2022年12月4日日曜日

Q:悪霊は靴に閉じ込められるの? 魔除けの歴史2

前回、猫が魔除けに使われていたと書きましたが、同様に家に隠されたものとして靴や衣類があります。しかも、使い古された片方の靴が頻繁に見つかっているのです。どうして靴が隠されたのでしょう? 調べてみました。

 

隠された靴

 

発見された靴は、捨て忘れたとか、隙間風が入ってくるのを防ぐとかに使われたものではありません。煙突の中や、壁の間、床下、屋根裏に、誰かが意図的に置いたものです。多くは17世紀から19世紀のものだそうです。

 

実は魔除けに関する研究は文献が少なく、わからないことが多いそうなのです。靴に限って言うと、最初に研究を始めたのは、ノーサンプトン博物館(Northampton Museum and Gallery)に勤めていた靴の歴史専門家、ジューン・スワン(June Swann)です。彼女は人々が発見した靴を、隠されていた場所と、理由についての発見者の推測とともに事細く記録し、それは「Concealed Shoe Index」として研究者の間で知られるようになりました。その説の中には、「床板の間から落ちた」というものから、「煙突掃除屋の靴が脱げてそのままになった」「ネズミが運んできた」というものまであったそうです。彼女は次第に、その理由は迷信ではないかと考えるようになりました。

 

魔除けの靴
17世紀に隠された靴 Moyse's Hall Museum

 

靴は幸運の印

 

イギリスでは、靴は幸運の印だと考えられていました。1546年に発表された『The Proverbs of John Heywood』の中には、「旅人の幸運を祈って、その人の後ろ姿に古い靴を投げる」というものがあります。

 

結婚式では、新婦は古い靴を履くと幸せになれると言われていましたし、結婚式を挙げたばかりのカップルがハネムーンに出掛ける際に、後ろから古い靴を投げると二人が幸せになれるといわれていました。

 

未婚の女性が寝る前に靴をTの字にしてベッドの下に置いて呪文を唱えると、将来結婚する相手が夢に現れると言われました。

 

 

靴が病気を治す?

 

老人が寝る前に靴を十字形、V字型、またはT字型にしてベッドの下に置くと、リウマチが治るとも言われていました。

 

サセックスでは、震えをともなう高熱があるときには、キク科のタンジーの葉を靴にいれるといいと言われていました。

 

ウォリックシャーでは、風邪には、ワイルドガーリックの球根を乾燥し粉状にしたものを、布の袋にいれて靴にいれるといいと言われていたこともあったようです。

 

 

悪魔と靴にまつわる言い伝え

 

ではどうして靴が魔除けになったのでしょう。一説によると、ある言い伝えがもとになっているとのこと。

 

1289年から1314年までバッキンガムシャーのノース・マーストンという村に住んでいたジョン・ショーンという神父は、治癒力を持っていると有名でした。その噂を聞きつけた悪魔は、その神父を堕落させてやろうと、旅人の格好をして村にやってきました。悪魔は神父に対して、様々な誘惑をしかけましたが、ジョン・ショーンは見向きもしませんでした。

 

神父は悪魔に言いました。

神父「なんでも好きなものを魔法で取り出す事ができるのかい?」
悪魔「なんでもできる、欲しいものを言ってみろ」

神父「まずは、その力を証明してくれ」

神父は自分の履いていたブーツを脱ぎ、この中に入れるほど小さくなれるか聞きました。

悪魔「そんなのお安い御用さ」

悪魔は小さくなり、ブーツの中に飛び込みました。ジョン・ショーンはすかさずブーツの上部を握りしめて悪魔を閉じ込め、神への祈りの言葉を囁きました。祈りは悪魔の耳を焼きました。

 

神父は、ブーツに閉じ込められた悪魔に、毎日毎日祈りの言葉を囁き続けました。ついに悪魔は悪さをしないから許してくれ、と言い、許された悪魔は慌てて地獄に逃げていきました。

 

 

