俳優のギイリー・オールドマンが、先日のアカデミー賞受賞のスピーチで、98歳のお母さんに向けて「Put the kettle on – I’m bringing Oscar home.」と言いました。「やかんをつけて紅茶をいれる用意をしておいて。今オスカー像を持って帰るから」という意味です。とてもイギリス人らしい表現です。ちなみにイギリスのやかんは電気ケトルが一般的で、あっという間に沸きますが、電気ポットのように保温はできません。
紅茶が人生におけるすべての答え
イギリスにいると何かというと紅茶を飲みます。嬉しい時、悲しい時、紅茶が人生における全ての答えのように感じることがあります。うちの電気ケトルが壊れて、朝に紅茶が飲めなかった時、イギリス人の友達は口を揃えて「なんてこと!そんな野蛮な!自分だったら生きていけない!」ともちろん半分冗談ですが大騒ぎしました。
「tea」に招待されたらご注意を!
また、イギリスに住んだことのある外国人なら必ずと言っていいほど混乱するのが「tea」という表現です。夜の7時にティーに呼ばれて、こんな時間にお茶をしてたら帰りが遅くなるからと食事をしてから行ってみたら、フルコースのディナーが用意されていた、という話もよく聞きます。実はイギリス人にとって「tea」とは夕食のことも意味するのですね。
では、どうしてteaが夕食の事を指すようになったのか、そしてイギリス人の紅茶への偏執はどこから来たのか探ってみたいと思います。
女王にエールを出すイギリス
さて、以前に紅茶が中国からオランダを通じてイギリスに紅茶が入ってきたのは、1650年代だと書きました。当時は主に薬として処方され、とんでもなく高価なものでした。
紅茶が一般に広まったのは、チャールズ2世がポルトガルの王女キャサリンと結婚してからです。1662年に、キャサリン王女はチャールズ2世と結婚する為、ポルトガルから船に乗ってイギリスにやってきました。イギリスに着いてすぐに「紅茶を頂戴!」と言いましたが、出てきたのはなんとエールでした。紅茶はまだ普及していなかったのです。
ありとあらゆる病気への効用
紅茶が一般に販売されるようになったのは、1657年にThomas Garwayが紅茶を輸入し、コーヒーハウスで出すようになってからです。1668年のThomas Garwayの広告には、紅茶のありとあらゆる病気への効用が羅列してあります。
レディも買えるようになった
トワイニングの創始者Thomas Twiningが、自分のコーヒーハウスで紅茶を売り始めたのは、1706年です。この時代には、コーヒーハウスは女性禁制でしたので、レディ達はコーヒーハウスの外に馬車を止め、従僕に買いに行かせました。
彼の賢いところは小売店を始めたことです。1717年にイギリス初のコーヒー&紅茶の専門店をオープンしたことで、女性が買いに行けるようになったのです。
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なぜ紅茶が広まった?
