2015年10月5日月曜日

Q:フレンチドレインって何?


うちは坂の中腹に位置しており、正面が一番低く、庭側が高くなっています。庭も奥に行く程高くなっています。庭側に面しているダイニングルームの下の方の壁には、しみができています。 

 

役所の保存担当員に来てもらった時にそれを指摘すると、庭の高さが床の高さよりも高いのが原因だそうです。土に含まれる水分が煉瓦の壁を通して入って来てしまうのです。

 

ということで、フレンチドレイン(French Drain)を勧められました。フレンチドレイン?フランスでよく使われている建築方法かしら、と調べてみました。

@モリスの城
 

フレンチドレインって何


フレンチドレインとは建物の基礎にそってトレンチを掘り、その底に素焼きの穿孔管を設置し、砂利でトレンチを埋めたものです。

 

フレンチドレインを作る事で雨水等が基礎を濡らさない様にするのです。日本語では暗渠配管というそうです。

 

 確かにうちの庭側は敷石が建物にくっついている状態で、敷石の上の水分も、敷石の下の土の部分の水分も建物に吸収されてしまいます。ここに砂利を入れ、水分を穿孔管に集めて流す事で、建物は余分な湿気にさらされる事がなくなります。

 
French_drain_diagram (creative commons)
 

フレンチはフランスではなかった!


実は、フレンチドレインの「フレンチ」は「フランス」からきているのではなく、Henry Flagg French1813-1885)というアメリカ人の名前からきています。フレンチは農場主であり、弁護士でした。1874年にはマサチューセッツ農科大(現マサチューセッツ大学)の初期学長になります。

 

1857年にヨーロッパを旅行した彼は、病気の原因が瘴気であると学び、自宅の地下室が定期的に浸水しなければ妻は病死しなかったのではないかと考えます。

 

ヨーロッパでは長い間病気は瘴気が原因だと考えられていました。有名な看護婦のナイチンゲールでさえも下水の匂いが病気の原因になると考えていました。



女性や子供を守る

 

その為、家で長い時間過ごす女性や子供を守る為、訪欧から戻るとフレンチ氏は様々な排水法を検証し、1859年に「Farm Drainage」を出版します。

 

この中で後に彼の名前をとって「フレンチドレイン」と呼ばれることになる地下室の排水法について説明しています。フレンチ氏は地下室の排水法について、「内側の壁から2フィート(60cm)の所にトレンチを掘り、2本の2インチ(5cm)の素焼きの土管を入れ、注意深くタン皮を被せる。そして土で埋める。この土管は地下18インチ(48cm)の排水口につなげる」としています。

 

何故皮をなめす用の樹皮が使われるのでしょう。「French Drain for Health」の著者Steve Andras氏によると、タン皮には鉄細菌の繁殖を防ぐ働きがあるそうなのです。残念ながら現在のフレンチドレインにはタン皮は使われていません。

 

現在はフレンチドレインというと、地下室の中の床に作られるものと、建物の外、基礎のまわりに作られる物と両方意味するようです。


土地の水はけを良くするための排水法は古くから存在していました。ローマ時代の学者達はそろって排水法について書いています。

 

 

沼沢地にまつわるイギリスの伝説


イギリス自体、もともと非常に沼沢地の多い国で、それにまつわる伝説も沢山あります。

 

ウェセックス王アルフレッド大王(849 – 899)はアングロサクソン時代の王様で、デーン人の侵略から国を守りました。

Alfred King of England, 13th c (public domain)

おばさんに叱られた王


878年にアルフレッド大王がChippenhamでクリスマスを過ごしているとデーン人の奇襲に遭います。ほとんどが皆殺しにされた中、王様と一握りの人間で命からがら森や沼地に逃げます。Somerset Levelsと呼ばれる沼地をさまよい、やっとたどり着いた貧しい一軒の家。

 

そこのおばさんに匿われますが、おばさんは王様の素性を知らず、暖炉で焼いているパンの見張りを頼みます。でも大王は疲れと国のかかえている問題への心配とで、うっかりパンを焦がしてしまいます。そしてそのおばさんに叱りつけられてしまいます。

 

その後大王はデーン人相手に抵抗を続け、ついにウェセックスの奪還に成功し、イングランド統一の基礎を築きました。

 

 

ロビンフッドのモデル

 

 それから200年弱。フランスのノルマン人である征服王ウィリアム一世(1027 – 1087)が1066年にイングランド王に戴冠すると、大諸侯達の領土や財産を没収し、配下の騎士達に与えました。

 

William_the_Conquerer_Illumination in the Genealogical Chronicle of the English Kings 13th c (public domain)

サクソン人やデーン人諸侯は反乱を起こし、Hereward theWakeを首領に、ケンブリッジの北部に広がるthe Fensと呼ばれる沼沢地の中にある島イーリーに終結して抵抗を続けました。

 

 Herward the Wake with his second wife Alfruda by Henry Courtney Selous, 1870 (public domain)
 

ノルマン人は沼地に阻まれ苦戦していましたが、イーリー大修道院長の裏切りと手引きでノルマン人兵士はイーリーを攻める事ができ、反乱は鎮圧されました。Herewardはロビン・フッドのモデルの一人であると言われています。

 

 

オランダの排水技術


 このようにイギリスの歴史に根付いている沼沢地ですが、17世紀になると抜水され、農地へと変えられます。抜水排水技術が発達し、オランダからも技師が呼ばれて大規模な抜水農地化が勧められます。フレンチ氏が著書の中で述べている様に、19世紀前半にはイギリス各所で多孔土管が農地の排水用に使われています。

 

 

何故フレンチなのか不明


これだけイギリスで排水技術が発達しているにもかかわらず、何故フレンチドレインがフレンチ氏の名前をとられたのかわかりかねたのですが、もしかしたら建物に適用されるようになったのは彼の勧めがあったからかもしれません。フレンチドレインのイギリスでの使用の歴史については資料がなかなかみあたらなかったので、もう少しリサーチが必要です。



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