先日不在中に預けられた荷物を取りにお隣の家に行き、びっくりしました。うちと同じ建物の為、構造的はうちとミラーイメージになっているのですが、玄関を入ってすぐの廊下の床がうちと違っていたのです。
素敵なヴィクトリア朝タイル
以前にも述べましたが、うちの床は1830年頃に建てられた当時の床で、 pamment と呼ばれる素焼きのタイルです。お隣は、どうも19世紀後半に当時のタイルに貼り変えたようなのです。うちのタイルは味があるのですが、お隣のヴィクトリア朝のタイルはとても素敵です。
何を保存するか?
建物でも街でもそうですが、何を保存して何を新しくするかを選択するのは難しい場合があります。どれも歴史の一部になっているからです。
昔聞いた話ですが、現在のローマは古代ローマの上に建っており、例えば建物を改修したりすると、土台の下から昔の建物が出てきたりするそうです。何千年前の建物を掘り起こして保存するか、現在建っている500〜600年の歴史のある建物を優先するか。常に難しい選択をしなければならないそうです。
この家のように、200年弱という、ある意味短い歴史を持った普通の家でも、その家の歴史があり、何を残して何を新しくするかを、その時その時の持ち主が決定しなければなりません。もちろんその内容が建築的歴史的重要建造物リストにリストアップされていれば、変えることができません。
うちの近くにある14世紀に建てられたコテージには、当時の壁画があり、そこに住んでいる人は、「壁画のある壁には一切触らないこと」が借りる条件となっていると言っていました。
うちのように普通の家では、建物自体はリストアップされていますが、家の中は比較的自由に変えられます。でも建物を次世代に残していくという責任が伴います。
さて、ということで、今回はヴィクトリア朝の床タイルについて検証したいと思います。
焼き付けタイル
焼き付けタイル(encaustic tiles)というのは、陶土に型で模様をつけ、へこんだところに液状の粘土を流し込み、乾燥させてから焼くタイルです。もともと中世の修道院の床に使われていました。1538年の修道院の解散令により、修道院が閉鎖されたのと同時に、焼き付けタイルの技術も失われてしまいました。
石のモザイクでできたイーリー大聖堂の床 ©モリスの城 |
中世のデザインに戻れ
19世紀になり、機械化が進むと、それが人に与える影響とその無個性なデザイン反発してピュアな形に戻ろうという運動が現れます。また、それまで主流だった、古代ギリシャ、古代ローマをお手本にしたスタイルから、イギリス古来のデザインに戻るという意図もありました。
そしてそのピュアな形の手本とされたのが中世でした。また、19世紀は教会や大聖堂の修復が活発に行われた時期で、それがきっかけで、中世のデザインが見直されたというのもあります。
製造側にとっては、すでに修復という市場がある為に、それを一般市場向けに販売するのは簡単でした。多くのタイル生産者は、中世のデザインをコピーし、大量生産して一般向けに販売し、教会や大聖堂にその商品を寄付しました 。
ミントンは床タイルも開発
1830年に、Samuel Wrightが焼付けタイルの大量生産法の特許を取ります。さて、ミントンというと、ティーセットを始めとする陶磁器の食器を思い浮かべる方が多いと思いますが、その創設者Thomas Mintonの孫であるHerbert Mintonが、1835年にSamuel Wright から焼付けタイル製造の特許を買い取ります。Herbert Mintonは、それからさらに5年試行錯誤を重ね、一貫した質のタイルを大量生産できる方法を開発します。
ヴィクトリア朝の焼付けタイル イーリー大聖堂 ©モリスの城 |
新技術
1840年には、Richard Prosserがdust pressed tilesの特許を取ります。タイルは、下手すると、焼き上がった時に反ってしまいます。その為、タイルの厚さを厚くしたり、違うタイプの陶土を重ねて使ったりして、それを防いでました。そういった方法だと、乾燥に何週間という時間がかかります。
Richard Prosserの方法では、陶土をまず5−8%の水分を残したまま乾燥させ、粉状にし、金属の型に入れて1cm程まで圧縮させます。型に入れた時に、すでにデザインを型押しできます。しかも薄いので、乾燥にかかる時間も短く、縮みや反りの問題もあまりありません。1860年ぐらいまでには、ほとんどの大量生産タイルにこの方法が使われるようになりました。
焼付けタイルの大量生産に関わったのは、ミントンだけではありませんでした。George/ Arthur Maw、Henry Godwin そして Jesse Carter等も、それぞれにタイルの大量生産市場に参入し、1840年からタイル生産はどんどん伸びていき、1880年から1900年にピークに達します。
焼付けタイルは比較的高価だった為、それだけで使われることは稀で、通常幾何学タイル(geometric tiles)と一緒に使われました。クリーム色、黄褐色、黄色、赤褐色、赤と自然の土の色が多く、強い色素を加えられた白、青や緑はもう少し高価でした。これらのタイルは三角やひし形にカットされ、幾何学模様にレイアウトされました。
焼付けタイルと幾何学タイル イーリー大聖堂 ©モリスの城 |
ちなみに、焼付けタイルも幾何学タイルも、床タイルは素焼きです。
見せるタイルと使うタイル
こういった装飾的なタイルは、玄関やホール等、他人に見られる部分に使われました。キッチンや洗い場など、家の人や召使しか見ないところには、やはり19世紀に開発された、安いクォリータイル(quarry tiles)が使われました。クォリータイルは赤褐色のタイルで、あまり精製のされていない陶土を使い、低温度で焼かれたもので、比較的柔らかい為、すり減ったり壊れたりしやすいのです。
19世紀後半にタイルが好まれたのには、大量生産により一般市民が入手しやすい価格になったという他に、もう一つ理由があります。以前に書きましたが、この頃には、衛生観念がかなり高まってきました。タイルは清潔に保つのが簡単なので、そういう意味でも人気があったのです。
装飾的な床タイルは、1920年代には時代遅れになり、その後カーペットで覆われたり、取り除かれて、シンプルなタイルに取り替えたれたりしてしまいました。
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