紅茶が広まった理由にはいくつかあります。一つには、コーヒーのように炒たり挽いたりする必要がないので、家で手軽に楽しめること。そして、だんだん薄くなるとはいえ、同じ茶葉で何度も楽しめる為、コストが低いこと。そして紅茶にかかる関税が、18世紀から19世紀にかけて、どんどん下がったこと。1833年には東インド会社が独占権を失ったことで、紅茶の値段が下がったこと。また、イギリスの植民地であるインドのアッサムで、原産のお茶が見つかったことも値段が下がった理由です。
しかし、何よりも、水質に問題のあった時代、沸騰してから入れる紅茶は、飲んでも安全だったということがあります。こうして19世紀を通じて、紅茶は労働階級にも広まりました。
アフタヌーンティー
さて、イギリスといえば「アフタヌーンティー」。これはいつ始まったのでしょう。
これは、7代ベッドフォード公爵夫人Anna Maria Stanhorp (1788~1861)が始めたのがきっかけだと言われています。以前にdinnerの時間が時代とともに遅くなってきたと書きましたが、19世紀半ばになると、その時間は8時になります。ランチとディナーの間が長く、しかも当時の女性はコルセットを締めていたので一回に食べられる量も限られていたでしょうから、かなりお腹が空いていたのだと思います。
1841年に、ウィンザー城に滞在する彼女が、義理の弟に当てた手紙の中で、5時頃にお茶をすることに触れています。内輪のお友達を私室に呼んで、お茶を飲み、サンドウィッチやケーキをつまんでいたようです。
その後、彼女がロンドンの家に戻り、アフタヌーンティーパーティをするようになってから、それがトレンディになったといいます。この頃は「low tea」と言われていました。というのは、ソファーやひじ掛けイスに座って、低いコーヒーテーブルを囲んで食べたからです。
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午後に行われるモーニングコール
上流階級の女性にとって、友達や親戚を訪ねる「morning call」というのが大切な習慣でした。20世紀になるまでは、このmorningとは午前中のことではなく、「dinnerの前」という意味でした。Dinnerの時間が遅くなるにつれて、morning callの時間が遅くなり、ビクトリア時代には夕方3時から7時ぐらいの時間になったそうです。19世紀の半ばには「morning call」と「アフタヌーンティー」は同じことを示すようになりました。
労働者たちは
労働者たちは、夕方1日の仕事が終わり、家に帰ってからすぐにご飯にしました。やはり食事と一緒に紅茶が出されたので、それは「high tea」と呼ばれました。
「high」というのは、低いコーヒーテーブルでなく、高い食卓で食べたからです。また、新しいトレンドに批判的な地方の中流家庭も、18世紀からの習慣で夕方に食事をしました。これがいつの間にか、シンプルにteaと呼ばれるようになったのですね。
地方vsロンドン
ここに地方対都市、伝統対モダン、労働階級対上中流階級という図式ができたのです。ロンドンを中心とする上中流階級は、夜遅くまで遊んでいることもあり、朝ごはん・ランチ・アフタヌーンティー・ディナー・サパーというパターン。労働者、地方の中流家庭は朝ごはん・ディナー・ハイティー・サパーというパターンになったのです。
現在は「ハイティー」とは言わず、ただ単に「ティー」と言われます。ちなみに、子供の夕食については、一般的に「ティー」と呼ばれています。
イレブンジーズ
最後になりますが、elevenses(イレブンジーズ)というのは何でしょう。これは朝の11時に、紅茶とビスケットやケーキを食べる習慣です。
Alan DavidsonはThe Oxford Companion to Foodの中で、この言葉が18世紀後半に使われ始めたとしていますが、その他の資料は見つかりませんでした。
紅茶が庶民に普及したのが19世紀だと考えると、elevensesが定着したのは19世紀後半から20世紀前半ではないかと考えられます。
映画化された「指輪物語」では、ホビットの食事の一つにelevensesが数えられていますが、1937年から1949年に書かれた本の中では、elevensesは食事というよりも、11時を意味する言葉として使われているように見えます。1926年から出版された「くまのプーさん」や1958年から出版された「くまのパディントン」には朝のおやつとして出てきます。
お茶の時間
基本的にイギリス人は、11時のお茶の習慣を大切にしていますが、仕事をしているとなかなかその時間に休みを取るわけにもいきません。私の仕事場では、お昼休みが遅い人が朝の休み時間を取り、10時すぎから11時までの間に順番に休みます 。ちなみにお昼休みが早い人は3時過ぎから4時の間です。オフィスで働いている人は時間にとらわれず、お茶を飲みたい時にデスクで半分仕事しながら休憩を取る人もいます。反対に、大工さんや配管工等の中には一日中お茶ばっかり飲んで全然仕事しない人も結構いるようです。
Broomfield, Andrea, 2007, Food and Cooking in Victorian England: A History: Praeger
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