2025年5月22日木曜日

Q:バターはどのように作られたの?

今年から、イギリスの戦時中のレシピを試してみることにしました。

 

戦時中配給されたバター

そこで最初に試したのがバター作り。イギリスは、19399月に第二次世界大戦に参戦していますが、1940年の1月には配給制が導入されています。そしてバターは最初のリストに入っています。第一次世界大戦後、イギリスは食糧をかなり輸入に頼っていましたが、戦前の1930年代には、牛乳は唯一すべて国産でまかなっていました。それなのになぜバターが配給リストに載ったのでしょうか。実は、なんとバターの91%は輸入していたのです。輸入先はヨーロッパ大陸かニュージーランド。大陸で戦争が始まってからは、かなりニュージーランドを頼りにしていたようです。とはいえ、ドイツ軍のユーボートが連合軍の船を沈めようと待ち構えていたので、物資の輸送は簡単ではなく、バターが不足してしまったのです。

そこで、牛乳の上に溜まったクリームを掬い取って溜めて、それからバターを自作する人たちがでてきたようです。ということで、私も早速作ってみました。作り方に関してはこちらをご覧ください。驚いたことに、思っていたよりも簡単にできました。水分が固形に変わった時には感動しました。

バターの歴史

バターの歴史はとても古く、石器時代に遡ると考えられています。そして、おそらくその頃から、作り方はあまり変わっていないのでしょう。

西暦43年から410年の間、イギリスがローマ帝国の属州であった期間には、ローマ人はバターよりも、帝国から取り寄せたオリーブオイルを好みました。ローマ軍が撤退し、アングロ・サクソンの社会になると、またバターが主に使われるようになります。春夏には牛や山羊や羊の乳からバターを作り、塩をたっぷり使って、秋冬用に保存できるようにしました。

 

冷蔵庫がない時代

1660年に書かれた『The English Housewife』には次のように書かれており、冷蔵庫がない時代の苦労が伺えます。

「朝に絞った牛乳は、夕方の5時頃に、夕方に絞った牛乳は朝の5時にクリームを掬い取り、清潔な器に入れる。新鮮で美味しいバターを作るには、夏は2日以上、冬は4日以上はそのままにしておいてはいけない。どんなに牛の数が少なくても、夏は3日以、冬は6日以内にはバターを作らなければいけない。」

通常、水曜日の市場で売るために火曜日の午後に、土曜日の市場のために金曜日の朝にバター作りをしていたようです。また、水曜日と金曜日と土曜日は宗教的に肉を食べない日だったので、バターを使わない日だったようです。

「クリームはしっかりした清潔な布で漉してバター撹拌機に入れ、夏だったら早朝か夜遅く、涼しい時間に、冬には暖かい日中に撹拌を行う。」

 

バター作りの道具

Denny Abbey & The Farmland Museumには古い農機が展示されているのですが、バター作りの道具もあったのでここに紹介しておきます。

 

昔は牛乳をしばらく置き、上にたまったクリームをこういうもので掬い取りました。

 

そして攪拌機に入れ、バターができるまで撹拌します。


 

農場でしたら分量が多いので、これで牛乳とクリームを分離します。


そしてこういう攪拌機でバターをつくりました。

 

こういうもので水を濾し、きれいな冷たい水でバターを洗いました。

 

バターが固まり、バターミルクと分離したらとりだして洗います。

家庭では桶で洗い、水が透明になるまでよく洗います。これはバターミルクが残っているとすぐに酸っぱくなってしまうからです。

 

農場にはバターワーカーという器械でそれを行います。斜めになっており、水分が流れ落ちるようになっています。

 

きれいに洗えたらとりだして、木製の羽子板のようなバターハンドというもので練り、バターの隙間に溜まっている水分を抜き、形を整えていきます。バターハンドは予め冷たい水につけておき、バターがくっつかないようにします。

 

 昔の人とつながる

今は機械化され、バターもスーパーで簡単に入手できるようになりましたが、自分で作ることで、それにかかる労力やありがたみもわかり、昔の人につながることができたような気がしました。

 

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<参考文献>

 

Armstrong, Craig, 2023, Feeding the Nation in World War II (Pen & Sword Books)

Collingham, Lizzie, 2011, The Taste of War: World War Two and the Battle for Food, (Penguin Books)

Colquhoun, Kate, 2007, Taste: The Story of Britain through its Cooking (Bloomsbury)

Khosrova, Elaine, 2017, Butter: A Rich History (Algonquin Books)

Markham, Gervase, 1994, The English Housewife (McGill-Queen’s University Press)

Patten, Marguerite, 1995, The Victory Cookbook (Hamlyn)

The Ministry of Food, 1946, How Britain was Fed in War Time: Food Control 1939-1945 (His Majesty’s Stationery Office, London)

 

2025年1月19日日曜日

The Wartime Recipe Challenge

 いろいろとありまして、なかなかアップできていなかったのですが、実は新しいチャレンジを始めました。

 The Wartime Recipe Challenge

イギリスの戦時中のレシピを試していきます。配給制度の下、限りある物資を使ってどんな料理をしていたのか。ご興味があればご覧ください。

こちらのブログも細々と続けていくつもりですので、よろしくお願いします。

2024年2月26日月曜日

ラムネの瓶はイギリスで発明されたの?

