2023年2月14日火曜日

Q:クリスマスプディングは大英帝国の象徴だったの?――クリスマスプディングの歴史

前回プラム・プディングがどのようにクリスマスプディングになったのかをご紹介しましたが、実はプラム・プディングは非常に政治的なのです。

 

 

プラム・プディングを作ったら投獄する?

 

以前にミンスパイの記事でも触れましたが、イギリス内戦中の1647年に、議会がクリスマスを含む祭事を禁止しました。ほとんどの人はその禁止令を無視しましたが、敬虔な清教徒であったカンタベリーの市長は、それを市民に強要しました。クリスマスの日も通常通りに営業すること、そして「プラム・プディングを作ったら、投獄する」と言ったとか言わなかったとか。市長の高圧的な態度に怒った人々は、クリスマスの日に営業していた店を攻撃、そこから状況がどんどん悪化し、暴動へと発展。そして議会派と王党派の戦いが繰り広げられることになりました。似たような暴動は他でも起こり、それは「プラム・プディング暴動」と呼ばれています。

 

 

プラム・プディングはイングランドの象徴

 

このように、国内での反対勢力に対する武器として使われただけでなく、国を象徴するものとしても、プラム・プディングは使われました。

 

前回書いたように、プラム・プディングは、もともとローストビーフと一緒に食べられていました。以前に書いたように、ローストビーフはイギリスの象徴でした。

 

1781年に出版された風刺画『Seven Prints of the Tutelar Saints(守護聖人7枚の版画)』では、それぞれにイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、スペイン、イタリアの守護聖人が描かれています。

 

イングランドの聖ジョージは右手にビール、左手には牛肉が刺さった刀を持っています。そして聖ジョージが乗っているのがイギリスを象徴するライオンで、そのライオンの前足の下にはプディングがあります。その下の文章には「素晴らしいイギリスのごちそう、見事なサーロイン、濃厚なプディング、ストロングビールを持った聖人」と書いてあります。レーズンのようなものが入ったその見かけとローストビーフとの関連から、このプディングがプラム・プディングだとわかります。

 

 

プラム・プディングの危機

 

プラム・プディングは国内政治だけでなく、国際政治でも活躍します。

 

1805226日に、ジェームス・ギルレイの風刺画『The Plumb-pudding in Danger – or – State Epicures taking un Petit Souper(プラム・プディングの危機――または――ちょっとした夜食をとる快楽主義的政治家たち)』が販売されました。当時の英国首相ウィリアム・ピットと「フランス人民の皇帝」に就いたばかりのナポレオン・ボナパルト。この風刺画では、プラム・プディングが地球を象徴しています。ナポレオンはヨーロッパ征服を目指していました。ですから、ヨーロッパを切り取ろうとしています。対してイギリスは海軍が強く、世界中に植民地を持っていたので、もっと大きなスライスを切り取ろうとしています。どちらにしても、両国とも、世界征服が最終的な目的だったでしょう。

 

The_Plumb-Pudding_in_Danger;–or–State_Epicures_Taking_un_Petit_Souper_MET_DP809028 (public domain)
 

ナポレオンはイギリス征服の野心があり、1789年から二国は断続的に戦争状態にありましたが、180512日、彼はイギリス国王に和平を提案し、その中で「世界は我々二国が共存するに十分な大きさである」と書いています。この文書は215日にタイムズ紙で公開されたそうです。ギルレイはそれをひねり、この風刺画の中に、「『巨大な地球そのもの、そしてその地上にあるものすべて』は、飽くことをしらない食欲を満たすのには小さすぎる」と書いています。ちなみに「巨大な〜」の部分は、シェイクスピアの『テンペスト』からの引用です。

 

これは私の解釈ですが、プラム・プディングがイギリスを象徴していたとすると、このタイトル『プラム・プディングの危機』は、「イギリスが植民地に目がいっている間に、ナポレオンがイギリスを食べてしまうかもしれないよ」という気持ちが入っていたかもしれません。ピットもナポレオンもイギリスを切り取っていないところを見ると、最終的にどちらがとってもおかしくないからです。

 

