さて、前回ローマ時代から中世までの食事の習慣を見てきました。中世では一日に2回、dinnerとsupperをとっていたと書きましたが、ではイギリスではいつから朝ごはんを食べるようになったのでしょう。
朝食を食べれるのは例外
まずは中世に戻ります。富裕層の場合、結婚式やその他の儀式的な場において、豪華な朝食が振舞われることがありましたが、それは 例外でした。労働者や病人などは朝食を食べることが許されていましたが、だいたいにおいてパンとエール(ビールの一種)のみでした。
液体の朝食
貴族の一行が王様に会うのに出かけたりと、馬に乗って、または歩いて長旅をする場合、朝食はエールのみでした。「liquid breakfast」(液体の朝食:朝食にお酒を飲むこと)というのは今では嘲笑的に使われる言葉ですが、当時は当たり前だったのです。子供でさえも18世紀ぐらいまでは水の代わりにエールを飲んでいました。それというのも、水質にかなり問題があったからです。
Pilgrims leaving Canterbury, taken from Lydgate’s Siege of Thebes, 1455-1462 (public domain) |
長時間労働
16世紀になると働き方が変わってきます。それまで畑で働くか、自分の家で仕事をしていたのが、この頃になると都市部では他の人の下で働くことが多くなってきました。労働時間も決められ、それも長時間でした。
1515年のある法令によると、職人と人夫は、3月半ばから9月半ばまでは朝5時から夜の7時か8時まで働くべきで、休み時間はdinnerをとる1時間半のみ、とされています。そうなると、朝しっかり食べないと体が持ちません。
ヨーロッパの習慣
皇族貴族はまた話が違います。フランスでは16世紀に、フランソワ一世(1494 – 1547)がサレルノ医学校(Scuola Medica Salernitana)の中世の教えに従って「朝5時に起き、9時に食事をとり、5時に夕食をとって9時に寝る」のが真っ当であるとし、やっと朝早くに朝食を食べるのがトレンディになったそうですが、イギリスの上流社会に朝食の習慣が入ってきたのはヨーロッパに亡命していたチャールズ二世(1630-1685)がイギリスに戻ってきてからだと考えられています。
朝食の登場
1660年に王政復位し、フランスの習慣を持ち帰ってきたのでしょう、それを真似て、貴族たちの朝の食卓にコーヒー、紅茶、スクランブルエッグなどが登場するようになりました。
ちなみにオランダを通じてイギリスに紅茶が入ってきたのは1650年代ですが、非常に高価で、皇族か高官でなければ手が出ませんでした。紅茶が一般に販売されるようになったのは1657年ですが、紅茶が一般に広まったのは1662年にチャールズ2世がポルトガルの王女キャサリンと結婚してからです。
朝食パーティ
紅茶好きのキャサリン妃のおかげで紅茶がファッショナブルになり、貴族の間で朝食パーティが開かれるようになりました。紅茶の他にパン、バター、ジャム、そしてコーヒーとチョコレートが出されました。1740年代後半までには富裕層の自宅には朝食室(breakfast room)が作られるようになりました。
バッキンガム宮殿朝食室 1817年 (public domain) |
過去の栄光
ここからイングリッシュブレックファーストの誕生への道のりについて、Kaori O’connorは『The English Breakfast: The Biography of a National Meal, with Recipes』の中で興味深い考察をしています。1783年にアメリカが独立し、イギリス帝国を揺さぶります。それに加えて産業革命や都市化による急激な社会変革により、イギリス人は古き良き時代を振り返るようになります。
「本物の」イギリス料理
アングロサクソン時代を理想化し、そこにイングランドのアイデンティティを求めるようになります。それまでのフランスや植民地からのエキゾチックな食べ物から一転、シンプルな「本物の」イギリス料理を求めるようになったのです。前回そのルーツがアングロサクソン時代にあると述べましたが、それが19世紀前半のイングリッシュブレックファーストの誕生につながったのです。
紳士階級の朝食
とは言っても、その頃の朝食は私たちが今考えるイングリッシュブレックファーストとは少し違いました。地方の紳士階級の豪邸で出される朝食には卵、ベーコン、ソーセージの他に、魚や仔牛や子羊の腎臓、ヤマウズラやキジ等の猟鳥が含まれました。
