電球を発明したのはエジソン。そう教わりませんでしたか?でも、本当にそうでしょうか?ちょうど電力の配給方法を巡ってエジソンとジョージ・ウェスティンハウス&ニコラ・テスラが繰り広げた電流戦争についての映画「ザ・カーレント・ウォー(The Current War)」が公開されたところですが、実は電球の発明を巡っても戦いがあったのです。
初の実用灯
18世紀から19世紀にかけて、世界中の科学者が電気の利用について、様々な実験を繰り返していました。1807年に、イギリスの化学者ハンフリー・デービー(Humphry Davy)は、炭素アーク灯を発明しました。初めての実用的電灯です。
最初の電気の使用は1870年代
その後、他の科学者達が改良を重ね、1878年にはタイムズ紙の機械室に、1879年にはロイヤル・アルバート・ホールと大英博物館図書館に、ロンドンのビクトリア駅には1880年に電気が使用されるようになりました。ロンドンだけでなく、シェフィールドやスコットランドのグラスゴー等、各地で導入されました。
眩しすぎるアーク灯
ただ、アーク灯は明るすぎて、目が開けていられないほど眩しいので、1880年までには、家庭のような小さなスペースには向かず、公共の場で使うにしてももう少し改良が必要だということになりました。
それでも1878年には科学者で事業家のウィリアム・アームストロング(William Armstrong)が、イングランド北東にある自宅に電気を取り入れました。家庭での電気の使用は、これがおそらく世界で初めてのことです。
世界で使われたアーク灯
アーク灯が使われたのはイギリスだけでなく、1870年代後半からパリを始めとするヨーロッパ各地や、ロサンジェルスやニューヨークを含むアメリカの都市でも使われました。
日本では1878年に工部大学校で初めて点灯され(この日は電気記念日となりました)、1882年には銀座の街灯に使われました。
アーク灯はその後も改良が続けられ、映画の撮影やサーチライトに使われました。
炭素アーク灯 Creative Commons |
白熱電球の開発合戦
一方、白熱電球の研究がデービーを含む様々な研究者によって行われ、1841年にはイギリスの科学者フレデリック・デ・モーリンズ(Frederick de Moleyns)が初めて特許を取りました。
その頃からずっと開発を続けていたイギリスの科学者ジョセフ・スワン(Joseph Swan)は、1878年に真空の電球で特許を取得。
アメリカでは同年に、エンジニアで発明家のウィリアム・ソーヤー(William Sawyer)と弁護士で発明家のオルボン・マン(Albon Man)が白熱電球の特許を取得しました。
エジソンvsスワン
エジソンは翌年1879年に、長時間点灯できる真空の電球で特許を申請、1880年に受理されました。イギリスではスワンが特許の侵害でエジソンを訴え、エジソンはスワンを訴えましたが、エジソン側は明らかに不利で、敗訴することを恐れた彼の弁護士が示談を勧め、二人はそれぞれの会社を合併、エジソン&スワン・ユナイテッド・エレクトリック・ライト・カンパニー(Edison & Swan Electric Light Company)を立ち上げました。
一方、アメリカではソーヤー&マンが異議を唱え、エジソンの1880年の特許は1894年に無効になりました。
パリ国際電気博
1881年8月にパリ国際電気博(International Exposition of Electricity in Paris)が行われ、世界各国の最新のテクノロジーが展示され、注目を浴びました。エジソンは派手なディスプレーで人目をひきました。この頃のエジソンの白熱電球は京都の真竹を使用したフィラメントを使っていました。
発電機の発明
この電気博では、発電機も展示されていました。ちなみに発電機はいつできたのでしょうか。それ以前は電池が使われていましたが、最初の電動機は、1831年にハンフリー・デービーのアシスタントであるイギリスの科学者、マイケル・ファラデー(Michael Faraday)によって考案されました。でも実用にはパワーが足りませんでした。
実用的なものは、1866−1667年にイギリスのチャールズ・ホイートストーン(Charles Wheatstone)、サミュエル・アルフレッド・ヴァーリー(Samuel Alfred Varley)、そしてドイツのヴェルナー・フォン・シーメンス(Werner von Siemens)がそれぞれ別々に開発しました。
最初に商業規模の発電機を作ったのはベルギー人のゼノブ・テオフィル・グラム(Zenobe-Theophile Gramme)です。1871年のことでした。
