、どうしてひき肉(mince meat)が入っていないのに、ミンスパイというのだろう、ということです。それにミンスパイはいつから食べられるようになったのでしょう。それを調べてみました。
現在のイギリスのクリスマスは、19世紀のビクトリア女王の旦那様アルバート公がドイツ人で、彼がドイツの習慣をイギリスに紹介したことに由来すると言われています。
ところが、ミンスパイはもっと昔からイギリスで食べられていました。ミンスパイの紀元は13世紀に遡ります。十字軍が中東から持ち帰ったレシピは、肉とフルーツとスパイスを混ぜたものでした。これは肉を保存する知恵として持ち帰られました。
1413年3月21日のヘンリー5世の戴冠式の晩餐では、ミンスミートパイが出されています。
ひき肉が入ってた!
チューダー朝(1485−1603)のミンスパイ(クリスマスパイとも呼ばれる)の材料には、 マトンが使われました。ルカの福音書によると、キリスト降誕を一番に知らされたのが羊飼い達だったために、羊肉が好まれたのです。
それとスウェット(羊脂または牛脂)を細かくしたものに、砂糖、塩、レーズン、カラント(小粒な干しぶどう)、オレンジの皮、ショウガ、ローズウォーター、そしてメース、ナツメグ、シナモン、クローブといったスパイスが加えられました。キリストと12使徒を祝って13種類の材料が使われたという説もあります。
当時のミンスパイは長方形で大きくて、スプーンで切って分けました。ナイフで切るのは縁起が悪いと考えられていたからです。最初の一切れは一番若い人に出され、その人が願をかけました。
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大きなパイ
ミンスパイ禁止令?
17世紀になり、清教徒(ピューリタン)革命が起こり、イギリスは共和政になります。当時政治を仕切っていた清教徒は「クリスマスを禁止し、ミンスパイを禁止した」と言われており、未だに「クリスマスにミンスパイを食べるのは法律違反か?」というような記事がまことしやかに出回ったりします。ところが、史実を見てみると、ミンスパイ(やその他の食べ物一切)が禁止された事実はありません。
清教徒は、質素を徳とし、華美を嫌う人たちですから、宗教の名の下で行われる、クリスマスの飲んで食べての馬鹿騒ぎは許し難いものではあったようです。何と言っても暴食暴飲は七つの大罪の一つです。
クリスマス禁止令?
また、元来、キリストの誕生日がいつなのかははっきりしません。ですからずっと昔からあった冬至のお祭りに合わせて、キリストの誕生を祝うようになったのです。その為、教会のミサなど宗教的に重要な日でもありましたが、と同時に、昔からの非宗教的な要素も強く残っており、1647年、 議会は迷信深い習慣であるとして、クリスマスだけでなく、イースター等の祭事を禁止しました。
その日は教会は閉ざされ、人々は通常通りに仕事に行くよう布告が出ました。人々は概ねその布告を無視しましたが、一部の人はクリスマス禁止令に憤慨し、暴動にまで発展しました。でも、その禁止令では食べ物に関しては一切触れられていません。
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1659年に公布されたクリスマス禁止事項 (public domain) |
クリスマスと断食が重なった!
唯一、クリスマスの食べ物に関して布告が出たのは、清教徒革命の内戦中、チャールズ一世が戦いに負ける直前の1644年。
その為、議会は、「キリストを思うふりをしながら彼のことをすっかり忘れ、現世的官能的な喜びに身を任せた我々の罪と、先祖の罪を思い出す為に、厳粛なものにすべきである」と、人々に断食をするよう勧めました。清教徒とは何の関係もないのです。
ミンスパイが武器に
ではどうして「清教徒がミンスパイを禁止した」という話が出回ったのでしょう。これは クリスマス禁止令に対し作られた、清教徒を揶揄したパンフレットや、1661年に出版された本に紹介された韻文に基づいています。その中に「Treason’s in a December-pye(12月のパイは反逆罪)」という一文があります。これは清教徒への風刺なのですが、後世の人々(おそらく君主主義者)がそれを額面通りに紹介し、ミンスパイは政治的武器と化したのです。
ミンス抜きミンスパイになったのはいつ?
さて、ではいつからミンスパイは肉無しになったのでしょう。どうも18世紀に砂糖が植民地の西インド諸島から入手できるようになり、安価になってからのようです。以前に紹介した「主婦の鏡」Hannah Glasseが1747年に出版したレシピでは、肉はオプショナルとなっています。
18世紀のレシピを調べたKevin Carterによると、36のミンスパイのレシピの内、三分の一は肉無しだったそうです。19世紀になって出版されたレシピ本を見ると、肉が入ってたり入ってなかったりするようです。
ちなみに、ミンスパイの形が長方形から丸型に変わったのは17世紀後半で、サイズはまちまちだったようです。
現在は肉入りのミンスパイの方が考えられません。甘いミンスパイを食べながらスパイス入りの温かいワイン(mulled wine)を飲む。それがイギリス流クリスマス時期の過ごし方なのです。ちなみに 24日の夜には、サンタさんのためにもミンスパイを用意しておくのを忘れずに。(トナカイの為に人参も!)
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<参考文献>