先日ケンブリッジ博物館に行った時に、おもしろいものを見つけました。ラムネの瓶です! 近年ゲームやアニメの人気とともに、日本の食料品も人気が高まり、いまやラムネもイギリスのスーパーで買える時代です。ガラス玉の入った独特の瓶は日本固有のものだと思っていましたが、なんと発明者はイギリス人。ハイラム・コッドという人です。

Ramune

ラムネの語源は?

ちなみに、「ラムネ」の語源は「レモネード」だってご存知でしたか?「lemonade」を英語の発音で言うと、確かに「ラムネ」と聞こえるのです! でも日本でレモネードというと、レモンの砂糖(蜂蜜)漬けを割ったもの。ラムネとは違うじゃない、と思われるかもしれません。でも、イギリスのレモネードは、日本でいうサイダーのことなのです。つまり、イギリスのレモネードとラムネは基本的に同じものです。

 

イギリスのレモネードも、もとは日本のレモネードと同じでした。フランスからイギリスに、レモンの砂糖(蜂蜜)漬けを割ったレモネードが紹介されたのは、17世紀だと思われます。OEDによると、最初に英語でその言葉が使われたのは1664年です。英語辞典の編集で知られるサミュエル・ジョンソン(17091784)もその飲み物のファンでした。

 

炭酸水の誕生

18世紀後半には炭酸水を人工的につくる方法が確立されました。以前にライムが水兵の壊血病対策に使われるようになったと書きましたが、炭酸水も壊血病にきくと思われていたようです。効用があるとされる自然に湧く炭酸水からヒントを得て、最初に炭酸水を商業的に、でも薬として生産したのはトーマス・ヘンリーで、1770年代のことでした。そして、シュエップスが1802年までにロンドンで本格的な工場生産を始めました。

 

炭酸水の瓶

炭酸水が商業的に作られ始めると、それをどう瓶詰めするのかが問題になりました。最初は陶器に入れられましたが、まもなく壁から炭酸が逃げてしまうことがわかり、ガラスが使われるようになりました。コルクで蓋をするのがそれまでの方法でしたが、コルクは乾くと縮み、そこから炭酸が抜けてしまいました。

 

そのため、1809年にウィリアム・ハミルトンがコルクが乾かないビンを考案しました。日本では「きゅうり瓶」と呼ばれる卵形の瓶は、この瓶が絶対に立てて保存できないようにデザインされています。瓶が横になっていることでコルクが常に湿っている状態にするのです。保存に場所をとる、そして転がるという難点はあったものの、20世紀初頭まで使われていたようです。

Hamilton Bottles

 

1870年にはハイラム・コッドがコッド瓶で特許を取得します。ラムネ瓶の原型です。内蔵されたガラス玉を、炭酸ガスの圧力で押し上げて栓をします。この瓶は一世を風靡しましたが、ガラス玉を目当てに子供達が瓶を割ったりしたようです。こちらは1930年ごろまで使われていたようです。

Codd Bottles


炭酸レモネード

さて、レモン風味の炭酸水であるレモネードは19世紀に入ってから作られるようになりました。当初はクエン酸、シュガーシロップ、そしてレモンのエッセンシャルオイルを加えて作られていたようです。1840年代にはいわゆるイギリスのレモネードは50社以上で作られていたようです。この頃までには、炭酸水は薬用でなく、広く一般に飲まれるようになりました。

 

現在最も有名なイギリスのレモネードブランドR.White’sも、1845年にレモネード市場に参入しました。

 

1951年の万国博覧会ではお酒が禁止されたこともあり、シュエップスは会場でのソフトドリンクの独占販売権を獲得。世界にレモン風味の炭酸水を知らしめました。

 

炭酸レモネードはいつ日本へ?

