先日イギリスで育った息子に「どうして日本ではクリスマスにKFCを食べるの?」と聞かれました。どうもネットでそんな話を読んだらしいのです。確かにイギリスでクリスマスにKFCを食べる人はいません。
クリスマスにKFC
KFC日本のサイトによると、KFCの日本第一号店が開店したのは1970年。その後お店の近くのミッション系幼稚園から、フライドチキンでクリスマスパーティをしたいと注文が入り、店長がサンタさんに扮して届けに行きました。それが大受けで、そこからアイデアを得て、1974年からクリスマスキャンペーンが始まり、定着したそうです。
イギリスのクリスマスディナー
イギリスでは伝統的にクリスマスには七面鳥、それにソーセジの肉にセージと玉ねぎを混ぜたものか、栗でできた詰め物を入れてローストし、グレービーとクランベリーソースを添えます。それにローストポテトにパースニップ、茹でた芽キャベツと人参が必ず出されます。そしてデザートはクリスマスプディングかクリスマスケーキ(ドライフルーツのケーキ)。
ではイギリスではいつから七面鳥を食べるようになったんでしょう。実はイギリスに七面鳥が入ってきたのは16世紀になってからなのです。ではその前には何を食べていたのでしょう。
クリスマスのルーツ
イギリスのクリスマスのルーツには、キリスト教の他に3つあると考えられています。まずは、石器時代からイギリスにいるケルト人の文化です。
そして西暦43年から410年に古代ローマ人がイギリスを支配していた時に、太陽神の誕生を祝う冬のお祭りであるサートゥルナーリア(Saturnalia)がイギリスに紹介されました。
西暦360年ぐらいから現在のドイツのあたりから移住してきたアングロ・サクソン人、そして8世紀から11世紀にスカンジナビアから襲来したバイキングによってユール(Yule/Jul)という冬のお祭りが入ってきました。
クリスマスは12日間
伝統的にクリスマスは12日お祝いしましたが、それもキリスト教以前の習慣から来たという説もあります。昔、特に農業ベースの社会では、冬至から12日間というこの時期は寒く、暗く、土地は凍ってあまりやることがないので、1年間の重労働をねぎらい、休んで楽しんでいたのです。
これもビクトリア朝に入り、産業革命が広まって都市部の工場にみんなが働きに出ると、家族もバラバラになり、休みも取りにくくなります。ビクトリア時代も終盤になると、クリスマスは25日と26日のボクシングデイの2日だけになります。
イギリスでは最も重要なのはクリスマスの25日ですが、クリスマスの飾りを1月6日まで片付けないのは、12日間のクリスマスの名残です。
クリスマスには何を食べてたの?
いわゆるクリスマスの歴史本を読むと、昔は猪(豚の一種)が重要な位置を占めており、それがクリスマス時期に生贄にされ神に捧げられ、豚(ハム)がクリスマスに食べられるようになった、という話がよく出てきます。が、私が調べた限り、その説を支持する証拠はあまり見つかりませんでした。
冬の前に屠殺
ただ一つ確実なのは、限られた資源の中、冬を越す価値のある家畜を除き、屠殺されたということです。昔は冷凍庫や冷蔵庫がなかったため、それらは塩漬けにされたりして冬の間の保存食にされます。秋の収穫物から作るお酒と、牛、羊、豚、鶏といった家畜の肉が、主に冬のお祭りに出されたのではないかと思います。
昔はそういった食べ物や飲み物を村単位で持ち寄ってお祝いしていたようです。
地主の義務
農地の囲い込みなどで貧富の差ができてくると、キリスト教では暴食暴飲は七つの大罪の一つなので、富裕層は自分の魂の救済のためにも、貧困層に食べるものを与えました。
地主は、自分の地位を示すために、自分の土地で採れる肉や野菜をテーブルに並べました。前菜が20品、メインが20品ということもありました。クリスマスには、地主が屋敷のドアを自分の土地の小作人たちにも開放し、共に食事をしたという話も聞きます。
ただ、地主が農民に食べ物を分け与える、という美談も、場所によっては産物を差し出すかわりに食べ物を与える、という取引であったところもあったようです。
善行を積まなくても天国に行ける
宗教革命が起き、プロテスタントがイギリスに入ってくると、少し変わってきます。カトリックではどんな罪人でも善行を積めば救われますが、プロテスタントではどんな罪人も信仰により救われると説いています。これにより、善行を積まなくても救われる、貧しいのは怠惰なせいである、という考えが芽生えます。
