2023年2月14日火曜日

Q:クリスマスプディングは大英帝国の象徴だったの?――クリスマスプディングの歴史

前回プラム・プディングがどのようにクリスマスプディングになったのかをご紹介しましたが、実はプラム・プディングは非常に政治的なのです。

 

 

プラム・プディングを作ったら投獄する?

 

以前にミンスパイの記事でも触れましたが、イギリス内戦中の1647年に、議会がクリスマスを含む祭事を禁止しました。ほとんどの人はその禁止令を無視しましたが、敬虔な清教徒であったカンタベリーの市長は、それを市民に強要しました。クリスマスの日も通常通りに営業すること、そして「プラム・プディングを作ったら、投獄する」と言ったとか言わなかったとか。市長の高圧的な態度に怒った人々は、クリスマスの日に営業していた店を攻撃、そこから状況がどんどん悪化し、暴動へと発展。そして議会派と王党派の戦いが繰り広げられることになりました。似たような暴動は他でも起こり、それは「プラム・プディング暴動」と呼ばれています。

 

 

プラム・プディングはイングランドの象徴

 

このように、国内での反対勢力に対する武器として使われただけでなく、国を象徴するものとしても、プラム・プディングは使われました。

 

前回書いたように、プラム・プディングは、もともとローストビーフと一緒に食べられていました。以前に書いたように、ローストビーフはイギリスの象徴でした。

 

1781年に出版された風刺画『Seven Prints of the Tutelar Saints(守護聖人7枚の版画)』では、それぞれにイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、スペイン、イタリアの守護聖人が描かれています。

 

イングランドの聖ジョージは右手にビール、左手には牛肉が刺さった刀を持っています。そして聖ジョージが乗っているのがイギリスを象徴するライオンで、そのライオンの前足の下にはプディングがあります。その下の文章には「素晴らしいイギリスのごちそう、見事なサーロイン、濃厚なプディング、ストロングビールを持った聖人」と書いてあります。レーズンのようなものが入ったその見かけとローストビーフとの関連から、このプディングがプラム・プディングだとわかります。

 

 

プラム・プディングの危機

 

プラム・プディングは国内政治だけでなく、国際政治でも活躍します。

 

1805226日に、ジェームス・ギルレイの風刺画『The Plumb-pudding in Danger – or – State Epicures taking un Petit Souper(プラム・プディングの危機――または――ちょっとした夜食をとる快楽主義的政治家たち)』が販売されました。当時の英国首相ウィリアム・ピットと「フランス人民の皇帝」に就いたばかりのナポレオン・ボナパルト。この風刺画では、プラム・プディングが地球を象徴しています。ナポレオンはヨーロッパ征服を目指していました。ですから、ヨーロッパを切り取ろうとしています。対してイギリスは海軍が強く、世界中に植民地を持っていたので、もっと大きなスライスを切り取ろうとしています。どちらにしても、両国とも、世界征服が最終的な目的だったでしょう。

 

The_Plumb-Pudding_in_Danger;–or–State_Epicures_Taking_un_Petit_Souper_MET_DP809028 (public domain)
 

ナポレオンはイギリス征服の野心があり、1789年から二国は断続的に戦争状態にありましたが、180512日、彼はイギリス国王に和平を提案し、その中で「世界は我々二国が共存するに十分な大きさである」と書いています。この文書は215日にタイムズ紙で公開されたそうです。ギルレイはそれをひねり、この風刺画の中に、「『巨大な地球そのもの、そしてその地上にあるものすべて』は、飽くことをしらない食欲を満たすのには小さすぎる」と書いています。ちなみに「巨大な〜」の部分は、シェイクスピアの『テンペスト』からの引用です。

 

これは私の解釈ですが、プラム・プディングがイギリスを象徴していたとすると、このタイトル『プラム・プディングの危機』は、「イギリスが植民地に目がいっている間に、ナポレオンがイギリスを食べてしまうかもしれないよ」という気持ちが入っていたかもしれません。ピットもナポレオンもイギリスを切り取っていないところを見ると、最終的にどちらがとってもおかしくないからです。

 