ブーツに入った悪魔
John Schorne and the devil in the boot, St Gregory's Church in Sudbury photography by Evelyn Simak_ Creative Commons

悪魔を封印

 

宝石は身につけた人の魂が宿ると言いますが、靴も履いていた人の性質を帯びると考えられていました。靴は決して安いものではありませんでしたから、ボロボロになるまで何度も直しながら履かれていました。皮でできた靴は、履き手の足の形になりました。ですから、その持ち主を探して入ってきた悪霊が、靴をその持ち主だと勘違いして中に入り、ブーツに閉じ込められた悪魔のようにそこに封印されると、人々は信じていたのかもしれません。

 

新婚カップルの後ろに向かって靴を投げるというのも、悪魔が二人が不妊にするのを防ぐために、靴に閉じ込めるからだったようです。

 

 

悪魔は靴の燃えた匂いが嫌い

 

そして、どうもイギリスでは、靴の燃えた匂いは悪魔や蛇を近寄らせないと信じられていたようなのです。それを考えると、靴を煙突の近くに隠す事で、実際には燃やさなくても、その匂いが魔除けの効果を発揮すると考えられていたのかもしれないとのことです。

 

 

見えないところから見えるところへ

 

20世紀になると、使い古した靴の代わりに、お守りが使われるようになるようです。赤ちゃんの靴、またはそのために作られた小さな靴が「幸運を呼ぶために」壁に飾られたり、「幸運や金運を呼ぶ」として暖炉に飾られたりしました。そして、隠される代わりに、見えるところに飾られるようになりました。

 

 

移住民とともに世界へ

 

アメリカやオーストラリアでも同じように隠された靴が見つかっているので、移民たちが迷信をもって海を渡ったのでしょう。

 

現在は靴を飾ることはしないようですが、古い家に住んでいたら、どこかで古い靴が家を守ってくれているかもしれません。

 

 

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:青色はどのように作られたの?

Q:中世のイギリスでは階層によって使う色は違っていたの?

Q:暖炉にも税金がかかったの?

 

―――

 

<参考文献>

 

Cadbury, Tabitha, ‘Materialising Magic in Museums’ in Hidden Charms: Exploring the Magical Protection of Buildings, Transactions of the conference 2018, ed. Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian ( Northern Earth)

Evans, Ian J, 2015 ‘Seeking Ritual in Strange Places: Dead Cats, Old Shoes and Ragged Clothing. Discovering Concealed Magic in the Antipodes’

Heywood, John, 1874, The Proverbs of John Heywood: Being the “Proverbes” of that Author Printed 1546, ed. Sharman, Julian (G.Bell and sons)

Hoggard, Brian, ‘Evidence of Unseen Forces: Apotropaic Objects on the Threshold of Materiality’, in Hidden Charms: A conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016, ed. Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (Northern Earth)

Houlbrook, Ceri, ‘Ritual Recycling and the Concealed Shoes’ in Hidden Charms: A conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016 (Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (eds.), 2016, Northern Earth)

Houlbrook, Ceri, ‘Ritual Recycling and Recontextualization: Putting the Concealed Shoes into Context’, Cambridge Archaeological Journal 23:1, 99-112

Radford, M.A, Radford, E., 2013, Encyclopaedia of Superstitions - A History of Superstition (Read Books Limited)

Howey, Terrie, 2019, Buckinghamshire Folk Tales (History Press)

Roud, Steve, 2006, The Penguin Guide to the Superstitions of Britain and Ireland (Penguin Books Limited)

Stirling, Sophie, 2020, We Did That? (Mango Media)

 


2022年11月6日日曜日

Q:猫は魔除けだったの? 魔除けの歴史

先日ハロウィーンのイベントで、ガイドさんについて街を歩き、街にまつわる幽霊話を聞くツアーに行ってきました。それ自体面白かったのですが、何より私が惹かれたのは、ガイドさん自身の話です。魔女のような風貌の彼女は、15世紀ごろに建てられた家に住んでいるのですが、その煙突の中にミイラ化した猫がいたそうなのです。家を買った時に「猫のミイラ着きだよ」と不動産屋さんに言われたそうです。どうも魔除けだったらしいのですが……。

