この家に引越してきて見つけたのが、道路に面する1階の窓の両脇についているよろい戸でした。窓枠の上にはカーテンがかかっていて、夜もカーテンを閉めていたため、よろい戸を使う事もなく、窓枠自体もカーテンの影に隠れてみえなくなっていました。
最近になってよろい戸は外の音を遮断し、断熱の働きもあると知りました。そしてせっかくこの家にもともとある興味深い物なのに、見えないなぁ、と思い、カーテンをとりはずしました。
そこで思いました。当時はよろい戸を使っていてカーテンをしていなかったのじゃないかしら? 早速よろい戸について調べてみました。
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雨戸の役割だけではない
以前にも書きましたが、窓ガラスがまだ高価で普通の人が入手できなかった時にはガラスの代わりに動物の皮、羊皮紙、布、油紙を窓に貼ったり、木製のよろい戸を使っていました。よろい戸は雨風をよけるだけでなく、昆虫や鳥が家の中に入らないようにしたり、直射日光から家具を守ったり、プライバシーを守ったり、そしてもちろん侵入者から守る役割もしていました。
初期のよろい戸
初期のよろい戸は簡単なもので、木の板を小角材で留めてあり、鉄製の蝶番がついていました。なかには横に開くものだけでなく、上や下に向かって開くものもありました。内側には鉄製の掛け金がついておりしっかりと閉められるようになっていたと思われています。
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城郭では防御用の狭間にはもしかしたら厚いカーテンが使われていたかもしせませんが、閉められる様にはなっていませんでした。大きめの窓は木製のよろい戸があったか、羊皮紙もしくは山羊皮紙がはられていました。
14世紀頃から17世紀後半まではダイヤ型に仕切られた窓がはめられるようになりましたが、窓ガラスは高価だったため、ガラスははめられておらず、そのかわりに引き戸や、場合によっては蝶番のついたよろい戸が使われました。
窓ガラスを守る為のよろい戸
中世のお店には建物の外側によろい戸がついていましたが、普通の家は中についていました。
13世紀のGuildford CastleのQueen’s Chamberの様に、窓ガラスが使われるようになった初期の頃には、窓ガラスを守るために家の外によろい戸をつけました。
引き戸も
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一度は消えたがまた復活
16世紀後半から17世紀後半にかけて、窓ガラスの普及と共によろい戸が使われなくなったとされています。
1680年代になると、木製のパネルが蝶番でつながった形のよろい戸が使われる様になります。
収納できるよろい戸
ジョージ朝,特に18世紀から1840年代までは窓のデザインに取り込まれたよろい戸が一般的になります。窓枠の両側によろい戸が収納できるようになっています。
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窓の広さにより、片側が2枚のパネル、反対側が1枚のパネルの場合もありますし、両方共2枚のパネルで成り立っている場合もあります。片側が3枚で反対側は1枚の場合もありました。
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よろい戸があまりに一般的だったので建具屋が大量生産し、とりつけの時に調整したので、中にはシンプルな板が含まれている場合があります。ほとんどのよろい戸は松の様な柔材が使われ、通常緑のペンキで塗られていました。
おしゃれになったよろい戸
17世紀後半から18世紀初頭にかけては装飾のこった蝶番が使われましたが、その後はシンプルなH型の蝶番にとってかわられました。
よろい戸によっては上下に分れているものや、明かり取り用に丸やハート型の穴があいているものもあります。
しっかりロック
よろい戸には鉄製のバーがついており、外からは簡単に開かない様になっています。このロックにはいろいろなデザインが存在します。この家のものはバーを受ける側にボタンがあり、それを押すとキャッチが中に入りバーを自由に上げ下げできますが、バーをかませてからボタンをはずすとキャッチが出て来てバーが動かなくなります。これは18世紀後半から19世紀初頭に多いデザインのようです。
上下に分かれたよろい戸の場合、下のよろい戸と上のよろい戸をつなげるようにななめにバーを渡したり、一度にロックできるシステムもありました。
屋外のよろい戸再び
18世紀から19世紀初頭になるとまた屋外のよろい戸がぼちぼちと現れますが、アメリカやヨーロッパ程には使われませんでした。
18世紀前半の家 |
18世紀の家 |
消えたよろい戸
ヴィクトリア朝になるとカーテンがトレンディになり、豪邸では家の内部のよろい戸は作られなくなってしまいます。1840年代までは前庭のある小さい家では使われ、通りに面しているテラスハウスでは1860年に入っても使われましたが、それ以降に建てられた建築からは姿を消してしまいました。
ちなみにイギリスのよろい戸にはルーバーは使われませんでした。
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