事実、イギリス軍の正規軍は、自国だけでなく、世界中の植民地に駐屯していました。そのため、フランスからの脅威に備えるため、ピット首相は国内の義勇軍を充実させようとします。それを揶揄して、1805221日に、議員のウィリアム・ウィンダムがこう言いました。「人さえいれば軍隊ができると思うのは、粉と卵とバターとプラムがあればプラム・プディングができると思うのと同じだ」。つまり、植民地に兵を送っているがために、自国を守れないかもしれないという危機感があったということです。

 

大英帝国植民地 The_British_Empire_(including_Crown_Dependencies,_Crown_Colonies-Overseas_Territories,_Protectorates,_Military_Administrations)(wikimedia commons)
 

 

プラムは鉛の玉

 

また、面白いのは、プラムの綴りです。実は、プラム・プディングは「plum pudding」ではなく「plumb pudding」と書かれることが多く、ここでも「plumb」となっています。

 

調べてみると、1675年の『The Whole Body of Cookery Dissected』でもプラムのことは「plumb」となっており、フルーツ自体そういう綴りが使われていたことがわかります。識学率の低かった昔は、綴りも統一されていなかったでしょうし、方言のように、地方で違う綴りを使っていたこともあるでしょう。18世紀、19世紀には「plum」と「plumb」と両方とも使われています。

 

plumb」を英和辞書で調べてみると「おもり」とでてきますが、昔は「(大砲などの)鉛の玉」という意味もありました。19世紀の作家チャールズ・ラムは、「私はいつもplumb puddingと書く。P-l-u-m-b。その方がもっと丸々として濃厚に聞こえるからだ」と書いています。これも私の解釈ですが、ギルレイは、あえてこの綴りを使うことで、戦争を連想させていたと思われます。

 

 

戦地でもプラム・プディング

 

プラム・プディングは戦地にも送られました。帝国戦争博物館(Imperial War Museum)には、第一次世界大戦中1914年にArmy & Navy Co-operative Societyによって作られたプラム・プディングの缶詰があります。また、第一次世界対戦中には、「Happy Christmas」の言葉と共にプディングに同盟国の旗が刺さったデザインのクリスマスカードが送られました。

 

1914 tin of plum pudding for WW1 © IWM EPH 9389
  

プラム・プディングは大英帝国の象徴

 

プラム・プディングはイギリスのみならず、大英帝国の象徴にもなりました。

 

1924年から1925年にかけて、ロンドンのウェンブリーで大英帝国博覧会が行われました。植民地各国の文化を紹介し、英国帝国の素晴らしさを宣伝したこのイベントでは、2700万人の入場者数を記録しました。

 

Cover_of_the_souvenir_programme;_British_Empire_Exhibition_Wellcome_L0041467 (Wikimedia Commons)
 

勢いを得たオーストラリア、カナダ、ニュージーランドは、その後自分たちの産物をイギリス大衆に売ろうと、大々的なマーケティングキャンペーンを行います。

 

大英帝国博覧会の終了直後の119日のロード・メイヤー・ショウ13世紀から続く毎年恒例のロンドンシティの市長就任パレード)で、オーストラリアは、巨大なクリスマスプディングにカンガルーとエミュと牛のついた山車を出しています。そして「Make your Christmas pudding an Empire one(あなたのクリスマスプディングを帝国のものにしよう)」というバナーのもと、オーストラリアのドライフルーツを売り込みました。

 

同時に、オーストラリアのドライフルーツ局(Australian Dried Fruits Board)がイギリスのDaily Mail紙に第一面全面広告を出し、オーストラリアのレーズン、カラント、サルタナを使った「帝国プラム・プディング」のレシピを紹介しています。

 

 

大英帝国クリスマスプディング

 

1926年に発足した大英帝国通商局Empire Marketing Board)は、そのアイデアを更に発展させ、帝国内の産物のみでできた「帝国クリスマスプディング(Empire Christmas Pudding)」を作り、クリスマス前にジョージ五世に献上しました。

 

後に掲載されたレシピによると、レーズン、カラント、サルタナはオーストラリアか南アフリカ、りんごはイギリスかカナダ、パン粉、スエット、小麦粉はイギリス、ピールは南アフリカ、砂糖とプディングスパイスは英領西インド諸島または英領ギアナ、卵はイギリスかアイルランド自由国(1949年に英国から離脱)、シナモンはインドかセイロン(現スリランカ)、クローヴはジンバブエ、ナツメグは英領西インド諸島、ブランディはオーストラリア、南アフリカ、キプロス、またはパレスチナ、ラムはジャマイカまたは英領ギアナ、ビールはイギリスかアイルランド。