そのレモネードがコルク瓶に入れられて日本に最初に紹介されたのは、1853年にペリーの黒船が来航した時だったと言われています。この時はきゅうり瓶に入っており、シャンペンボトルのように、コルクが「ポン!」という音をたてて開くのを聞いた江戸幕府の役人たちは、発砲音かと思い、とっさに刀に手をかけたとか。

 

1860年にはイギリス船が長崎に炭酸レモネードを持ち込み、外国人対象に販売を開始しました。

 

国産ラムネの誕生

1865年には長崎の藤瀬半兵衛が初めて国産の「レモン水」を製造販売し、187254日にには東京の千葉勝五郎が「ラムネ」として製造販売を開始。そのため、現在54日が「ラムネの日」となったそうです。

 

1887年にイギリスからコッド瓶を輸入し始めますが、1892年には大阪の徳永ガラス工場が、初めての国産瓶の製造に成功。国産瓶は輸入瓶よりも質が良く、イギリス人もびっくりしたそうです。そして日本でラムネ瓶が大流行しました。

 

サイダーとラムネの違い?

ちなみに、現在サイダーとラムネの違いは瓶だけのようですが、明治時代にはサイダーはリンゴ風味で、ラムネはレモン風味だったようです。前回お話ししたように、英語でサイダーというと林檎酒のことを指すので、納得です。リンゴ味のフレーバーの方が値段が高かったため、王冠栓の胴長丸形瓶に入ったサイダーの方が高級品、コッド瓶に入ったラムネは庶民の飲み物として扱われていたようです。

 

イギリスへ逆輸入

コッド瓶は、イギリスでは1930年ごろには王冠の瓶にとってかわられ、最近では全く見ることもありませんでした。でも、それから100年近くたって、日本から逆輸入されているのを見ると、不思議な気がしますね。

 

 

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<参考文献>

 

Boswell, James, 1785, The Journal of a Tour to the Hebrides with Samuel Johnson (Blackmask Online)

Conlin Casella, Eleanor, Nevell, Michael, Steyne Hanna, ed., 2022, The Oxford Handbook of Industrial Archaeology (Oxford University Press)

Emmins, Colin, 1991, Soft Drinks: Their Origins and History (Shire Publications Ltd)

H.M. Stationery Office , 1870, English patents of Inventions, Specifications 1870, 3048-3100 (H.M. Stationery Office)

Future Museum

Museum of Cambridge

Oxford English Dictionary

R.White’s Website

 

清涼飲料よもやま話

全国清涼飲料協同組合連合会Webサイト

トンボ飲料Webサイト

ハタ鉱泉株式会社Webサイト


2024年1月22日月曜日

Q:イギリスのりんごの木のお祭りって何?

先日「Lord of Misrule(クリスマスの祝宴を仕切る道化師)と一緒に2024年のワセイル(wassailに参加しよう」というイベント広告を目にし、ケンブリッジの南にある村まで行ってきました。「何世紀も前には、ワセイリングはりんごの木にできるだけ多くの果物がなるようにお願いするもの」だったそうです。

 

ワセイリング

場所は小さなりんごの木が20本ほどある小さなコミュニティ果樹園。当日はバスが遅れたせいでイベントの冒頭を見逃してしまいました

 

私が着いた時には、ちょうどスパイス入りのリンゴジュースにパン切れを浸し、それをりんごの木に結びつけているところでした。それをすることで鳥や昆虫が木に集まり、結果として土が改良され、りんごの木に栄養を与えるということらしいです。

wassailing


その後楽器を奏でる人たちを中心に輪になり、昔ながらのワセイルの歌を歌って踊りを踊りました。


 そして温かいスパイス入りのリンゴジュースをいただきました。

wassail

 

ワセイルの語源は?

さて、Oxford English Dictionaryによると、ワセイル」の語源は、古ノルド語の「ves heill」(健康を祈って/幸運を祈って)です。それが古期英語の「wes hál」になります

 

この言い回しが最初に記録されたのは、1140年ごろに書かれたジェフリー・オブ・マンモスによる歴史書です。以前にも紹介しましたが、5世紀に、ブリトン人宗主ヴォーティガン(Vortigern)は、スコット人やピクト人に対峙する為に、ヨーロッパからサクソン人を招きます。サクソン王の娘ロウィーナ(Rowena)は、ヴォーティガンに謁見した時に、ひざまづいて杯を掲げ「Lord King, Waes heil!(王の健康を祈って!)」と乾杯します。ヴォーティガンは杯を受け取り、サクソンの慣習に則り、「Drinc heil!(健康を祈って乾杯!)」と言って飲むと、ロウィーナのところに降りて行き、キスをして手を取りました。その微笑ましい様子にその場に居あわせたゲストが皆乾杯し、キスをして祝福したそうです。

 

これが書かれた12世紀当時から、ジェフリー・オブ・マンモスは史実を脚色したという説もあり、5世紀から「Waes heil」という言い回しが使われていたのか、それとも彼が執筆当時に使われていた表現を採用したのかは不明です。北欧人がイギリスに来た記録は8世紀以降になりますが、古期サクソン語と古ノルド語の間に似たような表現があったという可能性もあるのではないでしょうか?