また、シンプルな「イギリス料理」と言いましたが、メニューにはインド料理を由来とするケジャリーという料理も含まれました。ケジャリーとはドライカレーに似た食べ物で、ご飯に魚、カレー粉、バター、茹で卵、パセリを混ぜたものです。
ケジャリーのレシピはこちらから。 |
産業革命やそれに伴う貿易の発展が影響して、19世紀の間に特に都市部で台頭してきた中流階級も、貴族を真似て似たような朝食をとるようになりました。
貧しい家庭の朝食
1863年の調査によると、貧しい家庭の朝食はtea kettle broth(温めた牛乳にパンを浸して塩を加えたもの)、パンとバター、パンとチーズ、牛乳とオーツ麦で作られたポリッジ(おかゆ)、オートミールまたはその薄めたもの(gruel)でしたが、特に19世紀末には、冷蔵技術の発展により食物の値段が下がったこともあり、パン、バター、ジャム、紅茶かビールの他に、ある日は卵、ある日はベーコンと、食べるものが広がりました。
コーンフレークの発明
1894年にはアメリカでJohn Harvey Kelloggがコーンフレークを発明します。イギリスにその商品化されたものが最初に輸入されたのは1924年です。そして1938年にはイギリス本土にケロッグの工場がつくられました。箱を開けて器に入れるだけ、というその簡易性と、衛生性のおかげで、ケロッグのコーンフレークはあっという間に広まり、イギリスの朝食を永遠に変えてしまいます。
1919 Kellogg's Toasted Corn Flakes ad (public domain) |
戦争の影響
また、度重なる戦争で食料不足に陥り、卵やベーコンは配給制になり、なかなか一般家庭では毎日食べる事が出来なくなってしまい、それもイギリスの朝食が変化していった理由です。
パブリックスクールで生き延びた
それではイングリッシュブレックファーストはどこへ行ってしまったのでしょう。
シンプルなイギリス料理とその朝食は、健康だけでなく道徳的にも重要だと考えられ、イギリスのパブリックスクール(もともと14世紀に貧しい子供たちを対象にした無料の神学大学準備校として始まったが、その後国の中枢を担うエリート層の育成機関になった)で生かされていたとKaori O’Connorは書いています。上級生が下級生に作らせて正当な作り方を叩きこんだそうです。
そしてイギリス帝国へ
良家の子弟は軍の将校、牧師、政府高官になることが多いので、彼らを通じてイギリス帝国に広まりました。そこからイギリスというとイングリッシュブレックファーストというイメージが定着したのでしょう。今でもイギリスのホテルやベッドアンドブレックファーストでは旅行者にイングリッシュブレックファーストを出すところがほとんどです。
ベタベタのスプーン
さて、現在イングリッシュブレックファーストというと、ホテルで旅行者に出されるものの他、Greasy spoon (直訳するとベタベタのスプーン。安い炒めものを専門とする小さなダイナータイプのレストランの事)で労働階級の人が食べるもの、というイメージがありますが、いつからそうなったのでしょう。実はそれは1950年代になってからなのです。
F&Mでしか買えないベイクトビーンズ
イングリッシュブレックファーストに欠かせないベイクトビーンズはアメリカからの輸入物なのですが、1920年代に入ってきたときにはとても高価で、フォートナム&メイソンでしか買えなかったそうです。それが安価になって一般に普及したのは1950年初頭です。
労働階級の朝ごはん
このころにはGreasy spoonがあちこちに出来、イギリス人の約半数は朝にイングリッシュブレックファーストを食べていたといいます。そして今まで財政的に恵まれた人のものだったイングリッシュブレックファーストが、真に労働階級のものとなったのです。
朝食の進化
ウォリック大学のRebecca Earle教授によると、現在ではイギリス人の5%しかイングリッシュブレックファーストを食べないそうです。イングリッシュブレックファーストは油が多くて体に悪いという人もいます。反対に朝ごはんをしっかり食べたほうが体にいいという人もいます。周りを見てもトーストで済ませる人、コーンフレーク等で済ませる人もたくさんいますし、「二日酔いだ〜」と言って強壮剤とチョコレートバーで済ませる人もいます。一方、健康志向からポリッジやミュズリを食べ、スムージーを飲む人も多くなっています。このようにこれからも朝食はまた進化していくのでしょうね。
次回は昼食について見てみたいと思います。
「美味しいイギリス料理」 日本で作れるイギリス料理のレシピを紹介しているブログです。ケジャリーの写真はこちらから拝借しました。
https://oishii-igirisu-ryori.com/
0 件のコメント:
コメントを投稿