 

The_Empire_Christmas_Pudding Empire Marketing Board. Library and Archives Canada, e010758986  Creative Commons
 

19261220日、それぞれの国の材料が一つ一つ進呈され、仰々しくカメラの前でクリスマスプディングが作られました。実は、どうも、もともとこの日のレシピにはブランデーは含まれていなかったようで、キプロスの行政官が「クリスマスプディングにはブランデーソースが必要なので、それを提供する」と申し出て、14ポンド(約6.3kg)のクリスマスプディングは、ブランデーと共に馬車で国王に届けられました。この記録は帝国内の映画館で上映されました。そのレシピは公開され、ジョージ5世が家族と共にクリスマスプディングを楽しむ様子は「イギリス帝国団結の象徴」だと言われました。これは翌年にも繰り返されました。

 

 

コロナ禍でも使われるプラム・プディングのモチーフ

 

ところで、ギルレイの風刺画のモチーフは未だに政治風刺画家によって使われています。コロナ禍でも、ディビッド・ロウが、コロナになったプラム・プディングを囲んで困惑している世界のリーダーたちを描いたり、エマ・ヘンウッドが、プラム・プディングの形をしたアストラゼネカのワクチンを独り占めするイギリスの首相ボリス・ジョンソンと、悔しがるフランスのマクロン大統領を描いたりしています。

 

 

クリスマスプディングがまた人気に?

 

2021年の売り上げが2017年に比べ、800万個以上から650万個以下へと、30%も落ちていたクリスマスプディング。一時は大英帝国を象徴するまでになったプディングも、現代人の味覚には重く、古臭いものになってきていました。クリスマスプディングのかわりに、イタリアのパネトーネがスーパーの棚のスペースを占めるようになってきていました。

 

ところが、2022年には前年よりも売り上げが約100万個多かったらしいのです。2022年の売り上げの伸びは、オレンジ&唐辛子、チェリー&オレンジなど新しいフレーバーが貢献しているとのことです。生活費の急上昇で大変な状況にあるイギリスですが、もしかしたら、なつかしい味に過去の栄光を見出し、ひとときの安心感を求めたのかもしれませんね。

 

 

 

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―――

 

<参考文献>

 

A Citizen there, to his friend in London, 1648, Canterbury Christmas or, a true relation of the insurrection in Canterbury on Christmas day last, with the great hurt that befell divers persons thereby (Humphrey Harward)

Bamford, Vince, “The Christmas pudding does not always appeal to the younger generation” in British Baker website 30 November 2022

Bamford, Vince, “Christmas pud sales up by a million after years of decline” in British Baker website 12 January 2023

Barnes, Felicity, 2022, Selling Britishness: Commodity Culture, the Dominions, and Empire (McGill-Queen’s University Press)

Bradley, Richard, 1727, The Country Housewife and Lady’s Director (Woodman & Lyon)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Linch, Kevin Barry, 2001, “The Recruitment of the British Army 1807-1815”, PhD Thesis, The University of Leeds

Mollard, Johan, 1807, The Art of Cookery Made Easy and Refined (Author)

Parry, Nathaniel, 2022, How Christmas Became Christmas: The Pagan and Christian Origins of the Beloved Holiday (McFarland, Incorporated, Publishers)

Rabisha, William, 1675, The Whole Body of Cookery Dissected (Francis Smith)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

The Cyprus Agricultural Journal: A Quarterly Review of the Agriculture, Forestry and Trade of Cyprus Volumes 20-22, 1925 (Cyprus Agricultural Journal office)

Tomlinson, Sally, 2019, Education to Race from Empire to Brexit (Policy Press)

Windham, William, Amyot, Thomas, 1812, Speeches in Parliament, of the Right Honourable William Windham (Longman, Wurst, Rees, Orme, and Brown, Paternoster-Row; and James Ridgway)

 

 

British Museum website

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Oxford English Dictionary

Plymouth University website

Theprintshopwindow.wordpress.com

 

The Lord Mayors Show Aka The Lord Mayor Show (1925) https://www.youtube.com/watch?v=cf8DmwLYzmg (0:31-0:37)

 

 

2023年1月9日月曜日

Q:プラム・プディングにはプラムは入ってないの?――クリスマスプディングの歴史

プラム・プディングにはプラムが入ってなかった!