事実、イギリス軍の正規軍は、自国だけでなく、世界中の植民地に駐屯していました。そのため、フランスからの脅威に備えるため、ピット首相は国内の義勇軍を充実させようとします。それを揶揄して、1805221日に、議員のウィリアム・ウィンダムがこう言いました。「人さえいれば軍隊ができると思うのは、粉と卵とバターとプラムがあればプラム・プディングができると思うのと同じだ」。つまり、植民地に兵を送っているがために、自国を守れないかもしれないという危機感があったということです。

 

大英帝国植民地 The_British_Empire_(including_Crown_Dependencies,_Crown_Colonies-Overseas_Territories,_Protectorates,_Military_Administrations)(wikimedia commons)
 

 

プラムは鉛の玉

 

また、面白いのは、プラムの綴りです。実は、プラム・プディングは「plum pudding」ではなく「plumb pudding」と書かれることが多く、ここでも「plumb」となっています。

 

調べてみると、1675年の『The Whole Body of Cookery Dissected』でもプラムのことは「plumb」となっており、フルーツ自体そういう綴りが使われていたことがわかります。識学率の低かった昔は、綴りも統一されていなかったでしょうし、方言のように、地方で違う綴りを使っていたこともあるでしょう。18世紀、19世紀には「plum」と「plumb」と両方とも使われています。

 

plumb」を英和辞書で調べてみると「おもり」とでてきますが、昔は「(大砲などの)鉛の玉」という意味もありました。19世紀の作家チャールズ・ラムは、「私はいつもplumb puddingと書く。P-l-u-m-b。その方がもっと丸々として濃厚に聞こえるからだ」と書いています。これも私の解釈ですが、ギルレイは、あえてこの綴りを使うことで、戦争を連想させていたと思われます。

 

 

戦地でもプラム・プディング

 

プラム・プディングは戦地にも送られました。帝国戦争博物館(Imperial War Museum)には、第一次世界大戦中1914年にArmy & Navy Co-operative Societyによって作られたプラム・プディングの缶詰があります。また、第一次世界対戦中には、「Happy Christmas」の言葉と共にプディングに同盟国の旗が刺さったデザインのクリスマスカードが送られました。

 

1914 tin of plum pudding for WW1 © IWM EPH 9389
  

プラム・プディングは大英帝国の象徴

 

プラム・プディングはイギリスのみならず、大英帝国の象徴にもなりました。

 

1924年から1925年にかけて、ロンドンのウェンブリーで大英帝国博覧会が行われました。植民地各国の文化を紹介し、英国帝国の素晴らしさを宣伝したこのイベントでは、2700万人の入場者数を記録しました。

 

Cover_of_the_souvenir_programme;_British_Empire_Exhibition_Wellcome_L0041467 (Wikimedia Commons)
 

勢いを得たオーストラリア、カナダ、ニュージーランドは、その後自分たちの産物をイギリス大衆に売ろうと、大々的なマーケティングキャンペーンを行います。

 

大英帝国博覧会の終了直後の119日のロード・メイヤー・ショウ13世紀から続く毎年恒例のロンドンシティの市長就任パレード)で、オーストラリアは、巨大なクリスマスプディングにカンガルーとエミュと牛のついた山車を出しています。そして「Make your Christmas pudding an Empire one(あなたのクリスマスプディングを帝国のものにしよう)」というバナーのもと、オーストラリアのドライフルーツを売り込みました。

 

同時に、オーストラリアのドライフルーツ局(Australian Dried Fruits Board)がイギリスのDaily Mail紙に第一面全面広告を出し、オーストラリアのレーズン、カラント、サルタナを使った「帝国プラム・プディング」のレシピを紹介しています。

 

 

大英帝国クリスマスプディング

 

1926年に発足した大英帝国通商局Empire Marketing Board)は、そのアイデアを更に発展させ、帝国内の産物のみでできた「帝国クリスマスプディング(Empire Christmas Pudding)」を作り、クリスマス前にジョージ五世に献上しました。

 

後に掲載されたレシピによると、レーズン、カラント、サルタナはオーストラリアか南アフリカ、りんごはイギリスかカナダ、パン粉、スエット、小麦粉はイギリス、ピールは南アフリカ、砂糖とプディングスパイスは英領西インド諸島または英領ギアナ、卵はイギリスかアイルランド自由国(1949年に英国から離脱)、シナモンはインドかセイロン(現スリランカ)、クローヴはジンバブエ、ナツメグは英領西インド諸島、ブランディはオーストラリア、南アフリカ、キプロス、またはパレスチナ、ラムはジャマイカまたは英領ギアナ、ビールはイギリスかアイルランド。