 

ワセイルというクリスマスドリンク

ともあれ、少なくとも、12世紀以降には「ワセイル」が乾杯という意味を持つようになりました。14世紀ごろからはそれから派生して、お祝いの席で飲むお酒、特にクリスマス時期に飲む温かいスパイス入りのお酒という意味も持つようになりました。

 

ワセイルは、りんご栽培が盛んな地方ではサイダー(林檎酒)がベースに、その他ではエールがベースになっています。

 

領主の家では、その飲み物は大きなワセイルボウルに入れられ、人々に振る舞われました。ジョージ朝(1714年〜1837年)のあるレシピによると、エールが2.8リットル、シェリーがグラス4杯、少なくとも225gの砂糖、ナツメグ、ジンジャー、レモンを混ぜるとあります。そして、それに狐色にトーストしたパンを入れ、それを瓶に詰めて何日か置いて、発泡させるそうです。

 

16世紀には、大晦日と十二夜に、みんなで一つのワセイルボウルからワセイルを飲んで健康を祈るようになりました。

wassail bowl
17世紀のワセイルボールのコピー Oliver Cromwell's House

家々を回るワセイル売り

17世紀には、クリスマス時期(1225日〜16日)に家々を回ってワセイルを提供し、クリスマスキャロルを歌う人が現れました。当時の官僚サミュエル・ピープスの16611226日の日記には「a Washawall-bowle woman and a girl」が自分たちのところに来て歌ったという記述があります。もちろん、ただではなく、見返りを求めてです。

 

現在でも行われている、家々を回ったり、街頭で立ったりしてキャロルを歌い、チャリティへの募金を集める行為の原型です。

 

もともとは領主の家に、飲み物やミンスパイクリスマスプディング、もしくは金銭などを期待して、農奴たちがワセイルを提供し、歌を歌ったそうです。


 これが広まると、こんどは酔っ払った若者たちが家々に押しかけ、調子ハズレの歌を大声で歌って金銭を要求するようになりました。家の人が断ると、夜遅くに再度やってきて物を壊したりしたようです。

 

事実、「ワセイル」という言葉には酒盛りという意味もあります。1300年ごろからそういった意味で使われており、1603年に書かれたシェイクスピアの『ハムレット』にも「keepe wassel」という表現が見られます。

 

りんごの木のお祭り

さて、ではりんごの木の健康を祈る慣習はいつ始まったのでしょう?古くからのしきたりですから、いつ始まったのかは定かではありませんが、ケントのフォードウィッチでは1585年には記述が見られるそうです。また、1648年の記録によると、その地域、その果樹園により、りんごだけではなく、プラムや梨の木にも行われたようです。

 

私が行ったものは近年始まった地域のイベントで、子供が楽しめるように、昼間、ノンアルコールで行われましたが、もともとは、飲んで歌って踊る酒盛りだったようです。

 

地域によっても変わりますが、基本的に伝統的には、人々はワセイルボウルを持ち、ワセイル王や女王の後について果樹園から果樹園へ、木々にワセイルを振り掛けながら練り歩きます。選ばれた木に着くと、女王が担ぎ上げられ、ワセイルに浸けたパンを枝に取り付けます。残ったワセイルは木の根本に注がれます。そして人々は歌を歌います。楽器だけでなく、鍋釜をたたき、大きな音を立て、眠っている精霊を起こし、悪霊を追い出します。もちろん、人々のためのワセイルも用意され、飲んで歌って踊って夜を過ごすのです。


 今でも一部の地域では、ワセイルのイベントが、通常117日に行われます。これは、1752年にイギリスでグレゴリオ暦が採用される前には、十二夜は117日だったからです。

 

消えたワサイル

今や普段のイギリスの生活のなかで「ワセイル」という言葉を聞くことはなくなりました。クリスマスのドリンクとしても、20世紀半ばには「ワセイル」は死に絶え、マルドワイン(スパイス入りの温かいワイン)に取って代わられました。

 

人口が増え、人が代々の土地に住み続けることは少なくなり、それとともに伝統行事も消えつつあるのだと思います。でも反対に、私の参加したイベントのように、新しく伝統を導入しようという動きもあります。未来の世代のためにも、伝統が続いてくれるといいな、と思います。

 

 

 

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参考文献>

 

Buckton, Henry, 2012, Yesterday’s Country Customs: A History of Traditional English Folklore (The History Press)

Geoffrey of Monmouth, translated and edited by Faletra, Michael A., 2008, The History of the Kings of Britain (Broadview Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast (Profile Books)

Pepys, Samuel, Latham, Robert, ed., 1985, The Diary of Samuel Pepys: A Selection (Penguin Books)

Williams, Thomas, 2017, Viking Britain: A History (William Collins)

Trumpington orchardウェブサイト