 

イギリスでクリスマスに食べる伝統的デザートはクリスマスプディングが一般的ですが、かなり濃厚なので、そのかわりにプラム・プディングを作ってみようと思いました。プラム・プディングは食の歴史の本でよく言及されており、プラムは好きなので、ちょっと趣を変えて作ってみようと思ったのですが……。調べてみたら、プラム・プディングとクリスマスプディングとは全く同じものでした。そして、プラムは使われていなかったのです。

 

そこでクリスマスプディングの歴史について調べてみました。


 

クリスマスプディングのドライフルーツ

 

クリスマスプディングとは、ドライフルーツとパン粉とスエットとスパイスとブランデーを混ぜて蒸したものです。デリア・スミスの「伝統的クリスマスプディング」のレシピでは、ドライフルーツにレーズン、サルタナ、カラントを使っています。

 

A family sit around a table eating their Christmas meal and greet the arrival of the plum pudding which is being carried in on a large tray by Cecil Ldin (Public domain)

 では、どうしてプラムが入っていないのに「プラム・プディング」と呼ばれるのでしょう?どうも、昔は「プラム」とはドライフルーツ一般を指していたようなのです。

 

イチジク、デーツ、プルーン、レーズンなどのドライフルーツは、中世にはイギリスで食べられていたことがわかっています。

 

 

ドライフルーツはどこから?

 

手元にあるカラント、サルタナ、レーズンを調べてみると、原産国はギリシャ、トルコ、南アフリカ、アメリカなど。イギリス原産のものはありません。

 


中世でも、地中海近辺から輸入したものもあったようですが、それでは庶民は手がでなかったでしょう。実は、どうも国内でとれていたようなのです。

 

イーリーには、大聖堂の近くに、1400年ぐらいに建てられた家があり、そこにはブドウの絵が描かれた壁画があります。現在は一本も残っていませんが、中世、大聖堂がまだ修道院だった時には、その庭にブドウがたくさん生えていたようです。ブドウはローマ時代からイギリスでとれ、プラムと共に中世には修道院の庭でも栽培されていました。それを考えると、ドライフルーツは意外に身近なものだったのかもしれません。

 

 

 

どうしてドライフルーツがプラムなの?

 

ではどうしてドライフルーツの総称が「プラム」だったのでしょう?実は、「plum」には現在の「plump」と同じ、「丸々とした」「ふっくらした」という意味がありました。ドライフルーツは水分につけて戻すと、ぷくっとふっくらします。きっとそのために、「プラム」と言われたのではないでしょうか。

 

 

フィギープディングにはフィグは入ってない?

 

ちなみに、クリスマスプディングはフィギープディング(figgy pudding)とも言われるのですが、いちじく(fig)も入っていません。「figgy」というのは、「いちじくのような」という意味ですが、「甘い」という意味で使われていたのです。つまり、「いちじくのように甘いプディング」という意味でした。

 

 

クリスマスプディングの元祖

 

さて、クリスマスプディングは、プラム・ポティージ(plum pottage)というものが元になっているといわれます。

 

pottage」を英和辞典で調べると「ポタージュ」とでてきます。事実、中世フランス語の「ポタージュ(potage)」が語源です。「ポタージュ」というとオシャレな感じがしますが、ポティージというのは、まだ直火で料理をしていた時に、火に鍋をかけ、その中で野菜や穀物、そしてある程度裕福であれば肉を、とろとろと煮た素朴なシチューです。もちろん、レンジになってからも作られていましたが、今は特別な「田舎料理」でもない限り、目にすることも耳にすることもありません。

 

Old Cottage Fireplace and pets c1860s (public domain)

食歴史家のアン・ウィルソンは、プラム・ポティージの歴史は15世紀のレシピに遡るとしています。「Stewet Beef to Potage」というレシピでは、一口大の牛肉を水、ワイン、玉ねぎ、ハーブ、クローヴ、シナモン、メース、レーズン、カラント、パン(とろみづけ)、紅木紫檀(食紅)で煮込んだもののようです。当時はクリスマスとは関係なく食べていたようです。

 

以前ミンスパイの記事でも書いたように、肉を保存する知恵として、肉とドライフルーツとスパイスを混ぜるレシピを、十字軍が中東から持ち帰ってきました。ですから、それ自体はイギリスでもすでに確立した組み合わせでした。

