2021年6月18日金曜日

Q:水飲み場はいつできたの? 水飲み場の歴史

ロンドンでずっと使われていなかった水飲み場が修復され、20215月にそのお披露目がありました。その水飲み場はもともと、ユーストン駅裏にあるセント・ジェームズ・ガーデンにあったのですが、高速鉄道HS2の建設でその公園が失われてしまうため、ユーストン・ロード沿いのセント・パンクラス教会の庭に移されることになりました。

 

それは1897年に設置され、2012年には放火されてしまい、しばらく別に保管されていました。歴史的重要建築物グレード2に指定されているのですが、その高額な修復費にもかかわらず、水道のパイプ部分はセメントで固められ、ただの石造物になってしまいました。

 

カムデン区は水道の修理費や維持費があまりに高いので、それを直す意味はなかったと主張していますが、ロンドンの遺産慈善機関であるHeritage of London Trust は、そんなに費用はかからないし、相談してくれれば補助金を出すこともできたのに嘆かわしいかぎりだと言っています。

 

 

無料の水が再び脚光をあびる


2017年にBBCで放映された「Blue Planet II」で海洋プラスチック汚染をとりあげてから、イギリスでも環境問題に積極的に取り組む人が増え、ペットボトル入りの水を買わずにマイボトルを持ち歩くようになりました。

 

それに伴い、カフェなどで無料の水を提供するところも出来、街中でも無料で水を補給できるウォーターステーションができてきていました。去年からのコロナウィルスの蔓延で、衛生面でも環境面でも、ますますマイボトルの重要性に焦点があたっています。

 

ですから、修復したにもかかわらず、反対に使えなくしてしまうなんて、もってのほかだと思います。では、水飲み場はいつできたのでしょうか。調べてみました。

 

 

水飲み場の街:リバプール

 

イギリスで初めて水飲み場ができたのは、ビートルズの街リバプールです。リバプールは英国帝国を結ぶ主要な港として、19世紀初頭に人口が爆発的に増加しました。1801年に8千人だった居住者は、1841年には25万人を超えています。

 

ジャズシンガーでありライターであるジョージ・メリー(George Melly1926-2007)の先祖、チャールズ・ピエール・メリー(Charles Pierre Melly1829-1888)は貿易で富をなした木綿商人で、父親がスイスのジュネーヴの出身だったこともあり、子供時代にスイスに行ったこともありました。

 

1852年に結婚し、ハネムーンでジュネーヴに行った彼は、人々が街にある水飲み場で無料で水を飲めることに感銘を受けます。リバプールに帰ると、港の周りで働く人々を観察し、調査しました。

 

ほとんどの労働者はお昼に家に帰ることもままならず、喉が渇いたらパブでビールを飲んでいました。労働者だけでなく、アメリカやオーストラリアへ旅立つ人だけでも需要はあると踏み、1853年に波止場に2か所、自腹で水飲み場を設置しました。

 

 

水は無料であるべき


画期的なのは、彼が水が無料であるべきだと主張したことです。リバプールでは、水道は市が所有し管理していましたが、それまで水は全て有料でした。

 

「ジュネーヴでは水は市の所有物で、大きな公の水飲み場という形で、市民に無料で与えられている」と、メリーはリバプール市に無料で給水する様説得し、さらに市内40か所に自腹で水飲み場を設置しました。すぐにダービー、グラスゴー、ハルなどの都市がそれに続きました。

 

 

遅れをとったロンドン


一方、大都市ロンドンは遅れを取っていました。メリーの活動に賛同し、無料の水飲み場を設置すると言った慈善家はいましたが、場所や水道会社の同意を取れず困っていました。衛生的にも水飲み場は重要でしたが、設置するコストと、水の無駄遣いへの懸念がネックになっていたようです。

 

でも何よりも、19世紀のフランスの水理地質学者アンリ・ダルシー(Henry Darcy)が指摘しているように、水道会社にとって利益妨害になるからというのが本心だったでしょう。

 

無料の水は防犯につながる

 