 

15世紀のイギリスの家
15世紀の家 イメージ

でも、猫は魔女の使い魔ではないのでしょうか?『魔女の宅急便』のキキは黒猫のジジを従えていますし、ハリー・ポッターのハーマイオニーにはクルックシャンクスがいます。そうだとしたら、猫は悪魔の味方なのではないでしょうか?それが魔除けに使われるとはどういうことでしょう?ということで調べてみました。

 

 

ミイラ化した猫は意外に多い

 

実は、ミイラ化した猫は、イギリス中(スコットランドではあまりないようです)で見つかっているようです。煙突の中だけでなく、壁の間、床下、屋根裏など、どう考えても猫が自分の意思で行って死んだとは思えない場所に、多くの場合、家の改装や取り壊しの時に見つかっているらしいのです。中には、生きたまま埋められたと考えられるものも。有名なところでは、ウェストミンスター寺院の壁の中からも見つかっています。

 

猫のミイラ
17世紀のミイラ化した猫 Moyse's Hall Museum

頻繁に見つかるところは、ドアや窓の近く、そして煙突の近くのようです。多くは1518世紀、魔女狩りの時代のものだそうです。1597年にジェームズ一世によって書かれた『デモノロジー(悪魔学)』には、悪霊は窓、ドア、または空気が入るところならどこからでも家に入り込むと書いてあります。電気のなかった当時、夜は真っ暗で、そこに何が潜んでいるかもしれない。病気や不幸があれば、やはり悪霊のせいにしたくなるのはわかります。そして、その闇に続くドアや窓、そして煙突といった開口部は、守るべきところだったのでしょう。

 

ねこのミイラ
ある猫が見つかったところ Moyse's Hall Museum展示パネル
 

猫は魔女の使い魔?

 

でもどうして猫だったのでしょう?猫は魔女の使い魔ではないのでしょうか?

 

実際、1556年のイギリス南東部、チェルムズフォードの魔女裁判の記録には、「Sathan(サタン)」という白ぶちの猫が魔女のかわりに仕事をし、その見返りに血を求めていたことが書いてあります。

 

ところが、イギリスで猫が主要な魔女の使い魔として扱われるようになったのは、19世紀後半になってのことのようです。それまではもっと小さな動物(おそらくヒキガエルなど)が好まれていたそうです。

 

 

黒猫は幸運の印

 

事実、黒猫は幸運の印でした。南イングランドでは、黒猫を飼うと娘が嫁にいけると言われていましたし、ミッドランドでは、幸運を呼ぶ結婚祝いとして黒猫が渡されていました。ただし、未婚の女性が猫の尻尾を踏んでしまったら、その先一年は結婚できないと言われていました。

 

スカーバラでは、船乗りの妻が黒猫を飼っていると、夫が無事に戻って来ると信じられていましたが、もしその船乗りの乗った船に2匹の黒猫が乗船していたら、それは縁起が悪いと考えられていました。

 

 

悪霊を捕まえる?

 

ペットとして猫を飼っているとつい忘れがちですが、猫はずっとねずみ捕りとしての役割を果たしてきました。愛犬家の友人が16世紀に建てられた素敵なファームハウスに住んでいるのですが、ご主人にねずみ捕りとして猫を飼うべきだと言われて、今は3匹の犬と2匹の猫と一緒に住んでいます。

 

夜行性ですばしこく獲物を捕まえる猫は、闇の世界の悪霊も同様に捕まえると信じられていたのでしょう。

 

 

魔女は猫に変身する?

 

おもしろいことに、スコットランドのハイランドには、エルフィンキャットもしくはキャットシー(Cat sith)と呼ばれる猫の言い伝えがあります。それは大型犬の大きさで、黒く、胸に白い斑があり、背中が丸まって毛が逆立っているそうです。人々は、それが魔女が変身したものと信じ、恐れていました。ちなみに、ハリー・ポッターのマクゴナガル先生は猫に変身しますが、彼女はスコットランド人なので、エルフィンキャットの伝説がモデルになっているのでしょう。スコットランドに猫の魔除けが少ないのは、スコットランドでは猫は悪魔の側にいると考えられていたからかもしれません。

 

エルフィンキャット
エルフィンキャット想像画

 

魔除けの効果は?