ダイナモ 1886年頃 Mather and Platt Limited, Creative Commons |
蒸気タービン発電機 1884年 Clarke, Chapman, Parsons & Co, Creative Commons |
エレクトリック・アベニュー
さて、イギリスでは白熱灯はどのように取り入られていったのでしょう。電気を初めて家庭で使用した前述のウィリアム・アームストロングは、1880年に自宅の電気をスワンの電球に切り替えました。
同じく1880年にはロンドンのブリクストン(Brixton)に初めて電気で点灯されたショッピング・アーケードができ、「エレクトリック・アベニュー(Electric Avenue)」と名付けられました。エディ・グラント(Eddy Grant)の同名の歌をご存知の方もいるかもしれません。
燃えない灯り
1881年には、イギリス国会議事堂の庶民院に、白熱灯が導入されました。同年にオープンしたサボイ劇場には、1158個の白熱電球が使用されました。電気がどれだけ安全かを証明するために、布に包んだ点灯した電球を舞台の上で割って見せたそうです。それまで人工の光といえば炎のことを意味しましたから、燃えない明かりに観客は大喜びでした。
地域への配電
ロンドン南西にあるサリー州ゴダルミン(Godalming)の町に電気が通ったのは1881年9月です。世界で初めて個々の建物や街灯だけでなく、地域一帯の希望者の家庭やビジネスにも電気が配給されました。エジソンがニューヨークに電気を配給したのが1882年9月ですから、ちょうどその1年前のことです。
ゴダルミンも他の都市同様、それまでガスの街灯を使っていましたが、ガス会社と値段の交渉が決裂した自治体は、電気に切り替えることにしました。
なめし皮工場の水車を使い水力発電を行いました。そのなめし皮工場の水を使う代わりに、無料で工場やその敷地、そして工場主の家にも電気が供給されました。その工場にはアーク灯が3台、白熱灯が15台設置されたそうです。ゴダルミンの街にはアーク灯が7台据え付けられ、そこから白熱灯40台に電気を送っている、と当時のタイムズ紙は伝えています。
当時はガス会社は公共の通りを掘り起こしガスをひく権利を持っていましたが、電気会社はそれは許可されていませんでした。そのため、メインケーブルは排水溝に沿ってひかれました。
1884年には配電を仕切っていたシーメンスが採算が取れないと撤退、ゴダルミンの明かりはガスに後戻りしました。
世界で一番長く電気を使っている街
ちなみに世界で一番長く電気を使っているのはイギリス南部にあるブライトン市(Brighton)です。1882年2月から中断されることなく電気が供給され続けています。
生地屋は喜び、肉屋はいやがる
面白いことに、電気を積極的に取り入れたのは生地屋です。ろうそくの光やガス灯は黄色がかっているために、緑と青の区別がつきにくいなど、色の判断がしづらいという問題がありました。電気の明かりは日光に近いために、店内で選んで、外で見てみたらとんでもない色だった、ということはありません。
反対に、ガス灯を好んだのは肉屋です。色が実際よりよく見えるので、状態の良くない肉も、特に貧困層や労働者が土曜の夜に買っていってくれるからです。ガス灯は熱を発するので、そういう意味では電気の方が商品の持ちは良いのですが、1890年代にスミスフィールド(Smithfield)の肉市場に電気が導入されると、肉屋たちはこぞって金箔を貼った反射板を取り付け、肉の色が良く見えるようにしたそうです。
エジソンのすごいところ
このように、「エジソンが電球を発明した」というのは事実ではありません。彼はすでに発明されていたものを「改良した」のです。また、エジソンはすでに成功しており、彼の下に40人ほどの科学者を抱えていましたから、彼らの貢献も忘れてはいけません。それに、集中配電を世界で最初に行ったのもエジソンではありません。
そうは言ってもエジソンの偉大さが損なわれるわけではありません。彼の凄いところは、発電所から送電し、消費者に届けるネットワークを最初から想定していたことです。アメリカだけでなく、世界の電気産業を推進したのは彼です。銀行家と組み、世界各国にエジソン電気会社を設立し、彼の信じるシステムを推し進めました。以前にお話した、ガスをイギリスに広めたウィンザーと同様、彼はビジョナリーでPRの得意なビジネスマンだったのです。
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