 

The_Empire_Christmas_Pudding Empire Marketing Board. Library and Archives Canada, e010758986  Creative Commons
 

19261220日、それぞれの国の材料が一つ一つ進呈され、仰々しくカメラの前でクリスマスプディングが作られました。実は、どうも、もともとこの日のレシピにはブランデーは含まれていなかったようで、キプロスの行政官が「クリスマスプディングにはブランデーソースが必要なので、それを提供する」と申し出て、14ポンド(約6.3kg)のクリスマスプディングは、ブランデーと共に馬車で国王に届けられました。この記録は帝国内の映画館で上映されました。そのレシピは公開され、ジョージ5世が家族と共にクリスマスプディングを楽しむ様子は「イギリス帝国団結の象徴」だと言われました。これは翌年にも繰り返されました。

 

 

コロナ禍でも使われるプラム・プディングのモチーフ

 

ところで、ギルレイの風刺画のモチーフは未だに政治風刺画家によって使われています。コロナ禍でも、ディビッド・ロウが、コロナになったプラム・プディングを囲んで困惑している世界のリーダーたちを描いたり、エマ・ヘンウッドが、プラム・プディングの形をしたアストラゼネカのワクチンを独り占めするイギリスの首相ボリス・ジョンソンと、悔しがるフランスのマクロン大統領を描いたりしています。

 

 

クリスマスプディングがまた人気に?

 

2021年の売り上げが2017年に比べ、800万個以上から650万個以下へと、30%も落ちていたクリスマスプディング。一時は大英帝国を象徴するまでになったプディングも、現代人の味覚には重く、古臭いものになってきていました。クリスマスプディングのかわりに、イタリアのパネトーネがスーパーの棚のスペースを占めるようになってきていました。

 

ところが、2022年には前年よりも売り上げが約100万個多かったらしいのです。2022年の売り上げの伸びは、オレンジ&唐辛子、チェリー&オレンジなど新しいフレーバーが貢献しているとのことです。生活費の急上昇で大変な状況にあるイギリスですが、もしかしたら、なつかしい味に過去の栄光を見出し、ひとときの安心感を求めたのかもしれませんね。

 

 

 

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<参考文献>

 

A Citizen there, to his friend in London, 1648, Canterbury Christmas or, a true relation of the insurrection in Canterbury on Christmas day last, with the great hurt that befell divers persons thereby (Humphrey Harward)

Bamford, Vince, “The Christmas pudding does not always appeal to the younger generation” in British Baker website 30 November 2022

Bamford, Vince, “Christmas pud sales up by a million after years of decline” in British Baker website 12 January 2023

Barnes, Felicity, 2022, Selling Britishness: Commodity Culture, the Dominions, and Empire (McGill-Queen’s University Press)

Bradley, Richard, 1727, The Country Housewife and Lady’s Director (Woodman & Lyon)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast: Festive Food Through the Ages (Profile Books)

Linch, Kevin Barry, 2001, “The Recruitment of the British Army 1807-1815”, PhD Thesis, The University of Leeds

Mollard, Johan, 1807, The Art of Cookery Made Easy and Refined (Author)

Parry, Nathaniel, 2022, How Christmas Became Christmas: The Pagan and Christian Origins of the Beloved Holiday (McFarland, Incorporated, Publishers)

Rabisha, William, 1675, The Whole Body of Cookery Dissected (Francis Smith)

Shanahan, Madeline, 2019, Christmas Food and Feasting (Rowman & Littlefield Publishers)

The Cyprus Agricultural Journal: A Quarterly Review of the Agriculture, Forestry and Trade of Cyprus Volumes 20-22, 1925 (Cyprus Agricultural Journal office)

Tomlinson, Sally, 2019, Education to Race from Empire to Brexit (Policy Press)

Windham, William, Amyot, Thomas, 1812, Speeches in Parliament, of the Right Honourable William Windham (Longman, Wurst, Rees, Orme, and Brown, Paternoster-Row; and James Ridgway)

 

 

British Museum website

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Oxford English Dictionary

Plymouth University website

Theprintshopwindow.wordpress.com

 

The Lord Mayors Show Aka The Lord Mayor Show (1925) https://www.youtube.com/watch?v=cf8DmwLYzmg (0:31-0:37)