 

 

プラム・ポティージがクリスマス料理に

 

このポティージを最初にクリスマス料理と呼んだのは、1673年に出版された本『The Whole Body of Cookery Dissected』の中でのようです。この頃には、これにアルコール(クラレットまたはサック)が加えられ、事前に作られて陶器のポットの中で保存されていたようです。

 

プラム・ポティージはプラム・ポリッジともよばれ、クリスマスに食べられるようになると、クリスマス・ポティージ(またはポリッジ)とも呼ばれました。

 

1728年の「プラム・ポティージまたはクリスマス・ポティージ」のレシピによると、牛足を水で柔らかくなるまで煮、そこに赤ワインとストロングビール、クローヴ、メース、ナツメグ、リンゴ、カラント、レーズン、プルーンを入れ、牛足を最後に取り除いて食べます。

 

1695年に発表されたウィリアム・ウィンスタンリーの詩、『Now Thrice Welcome Christmas』には、「ミンスパイやプラム・ポリッジ;美味しいエールに強いビール」という一節があり、この頃からクリスマスに食べられていたことがわかります。

 

18世紀のスイス人トラベルライター、セザール・ド・ソシュールは1726年に、「国王から職人にいたるまで、スープを飲んでクリスマスパイを食べる。このスープはクリスマスポリッジと呼ばれ、外国人の口には合わない」と書いています。

 

このクリスマス料理も、19世紀前半には徐々にみられなくなってきます。

 

 

プラム・プディングの登場

 

さて、以前書いたように、プディングを作るのに布が使われ始めたのが17世紀初頭です。まもなく、1630年までには、プラム・プディングの記載が見られるようになりました。

 

1714年のレシピによると、プラム・プディング(Plumb pudding)を作るには、細かく刻んだスエット(牛脂や羊脂)にレーズン、粉、砂糖、卵、塩を合わせ、プディング用の布に包み、四時間以上煮る、とあります。

 

A woman takes a large plum pudding in a cloth bag off a hot stove in a kitchen by R Seymour 1830-1839 (public domain)

1675年のクリスマスには、大英海軍の従軍牧師、ヘンリー・ティアンジが、船長とともに牛肉、プラム・プディング(Plumb pudding)、ミンスパイを食べたと記録していますが、先に書いたように、この頃はまだプラム・プディングよりもプラム・ポティージのほうがクリスマスには一般的でした。

 

 

ご馳走プディング

 

1750年にウィリアム・エリスによって書かれた『The Country Housewife’s Family Companion』によると、特に大変な小麦の収穫時期2週間は、カレントとレーズンとスエット入りの プラム・プディング(Plumb pudding)を牛肉と共に、農夫たちに食事として出しています。これから、プラム・プディングはクリスマスだけでなく、ご馳走として特別な日に出されたのだと想像できます。

 

ちなみに、プラム・プディングはデザートとしてではなく、現在のヨークシャープディングのように、ローストビーフと一緒に食べられていました。食後のデザートになったのは18世紀末ぐらいからです。

 

 

クリスマスプディングはディケンズへのオマージュ?

 

1845年のエリザ・アクトンのレシピによると、「クリスマスプディング」は、パン粉、粉、レーズン、カラント、リンゴ、スエット、砂糖、オレンジピール、ナツメグ、メース、塩、卵、ブランデーを混ぜ、三時間半煮る、とあります。18世紀のレシピに比べると、かなり濃厚になっていることがわかります。

 

この頃までには、ディケンズの『クリスマスキャロル』にみられるように、ブランデーを振りかけて火をつけるという習慣が広まりました。これは特別感を与え、通常に食べるプラム・プディングとは一線を画すようになりました。

 

Christmas_pudding_(Heston_from_Waitrose)_flaming by Ed g2s (Creative Commons)

実は、プラム・プディングを最初に「クリスマスプディング」と呼んだのは、エリザ・アクトンだそうです。ディケンズの『クリスマスキャロル』が出版されたのが1843年。そして、彼女のレシピが出版されたのがその2年後。どうも、エリザ・アクトンはディケンズのファンで、そのレシピ本を彼に贈呈したとか。そして、食歴史家のペン・ヴォルガーは、彼女はディケンズの作品へのオマージュとして、このプディングを「クリスマスプディング」と名付けたのではないかと推測しています。