教会が貧しい人を助ける
人レベルでは、「貧しい人に食べ物を与えるのは良きキリスト教徒のするべきこと」という態度は変わりませんでしたが、1601年の救貧法により、その役割は地主から教会区へと変わっていきます。その法では、貧しい病人、老人、子供には物質的に施し、健康な人には救貧院で仕事を与えるとなっています。
キリスト教の慈善の心はまだ生きており、現在でも大聖堂や教会では、クリスマスの日に孤独な人や貧しい人に対して、無料で食事を提供しているところもあります。
クリスマス=豚/猪
クリスマスと豚に関しては、興味深い話が二つあります。ちなみに、イギリスでは豚に関する言葉としてboar、hog、pigという単語があります。「boar」とは「野生の豚一般、または去勢されていない家畜化されたオス」のことを指し、通常「wild boar」とは「猪」のことを指します。「hog」は「54kg以上ある家畜化された豚」です。
豚頭の儀式
ロンドンのシティでは、12月に「Boar’s Head Ceremony(豚頭の儀式)」が行われます。これは肉屋の同業組合であるWorshipful Company of Butchersの建物から、シティ・オブ・ロンドン市長(Lord Mayor of London)の官邸であるマンションハウスに、豚の頭を運ぶ行進です。
この儀式が始まったのは1343年。当時、シティのすぐ北にあるスミスフィールドは、名前の通り牧草地でした。現在Farringdon Streetのある場所にはRiver Fleet(フリート川)が流れていました(現在は地下を流れています)。水にも食べ物にも恵まれたこの場所は動物には最適でしたから、スミスフィールドには大きな家畜市場があり、マーケットの南からセント・ポール大聖堂の北ぐらいまでは、肉屋がたくさん並んでいました。
当時は、セント・ポールズの地下鉄の駅(地下鉄は19世紀末になってから引かれました)の近くに屠殺場がありました。内臓その他の廃棄物は川に捨てられましたが、道々には血や廃棄物の落し物が点々としており、かなり汚く臭かったようです。
悪臭横丁
あまりの匂いに、屠殺場の前の道であるKing Edward Streetは、当時Stinking Lane(悪臭横丁)と呼ばれていました。そこで、エドワード3世は1343年にお達しを出しました。「(ロンドン)の体裁と清潔さを保つ為に」フリート川の近く、Secollane(Seacoal Lane)に屠殺場の土地を貸し与える、と。その見返りとして、「ロンドン市長に毎年、キリスト降誕祭の饗宴の為に、豚の頭を提供すること」。
700年近く経ち、屠殺場もなくなり、Worshipful Company of Butchersも近くに引っ越しをしましたが、未だにこの儀式は続いています。ただ、現在は安全衛生の為、本物の豚の頭ではなく、皮で縫った豚の頭が行列の中、市長まで運ばれていきます。
もう一つは、オックスフォード大学クィーンズ・カレッジで毎年行われる「The Boar’s Head Gaudy(猪豚の頭記念祭)」です。
15世紀に、クィーンズ・カレッジの学生がアリストテレスの本を読みながら歩いていると、猪に襲われました。他に防御手段のないその学生が、とっさに読んでいた本を猪の口に突っ込むと、その猪は喉を詰まらせて死んでしまいました。
その学生の勇気と機知を讃え、それ以来カレッジのクリスマスディナーでは、「Boar’s Head Carol(猪豚の頭のキャロル)」が歌われ、月桂樹で飾られた猪豚の頭が運ばれます。
ちなみに、もともとは、イギリス北部から来てクリスマス休暇に帰れない学生の為のディナーだったのですが、今は卒業生の為に行われます。
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"Serving up the Boar's Head at Queen's College, Oxford, on Christmas Day", illustration on The Graphic, 1873 |
今回は豚の頭について書いてみましたが、次回は他の食べ物について書いてみたいと思います。
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