1859年には弁護士のエドワード・ウェイクフィールド(Edward Wakefield)が「A Plea for Free Drinking Fountains in the Metropolis (首都における無料水飲み場設置のための嘆願書)」を執筆、多くの人に影響を与えました。

 

この中でウェイクフィールドは、水が空気と同じく人間にとって必需品であること。特に夏、日中外で働く肉体労働者は水分供給が必要なのにもかかわらず、現在彼らができることはパブに行ってビールを飲むことしかなく、そのためにアルコール中毒になりやすい。ただでさえ給料の少ない労働者がパブでお金を使わざるを得ないので、結果として貧困やお酒が原因で犯罪が多くなる。無料の水飲み場を提供することは犯罪防止につながり、長い目で見ればコスト削減になる。裕福な者が貧困層に無料で水を提供することは、道徳的に正しいことでもある、と説きました。

 

アルバマーレ伯爵は、無料で水を提供することに懐疑的な人に対して、こう言っています。「年間の極貧の9割、犯罪の4分の3、病気の半分、精神異常の3分の1、悪行の4分の3、難破の3分の1の原因となっている暴飲癖の防止になるかもしれない」

 

 

その水は安全?


そして同年、サミュエル・ガーニー(Samuel Gurney)議員により、首都無料水飲場協会(The Metropolitan Free Drinking Fountain Association)が設立されました。ロンドンに住む貧しい人々に、無料できれいで新鮮な水を提供することを目的としています。

 

1850年代は、それまで何世紀も使われてきた井戸水の水質が問われた時期でした。上水道の家々への配水は17世紀前半には始まっていましたが、有料の為、皆が家に水道を引けたわけではなかったので、街中にある井戸から水を汲んで使っていた人は多かったのです。また、井戸水を好んで使っていた人もいました。

 

 

死体から出た有機物


1868年のイギリス土木技術学会の議事録には、「透明でスパークリングで冷たい」ことで知られたロンドンのシティにあるオールドゲイト井戸(Aldgate pump)の水には、実は近くの墓地に埋められた死体から出た有機物が混入していたということが書かれています。

 

また、別で書こうと思っていますが、18481849年と18531854年に起こったコレラの流行により、きれいな水の必要性への意識が高まったこともあります。

 

 

ロンドン初の水飲み場

 

こうして、ロンドンで初めての水飲み場は1859年にホルボーンヒルにできました。これは1867年にホルボーン陸橋ができたときに移動され、現在陸橋の脇にあるHoly Sepulchre Churchの一角にあります。

 

水飲み場の歴史

 

ちなみに1876年にオールドゲイト井戸は閉鎖され、その場所は現在フェンチャーチ・ストリート(Fenchurch Street)駅となっています。その代わりにフェンチャーチ・ストリート(Fenchurch Street)とオールドゲート(Aldgate)の角に上水を引いた水飲み場が作られました。

 

水飲み場の歴史

 

水が必要なのは人間だけじゃない

首都無料水飲場協会は、人間だけでなく、動物福祉にも関心をもっており、車を引く馬や市場に連れて行かれる家畜へ水を提供する水おけの設置もはじめました。

 

 1865年までには、水飲み場の多くに、犬用の水おけも設置されました。そして協会の名前も首都水飲場および家畜用水桶協会(The Metropolitan Drinking Fountain and Cattle Trough Association)と改名されました。

 

 

20万頭の馬やその他の動物が使用


18814月発行のBoyle’s Fashionable Court And Country Guide 1796年から20世紀初頭まで毎年出版された貴族・紳士のロンドン住所録。肩書きや地方の邸宅の住所も含む)には、首都水飲場および家畜用水桶協会の広告がのっています。

 

そこには、ロンドン市内に動物用の水おけが452カ所、人間用の水飲み場が457か所が設置されており、20万頭の馬やその他の動物、および40万人の人が毎日利用していると書かれています。その設置と維持管理はすべて寄付でまかなわれているので、この広告ではさらなる寄付を呼びかけています。

 

 

動物の水桶は不要に


1930年代までには、ロンドンの街中を家畜が歩き回ることもなくなり、馬車も自動車にとって代わられたので、水おけは必要なくなりました。協会はそのかわりに、公園や学校への水飲み場の設置へと焦点を変えていきました。