 

こうして、19世紀末までにはプラム・プティングはクリスマス限定の食べ物になり、「クリスマスプディング」となったのです。

 

 

<参考文献>

 

 

Acton, Eliza, 1865, Modern Cookery for Private Families (Longman, Green, Longman, Roberts, and Green)

Bradley, Richard, 1728, The Country Housewife and Lady’s Director in the Management of a House, and the Delights and Profits of a Farm (The Project Gutenberg)

Davidson, Alan, 2014, The Oxford Companion to Food (Oxford University Press)

Ellis, William, 1750, The Country Housewife’s Family Companion (J.Hodges)

Given-Wilson, Chris, 1996, An Illustrated History of Late Medieval England (Manchester University Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Kettilby, Mary, 1714, A Collection of Above Three Hundred Receipts in Cookery, Physick, and Surgery (Richard Wilkin)

McLean, Teresa, 2014, Medieval English Gardens (Dover Publications)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

Volger, Pen, 2020, Scoff: A History of Food and Class in Britain (Atlantic Books)

 

Delia onlineウェブサイト

University of Leeds Library ウェブサイト

Oxford English Dictionary

Visit Elyウェブサイト

 

Ely Cathedral Monastery Tour

 

2022年12月4日日曜日

Q:悪霊は靴に閉じ込められるの? 魔除けの歴史2

前回、猫が魔除けに使われていたと書きましたが、同様に家に隠されたものとして靴や衣類があります。しかも、使い古された片方の靴が頻繁に見つかっているのです。どうして靴が隠されたのでしょう? 調べてみました。

 

隠された靴

 

発見された靴は、捨て忘れたとか、隙間風が入ってくるのを防ぐとかに使われたものではありません。煙突の中や、壁の間、床下、屋根裏に、誰かが意図的に置いたものです。多くは17世紀から19世紀のものだそうです。

 

実は魔除けに関する研究は文献が少なく、わからないことが多いそうなのです。靴に限って言うと、最初に研究を始めたのは、ノーサンプトン博物館(Northampton Museum and Gallery)に勤めていた靴の歴史専門家、ジューン・スワン(June Swann)です。彼女は人々が発見した靴を、隠されていた場所と、理由についての発見者の推測とともに事細く記録し、それは「Concealed Shoe Index」として研究者の間で知られるようになりました。その説の中には、「床板の間から落ちた」というものから、「煙突掃除屋の靴が脱げてそのままになった」「ネズミが運んできた」というものまであったそうです。彼女は次第に、その理由は迷信ではないかと考えるようになりました。

 

魔除けの靴
17世紀に隠された靴 Moyse's Hall Museum

 

靴は幸運の印

 

イギリスでは、靴は幸運の印だと考えられていました。1546年に発表された『The Proverbs of John Heywood』の中には、「旅人の幸運を祈って、その人の後ろ姿に古い靴を投げる」というものがあります。

 

結婚式では、新婦は古い靴を履くと幸せになれると言われていましたし、結婚式を挙げたばかりのカップルがハネムーンに出掛ける際に、後ろから古い靴を投げると二人が幸せになれるといわれていました。

 

未婚の女性が寝る前に靴をTの字にしてベッドの下に置いて呪文を唱えると、将来結婚する相手が夢に現れると言われました。

 

 

靴が病気を治す?

 

老人が寝る前に靴を十字形、V字型、またはT字型にしてベッドの下に置くと、リウマチが治るとも言われていました。

 

サセックスでは、震えをともなう高熱があるときには、キク科のタンジーの葉を靴にいれるといいと言われていました。

 

ウォリックシャーでは、風邪には、ワイルドガーリックの球根を乾燥し粉状にしたものを、布の袋にいれて靴にいれるといいと言われていたこともあったようです。

 

 

悪魔と靴にまつわる言い伝え

 

ではどうして靴が魔除けになったのでしょう。一説によると、ある言い伝えがもとになっているとのこと。

 

1289年から1314年までバッキンガムシャーのノース・マーストンという村に住んでいたジョン・ショーンという神父は、治癒力を持っていると有名でした。その噂を聞きつけた悪魔は、その神父を堕落させてやろうと、旅人の格好をして村にやってきました。悪魔は神父に対して、様々な誘惑をしかけましたが、ジョン・ショーンは見向きもしませんでした。