 

ところで、魔除けは本当に効果があるのでしょうか。実は結構今でも効力があると思っている人が多いようです。というよりも、その魔除けを取り除いたら悪い事が起こったので、魔力があるのだと信じたという人が。

 

Brian Hoggardは、魔除けに関する会議Hidden Charms Conferenceの会報の中で、ウスタシャーにある、16世紀に建てられたナショナルトラストの建物の例を出しています。そこの厩の上階は召使が使っていたようなのですが、そこを新しくアパートメントに改装していた時、大工たちが壁の間、梁の上に座ったままミイラ化した猫を見つけたそうです。それを捨てろと言われて仕方なく廃棄物入れに捨てに行った人は、戻ったら、新しくはめた漆喰パネルが頭のうえに落ちてきて、頭を切る怪我をしたそうです。その人は猫の呪いだと信じているとのこと。

 

最初にお話ししたガイドさんも、「邪気は感じないのよ」と言いながらも、今も大事に箱にいれて屋根裏部屋に大切にしまっているそうです。

 

次回は、同じく隠された靴について書いてみたいと思います。

 

 

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―――

 

<参考文献>

 

Dunwich, Gerina, 2018, Your Magickal Cat: Feline Magick, Lore, and Worship (Citadel Press)

Guiley, Rosemary, 2010, Encyclopedia of Witches, Witchcraft and Wicca (Facts On File, Incorporated)

Hoggard, Brian, ‘Evidence of Unseen Forces: Apotropaic Objects on the Threshold of Materiality’, in Hidden Charms: A conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016 (Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (eds.), 2016, Northern Earth)

Howey, M. Oldfield, 2003, The Cat in Magic and Myth (Dover Publication)

King James I, 1597, Daemonologie: In Forme of a Dialogie Diuided into three Bookes (Robert Walde-graue, printer to the Kings Majestie)

Roud, Steve, 2006, The Penguin Guide to the Superstitions of Britain and Ireland (Penguin Books Limited)

 

2022年8月7日日曜日

Q:イギリスにはプリンはなかったの? プリンの歴史2

前回に引き続き、プリンの歴史をみていきたいと思います。

 

 

イギリスのプリンはフランスから?

 

実は、不思議なことに、カラメル味のプリンに相当するものは、イギリスではクレームブリュレかクレームカラメルです。ご存じだと思いますが、クレームブリュレは、カスタードの上に砂糖を焦がした硬いカラメルの層がのっています。クレームカラメルは、要するにプリンで、カラメルをカスタードの下に入れて火を入れるので、カラメルはソースとなります。ちなみに、どちらもフランス語です。日本のプリンがプディングからきたとしたら、どうしてイギリスではフランスからの輸入ものなのでしょう?

 

クレームカラメル
クレームカラメル

 

 

18世紀のクレームブリュレ

 

クレームブリュレがイギリスに紹介されたのは、1702年だと考えられています。フランス人シェフFrancois Massaialot1691年に出版したレシピ本『Cuisinier royal et bourgeoisが、その年に英語に翻訳され、イギリスで出版されました。その中で、クレームブリュレがそのまま直訳され「Burnt Cream」として紹介されています。その中ではバニラではなく、シナモンとレモンの皮そしてレモンピールで風味付けをしています。そして、カスタードが固まったら、その上に砂糖をちりばめ、暖炉の灰をすくうのに使われる小さなシャベルを熱して、それで砂糖を焦がします。

クレームブリュレ
クレームブリュレ
  

1788年に出版されたElizabeth RaffaldThe Experienced English Housekeeper』の中にも、「Burnt Cream」のレシピが載っています。このレシピでは、カスタードをオレンジのフラワーウォーターで風味付けをしています。砂糖を焦がすには、サラマンダーという、料理用の焼き色付け器を使うと書いてあります。