 

現在は、水飲場協会(The Drinking Fountain Association)として、ロンドンのみならず、イギリス全土、そして日本を含める世界での水飲み場の設置に関わっています。

 

 

使われなくなった水飲み場


収入に関わらず、誰もが無料で水が飲めるようになりましたが、2010年にChildren’s Food Campaign が行った調査によると、公園に備わっている水飲み場のうち、機能しているのは3分の2にとどまっていました。

 

噴水協会(The Fountain Society)の会長は、水飲み場が使われなくなった理由として、維持費とボトル入りのミネラルウォーターをあげています。20年ほど前にミネラルウォーターが売られるようになってから、水道水はミネラルウォーターに比べると安全でないという間違った認識が広まってしまったそうです。

 

水飲み場の歴史
Victoria Embankment Gardens 内に1886年に作られた水飲み場
 

最初の瓶入りの水

イギリスで一番最初に水が瓶に入れられて販売されたのは1622年だといわれています。ウェールズにほど近いマルバーンにあるホーリーウェル(the Holy Well聖なる井戸)の水は、身体に良いとして、オックスフォードやロンドンまで届けられたそうです。

 

ボトルに入ったミネラルウォーターがイギリスの飲料業界を変えたのは20世紀に入ってからです。 

 

 

おしゃれなフランス


1970年代にはペリエがイギリスでの販売を伸ばそうとしていました。ペリエはフランスの水。イギリスとフランスは仲がいいとはいえません。ですから、ペリエは「フランスの水」ではなく、「洗練されたおしゃれなフランス」のイメージで、広告キャンペーンをうちました。これは大成功で、1980年から10年間で、売り上げが1200万本から15200万本に増えました。 

 

1973年にはネサニエル・ワイエス(Nathaniel Wyeth)がペットボトルの特許をアメリカでとります。ペットボトルは水をいつでもどこでも簡単に入手し持ち歩くことを可能にしました。

 

 

健康で美しい人の飲み物


1980年代後半にはエビアンがヘルス&フィットネス市場の拡大に目をつけ、スーパーモデルを使って「健康で美しい人の飲み物」というイメージで広告をうち、全世界の年間売り上げが1990年から10年間で500億リットルから1000億リットルへと伸びました。

 

 

水飲み場を返して!


こうして無料の水飲み場が有料のボトル入りの水に取って代わられたのですが、最初に述べたように、環境問題への意識の高まりと共に、また水飲み場が見直されています。通りの飾りものと化した19世紀の美しい水飲み場がきちんと修理され、次々と実用化されるといいなと思います。

 

次回は上水道の歴史をみてみたいと思います。

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:街灯はいつできたの?

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Q:このちぐはぐな建物は何? 

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<参考資料>

 

Agrestis, 1863, Thoughts on Population and the Means of Comfortable Subsistence: With Suggestions Regarding an Increased Supply and Lessened Cost of Food for Childhood and the Industrial Classes (Longman, Green, Longman, Roberts, & Green)

Belcher, Samuel L. ed., 1999, Practical Extrusion Blow Molding (Taylor & Francis)

Boyle’s, 1881, Boyle’s Fashionable Court and Country Guide and Town Visiting Directory

Forrest, James, ed., 1868, Minutes of Proceedings of the Institution of Civil Engineers with Abstracts of the Discussions. Vol. XXVII, Session 1867-68 (The Institution of Civil Engineers)

Jones, Emma M., 2013, Parched City (John Hunt Publishing)

Quinn, Tom, 2017, London’s Truly Strangest Tales (Pavilion Books)

Tomory, Lesley, 2015, “London’s Water Supply Before 1800 and the Roots of the Networked City” (Technology and Culture, Vol. 56, No.3, July2015 pp.704-737, published by Johns Hopkins University Press)

Wakefield, Edward Thomas, 1859, A Plea for Free Drinking Fountains in the Metropolis (Hatchard and Co.)

 

BBC website

Camden council website

The Guardian website

London Metropolitan Archives website

Malvernwaters.com