 

神父は悪魔に言いました。

神父「なんでも好きなものを魔法で取り出す事ができるのかい?」
悪魔「なんでもできる、欲しいものを言ってみろ」

神父「まずは、その力を証明してくれ」

神父は自分の履いていたブーツを脱ぎ、この中に入れるほど小さくなれるか聞きました。

悪魔「そんなのお安い御用さ」

悪魔は小さくなり、ブーツの中に飛び込みました。ジョン・ショーンはすかさずブーツの上部を握りしめて悪魔を閉じ込め、神への祈りの言葉を囁きました。祈りは悪魔の耳を焼きました。

 

神父は、ブーツに閉じ込められた悪魔に、毎日毎日祈りの言葉を囁き続けました。ついに悪魔は悪さをしないから許してくれ、と言い、許された悪魔は慌てて地獄に逃げていきました。

 

 

ブーツに入った悪魔
John Schorne and the devil in the boot, St Gregory's Church in Sudbury photography by Evelyn Simak_ Creative Commons

悪魔を封印

 

宝石は身につけた人の魂が宿ると言いますが、靴も履いていた人の性質を帯びると考えられていました。靴は決して安いものではありませんでしたから、ボロボロになるまで何度も直しながら履かれていました。皮でできた靴は、履き手の足の形になりました。ですから、その持ち主を探して入ってきた悪霊が、靴をその持ち主だと勘違いして中に入り、ブーツに閉じ込められた悪魔のようにそこに封印されると、人々は信じていたのかもしれません。

 

新婚カップルの後ろに向かって靴を投げるというのも、悪魔が二人が不妊にするのを防ぐために、靴に閉じ込めるからだったようです。

 

 

悪魔は靴の燃えた匂いが嫌い

 

そして、どうもイギリスでは、靴の燃えた匂いは悪魔や蛇を近寄らせないと信じられていたようなのです。それを考えると、靴を煙突の近くに隠す事で、実際には燃やさなくても、その匂いが魔除けの効果を発揮すると考えられていたのかもしれないとのことです。

 

 

見えないところから見えるところへ

 

20世紀になると、使い古した靴の代わりに、お守りが使われるようになるようです。赤ちゃんの靴、またはそのために作られた小さな靴が「幸運を呼ぶために」壁に飾られたり、「幸運や金運を呼ぶ」として暖炉に飾られたりしました。そして、隠される代わりに、見えるところに飾られるようになりました。

 

 

移住民とともに世界へ

 

アメリカやオーストラリアでも同じように隠された靴が見つかっているので、移民たちが迷信をもって海を渡ったのでしょう。

 

現在は靴を飾ることはしないようですが、古い家に住んでいたら、どこかで古い靴が家を守ってくれているかもしれません。

 

 

 

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―――

 

<参考文献>

 

Cadbury, Tabitha, ‘Materialising Magic in Museums’ in Hidden Charms: Exploring the Magical Protection of Buildings, Transactions of the conference 2018, ed. Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian ( Northern Earth)

Evans, Ian J, 2015 ‘Seeking Ritual in Strange Places: Dead Cats, Old Shoes and Ragged Clothing. Discovering Concealed Magic in the Antipodes’

Heywood, John, 1874, The Proverbs of John Heywood: Being the “Proverbes” of that Author Printed 1546, ed. Sharman, Julian (G.Bell and sons)

Hoggard, Brian, ‘Evidence of Unseen Forces: Apotropaic Objects on the Threshold of Materiality’, in Hidden Charms: A conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016, ed. Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (Northern Earth)

Houlbrook, Ceri, ‘Ritual Recycling and the Concealed Shoes’ in Hidden Charms: A conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016 (Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (eds.), 2016, Northern Earth)

Houlbrook, Ceri, ‘Ritual Recycling and Recontextualization: Putting the Concealed Shoes into Context’, Cambridge Archaeological Journal 23:1, 99-112

Radford, M.A, Radford, E., 2013, Encyclopaedia of Superstitions - A History of Superstition (Read Books Limited)

Howey, Terrie, 2019, Buckinghamshire Folk Tales (History Press)

Roud, Steve, 2006, The Penguin Guide to the Superstitions of Britain and Ireland (Penguin Books Limited)

Stirling, Sophie, 2020, We Did That? (Mango Media)