 

サラマンダー
Iron salamander, probably English, 18th century (Creative commons)

 

ケンブリッジ大学のバーントクリーム

 

ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジには、大学の紋章を焼き付けた「トリニティ・クリーム」というクレームブリュレがあります。「ケンブリッジ・バーントクリーム」とも呼ばれるこのデザートは、1879年からトリニティ・カレッジの学食で出されています。一説によると、ある学生が、スコットランドのアバディーンに行った時に口にし、レシピを持ち帰って、学食のシェフに作ってくれるよう頼んだとか。スコットランド女王メアリー・スチュアート(15421587)はフランスで育っているので、もともとは彼女が持ち帰って、スコットランドで作られていた可能性があるかもしれないとのこと。もちろん、そのスコットランドのシェフが、Francois MassaialotElizabeth Raffaldのレシピを見て作っていた可能性もあります。

 

Photograph by Rafa Esteve (Wikimedia commons)

 

バニラ味のカスタード登場

 

ところで、1859年の『Modern cookery, for private families』には、「French custards or creams」として、オーブンで湯煎をするやり方を紹介しています。そして、このレシピでは、風味付けにバニラが使われています。おそらく、これが一番プリンに近いレシピではないかと思います。また、全く別の項目ですが、「caramel」の作り方も載っています。記述から、すでにプロの製菓職人はカラメルを作って、ぺーストリーやヌガーに使っていたことがわかります。

 

 

カラメルの語源

 

ちなみに、カラメルはフランス語から英語になったようですが、その元はスペイン語の「caramel (現代の言葉ではcaramelo)」。そして、それはおそらくラテン語の「canna(サトウキビ)」+「mellis(ハチミツ)」からきているのではないかということです。そして、それはもとをただせば、アラビア語からきているかもしれません。

 

 

カラメル味のカスタード

 

1884年にアメリカで出版された『Hand-book of Practical Cookery: For Ladies and Professional Cooks: Containing the Whole Science and Art of Preparing Human Food』の中におもしろいレシピを見つけました。これを書いたPierre Blotはフランス人で、30代の時にアメリカに移住しました。「Creams or Crèmes au Citron」のレシピの中に、レモンではなく、「burnt sugar(焦がした砂糖)」で風味付けをする方法が載っています。その方法では、まずカラメルを作り、牛乳にそのカラメルを入れて熱して、カラメル味のカスタードを作ります。さらにはそれにローズウォーターやオレンジフラワーウォーターを加えています。

 

これが、私が見た最初のカスタード+カラメルのレシピです。

 

 

クレームブリュレの起源はスペイン?

 

実は、カラメル味のカスタード菓子の起源については、食歴史家の間でも意見が分かれるところなのです。

 

スペインのカタルーニャ地方には「Crema Catalana」というお菓子があります。それが最初に紹介されたのは『Libre de Sent Soví』(1324年)だそうです。Crema Catalana」もシナモンとレモンで風味付けをします。そして、クレームブリュレと同じく、上にまぶした砂糖を焦がします。

 

1691年のFrancois Massaialotのレシピも、現在のようにバニラではなく、シナモンとレモンで風味付けをしているところを見ると、やはりフランスのクレームブリュレは、もともとスペインからきたのかもしれません。また、前回書いたように、現在スペイン語でプリンを指す「flan」が、イギリスの中世ではカスタード/チーズケーキのようなものを指していたことを思えば、やはりプリンはスペイン生まれなのでしょうか。

 

 

日本のプリンはポルトガルからきた?

 

日本のプリンの語源ですが、私は個人的には、ポルトガル語の「pudim」からきたのではないかと思っています。Pudim flan(プディム・フラン)はまさにプリンのようなようなもので、「プディム」と「プリン」は音が似ているからです。ご存知のように、鎖国前はポルトガル船が日本に何度も来ていますし、鎖国中は交易はなかったものの、1860年に日葡和親条約と日葡修好通商条約を結んでいます。食文化研究家の畑中三応子氏によると、「プリン」と呼ばれる前には「プデン」と呼ばれていたこともあるそうですから。

 

プディムフラン
プディム・フラン

 

ポルトガルのプディムはイギリスから?

 

面白いことに、ポルトガルのpudimという言葉は英語のpuddingを語源としているようです。「pudim」の意味を英語で調べてみると、「卵、小麦粉、ミルクを使って作られたスイーツ」となります。ですから、「プディング」はもともとはイギリスから、「カスタードプディング」のこととして紹介されたのではないかと思います。料理研究家のClarissa Dickson Wrightは、イギリスのカスタードタルトとポルトガルのパステル・デ・ナタが似ている(生地は全く違いますが)ことから、チャールズ二世のキャサリン王妃が、チャールズの死後ポルトガルに帰った時に、レシピを持って帰ったのではないかと推測しています。キャサリン妃は、以前書いたように、イギリスに紅茶を広めた当人。もし彼女が紅茶をイギリスに広めて、カスタードを使ったデザートをポルトガルに持って帰ってきていたら? 想像が膨らみます。

 

地理的にいって、スペインからプリンが入ったと考えるのが自然ですが、スペインから「フラン」が紹介された時にはすでに「プディム」がイギリスから紹介されていたのかもしれませんね。ですから「プディム・フラン」なったのかと。

 

 

プリンは文化の混じり合ったもの?

 

このように、イギリスのカスタード+カラメルデザートはフランス経由できたようですが、プリンは、様々な文化が交わった結果なのかもしれませんね。

 

 

P.S.スペイン・ポルトガルの文化に詳しい方、ご教示ください!

 

*ご興味があれば、こちらもどうぞ*

Q:プディングとはソーセージ?デザート?
 

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―――

 

<参考文献>

 

Acton, Eliza, 1859, Modern cookery, for private families (Longman, Browns, Green, Longmans, and Roberts)

Andrews, Colman, 1997, Catalan Cuisine: Europe’s Last Great Culinary Secret (Grub Street)

Blot, Pierre, 1884, Hand-book of Practical Cookery: For Ladies and Professional Cooks: Containing the Whole Science and Art of Preparing Human Food (D. Appleton)

Dickson Wright, Clarissa,2011, A History of English Food (Random House)

Divar Campos, Eba, 2019 Elaboración de masas y pastas de pastelería – repostería (Ediciones Paraninfo, S.A)

Massaialot, Francois, translated by J.K., 1702, The Court and Country Cook (A. and F. Churchill and Mr Gillyflower)

Paston-Williams, Sara, 2007, Good Old-Fashioned Puddings (Pavilion Books)

Raffald, Elizabeth, 1788, The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c. (A. Millar, W. Law and R. Cater)

 

Cambridge Dictionary

Online Etymology Dictionary

Trinity College Cambridge website

WordSense Dictionary

 

畑中三応子「欧米には存在しない」純国産菓子プリンが固めレトロに回帰するまで」(President Online 2021729日)

 

Pudimのレシピはこちらを参考にしました。

http://portuguesediner.com/tiamaria/easy-caramel-flan/

 

 

2022年6月19日日曜日

Q:カスタードプディングってプリンなの? プリンの歴史

前回プディングについて書きましたが、今回は、日本人の私たちにとって一番身近なプディング、プリンについて書いてみたいと思います。

 

 

プリン日本上陸

 

プリンの語源は英語の「カスタードプディング」だと言われています。西洋料理が日本に紹介された初期に出版された1872年の『西洋料理通』で、「プディング」は「ポッティング」として紹介されています。『西洋料理通』は、横浜に居留していたイギリス人が、日本の傭人に料理を命ずる時の控え帳をもとに、仮名垣魯文が出版したものです。プディングボウルに入れ茹でていますが、これはプリンとは別物のようです。

 

食文化研究家の畑中三応子氏によると、同年に出版された『西洋料理指南』に、卵黄、牛乳、砂糖だけで作る名無しのレシピが載っているそうです。その後さまざまな名前で記述されていたのが、明治終盤に「プリン」という名に落ち着いたそうです。

 

ということで、今回はプリンの歴史を追うために、カスタードプディングを調べてみました。

 

プリンの歴史
 

カスタードの歴史

 

まず、「カスタード」の部分の歴史を調べてみました。

 

カスタードに似たようなものは、古代ローマ時代にもあったようです。「“Cheese” patina」と呼ばれるものです。当時は砂糖の代わりにはちみつを使いました。

 

 

カスタードはフラン?

 

イギリスでは、1418世紀には、カスタードまたはチーズケーキのようなものがあり、「flawn」と呼ばれていたようです。「“Cheese” patina」に似たようなものかもしれませんが、残念ながら、「flawn」のレシピを見つけることはできませんでした。

 

flawn」はその後「flan」になり、19世紀にはタルトのことをさすようになります。

 

flawn」はもともと古フランス語の「flaon」からきたようなのですが、面白いのは、「flan」は現在スペインではプリンのことをいうようなのです。スペインの歴史はわからないので、いつから「flan」がプリンのことをさすようになったのかわかりませんが、関連が気になります。

 

 

カスタードの語源

 

Oxford English Dictionaryによると、カスタード(custard)の語源は、中英語の「crustade」で、これはさらにフランス語の「croustade」からきているようです。「crustade」も「croustade」も(ペーストリー生地でできた)パイのことです。閉じないので、どちらかというとタルトのようなものだったと思います。

 

1390年ごろに書かれた『Form of Cury』には、「肉のcrustade」と「魚のcrustade」のレシピが載っています。

 

 

15世紀のカスタード

 

私が見たカスタードの一番古いレシピは、1450年頃に書かれたレシピ本の中にありました。「Custard lumbardeは、coffynと呼ばれるペーストリー生地にカスタードとフルーツを入れて、オーブンで焼くものです。

 

このcoffynこそ、もともとはcroustadeだったのではないかと思います。カスタードはペーストリーに入れて焼くものだったからこそ、その名前がついたのかもしれません。

 

ちなみに、以前に書きましたが、イギリスでは、富裕層の人たちはペーストリー生地は食べずに、中身だけ食べ、生地は貧しい人たちに与えていましたから、このレシピでも便宜上ペーストリーに入れて焼いたものの、もしかしたら、富裕層の人たちはカスタードしか食べていなかったかもしれません。

 

 

焼きカスタード

 

その後も、「焼きカスタード」は、時代を通してレシピ本に載っています。今でもタルト形に入れて焼いた「カスタードタルト」は人気です。

 

カスタードタルト
カスタードタルト

 

カスタードプディングの歴史

 

では、「カスタードプディング」はどうでしょう? 前回のおさらいですが、「プディング」というのはもともと、動物の内臓に何かを詰めたのを茹でたものでした。17世紀の前半には、動物の内臓の代わりに、布を使うようになりました。

 

カスタードを「茹でる」という感覚がどうも理解できなかったのですが、茹でカスタードプディングのレシピがありました。18世紀のレシピで実際に作ってみましたが、布にバターをたっぷり塗り、その上に粉をたっぷりふるうのが、コツのようです。

 

 

17世紀の茹でカスタードプディング

 

1671年の『The Accomplisht Cook, or The Art and Mystery of Cookery』には「茹でるクリームプディング」のレシピが載っています。作り方は、クリームにメース、ナツメグ、ジンジャーを入れて沸騰させ、そこに卵(白身の半分はあわ立てたもの)、アーモンド、ローズウォーター、砂糖、粉を入れ、布に入れて茹でるというものです。

 

これに、甘口のサックワイン(酒精強化ワイン)、砂糖、バター、卵黄、アーモンドで作ったソースをかけていただきます。私たちの知っているプリンとはかなり違います。

 

これよりも昔のレシピが見つからなかったので、カスタードプディングは、プディングに布が使われるようになってからできたレシピなのかもしれません。

 

 

18世紀の茹でカスタードプディング

 

1795年の『The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c.』に載っている「茹でカスタードプディング」を紹介しましょう。まず、クリームにシナモンスティックと砂糖を入れて沸騰させます。冷めたらそこに卵黄を入れ、弱火で結構固くなるまで掻き回しながら温めます。冷めたらバターを塗り粉をふった布に入れ、四十五分茹でます。白ワインと砂糖のソースに粉でとろみをつけ、バターを加えたソースでいただきます。

 

布に入れてそのままお湯に入れるので、カスタードを作ってから茹でるのですが、とても濃厚なカスタードという感じです。(ちなみに出来上がったものは、とてもお見せできるしろものではありませんでした。温度が低すぎたのかもしれません……)


プリンの歴史
カスタードを布に入れたもの

 

19世紀の茹でカスタードプディング

 

エリザ・アクトン1855年の『Modern cookery, for private families』の中で、カスタードのように、水が入るとだめになるものは、茹でるよりも蒸したほうがいいと言っています。彼女以降の茹でプディングのレシピでは、型に入れて、お湯をはった鍋の中に入れ、茹でています。

 

前回述べたように、プディングボウルで知られるMason Cashは、1800年代初頭よりプディング用のボウルを作っています。

 

プリンの歴史
布がつからない程度までお湯をはった鍋の中にこのまま入れて茹でる

 

彼女の「Common custard puddingのレシピは、卵に牛乳、砂糖、フレーバーを加えたものを茹でます。フレーバーにはレモンブランデー、ラティフィア(甘いお酒)を加えたり、レモンやオレンジで香り付けをした砂糖を使うことを勧めています。プディングには、甘いソースや、スグリ、干しぶどう、さくらんぼを煮たものを添える、と書いてあります。

 

18世紀のものとは違い、ボウルに材料を入れてそのまま茹でる(湯煎にする)のですが、クリームの代わりに牛乳、卵黄の代わりに全卵を使うので、かなり軽く、確かにプリンに似た食感です。

 

カスタードプディング
カスタードプディング、ラズベリーソースがけ

 

日本のプリンと違うイギリスのカスタードプディング

 

このように、19世紀の茹でプディングはプリンに似ていますが、茹でカスタードプディングは、日本のプリンとはちょっと異なります。やはり一番違うのは、カラメル味でないことでしょう。ほぼすべてのレシピがレモンかシナモンを使っており、ワインソースかフルーツソースをかけていただきます。

 

では、イギリスではカラメル味のプリンのようなものはなかったのでしょうか? それは次回に見てみたいと思います。

 

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―――

 

<参考文献>

 

Acton, Eliza, 1859, Modern cookery, for private families (Longman, Browns, Green, Longmans, and Roberts)

Austin, Thomas, ed., 1964, Two fifteenth-century cookery-books : Harleian MS. 279 (ab 1430), & Harl. MS. 4016 (ab. 1450), with extracts from Ashmole MS. 1439, Laud MS. 553, & Douce MS. 55 (the University of Michigan Library website e-book)

Bailey, Nathan, 1753, An Universal Etymological English Dictionary (R. Ware, W. Innys, and J. Richardson, et al.)

May, Robert, 1671, The Accomplisht Cook, or The Art and Mystery of Cookery (Gutenberg ebook)

McGee, Harold, 2007, On Food and Cooking: The Science and Lore of the Kitchen (Scribner)

Raffald, Elizabeth, 1788, The Experienced English Housekeeper, for the Use and Ease of Laides, Housekeepers, Cooks, &c. (A. Millar, W. Law and R. Cater)

The Master Cook of King Richard II, translated by Samuel Pegge, c.1390, THE FORME OF CURY (The Project Gutenberg Ebook)

魯文編 1872 『西洋料理通』 萬笈閣 (国立国会図書館デジタルコレクション)

 

Oxford English Dictionary

Mason Cash website

畑中三応子「欧米には存在しない」純国産菓子プリンが”固めレトロ”に回帰するまで」(President Online 2021年7月29日)